殺した数と英雄のパラドックス | 新しい再出発

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殺人的英雄

 

人類の歴史で一番おぞましいのは戦争そのものではなく、

殺した数があまりにも多いと逆に英雄化してしまうことに

あると思う。そのパラドックスこそが戦争の愚かさの

本質と言ってもいいだろう、だから反戦だけでは

戦争を否定することにならないという意味を

伝えるために、大量殺人が英雄化してしまう

人類の恐るべき歴史に向き合うための記事を書きたかった。

 

歴史上の人物の誰がそれに相当するかはあえてここでは

書かない。わざわざ書く必要性は無いほど語り尽くされているから。

 

ここで書くのは、今起きる可能性が高い現在の問題点と、

平和の時代と言われていようが、戦争の本質と言える狂気は

日常に常に存在していることを伝える意図があるということ。

 

今まで通りナチス化のリスクとして現代日本は語られているから、

その表現だけは使いますが、この手の狂気の殺人的英雄と言える

人物は決して特別ではない、これが人の歴史で普遍的な危険性だから。

 

殺した数が多すぎて英雄化する人物は当たり前だけど

自らの手で直接これほどの数の人を殺すことなんてできない。

実際には社会を動かす権力を手にしてそれを実行する。

 

だから本当に考えるべきは、社会が常に抱える潜在的リスク。

逆に考えればわかるが、社会がまともなら危険な人物に

権力を渡したりしないし、それを防ぐためのシステムもちゃんとある。

 

前の記事にも語ったこととしては、障害者などを生贄にするような

悪魔の儀式みたいな構図によって危険な軍事政権が完成する。

だけどそれを支えるのはかつて善良だった普通の人々である。

 

人の心理は集団化するほど理性がなくなり無責任化する傾向がある。

日本の道徳観は個人を軽視して集団性を美化しやすい。

それは大量殺人を犯す危険な悪魔を育てやすいリスクがとても高い。

歴史を忘れ美談に酔いしれてばかりだから今の日本の危機にあると思う。

 

集団で美談に酔いしれるのはかなり危険であり、麻薬に手を染めるような

リスクに近い場合がある。思考停止とセットで依存症を引き起こす。

そして無関心化も含めて、危険な独裁者を止める術を失ってしまう。

 

第二次世界大戦の原因としては日本とドイツは文化的背景がかなり違う

という意見も最近目にしますが、私は違うと思う。結構似ている。

 

歴史に学ぶない日本は政治に無関心であることが怠惰であることに

気づいていない。政治に無関心なのは決して真面目ではなく怠けなのだ。

政治に無関心で何も考えずに働けば良いなんて、一番最悪だ。

あえて何もしないほうが正常な思考に近くなると思うほど。

 

みんな忘れたのだろうか?

  1. 失業や人手不足などの労働問題の悪化
  2. 若者に冷たい社会
  3. 巨大資本が過剰に政治に介入
  4. 自己犠牲の強要及びホロコーストの成立

 

これらは特に当時の日本とドイツで共通している。

そして今の日本は再びこの状態に陥っている。

21世紀にもなって再び歴史を繰り返そうとしているのは、

普段の日常生活に潜んだリスクでしかないと考えているだけです。