教養を持て、とドマ先生が言っていた。~R2年を振り返る。 | 修理屋キヨシのブログ/武内自動車整備工場

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はじめまして!兵庫県たつの市揖西町で車の修理屋をしているキヨシです!日々のいろんなことを書き連ねたいと思いますので、どうかお付き合いくださいね!

今年は、自分にとってなかなか大変な年でした。

 

商いのほうは、悪くないんですよ。

コロナの中において、

売り上げも悪くなく、

車も二年分ぐらい売れる、

 

どっちかっていうといいんです。

有難うございます。

 

 

 

 

幸か不幸か、

くそ忙しくて、

丸ひと月、伝票書かんと仕事ばっかしたりした月が二回ほどあったもんで、

簡単に前年比50パーセント割れを作れたので、コロナの支援金も、受けることができた。

ついでに、金利も安く金を借りることができたので、

 

ちょっと運転資金を増やして、

念願の、整備士を雇うこともできた。

 

しかし、自分自身を鑑みるに、

 

身内ばかり、4人の工場で、

総括、職人、納整洗車、伝票発行にかかわる帳票、販売、電話取り、緊急対応、その他もろもろ、

お客様とのコミニケーション。

結局すべて、私がせねばならぬ、のに、

加齢か、血筋か、何のか知らぬが無理がたたったか、

 

 

めまいにも襲われ、救急車に乗り、

結局片耳は、中度と、高度の間ぐらいの難聴になり、

 

結果として今の体は、

補聴器が、寝るときも手放せず、

 

補聴器外して小一時間もすれば、めまい前の、イヤーな感覚が襲ってくる。

 

聞いて話す、というよりは、耳鳴りの軽減と、めまいの防止に、つけている補聴器なので、

人の声の質によっては、何を言っているのかさっぱりわからぬ時もあり、

電話が鳴っても、どっちでなっているのかわからない、

 

「俺、つんぼになったから、顔見て話ししてることしか聞こえんからね。」

と、遠目からガチャガチャいうタイプの人にキメ台詞をはくのが、うまくなった。

 

なんか障碍者にでもなって、税金の一つでも、安ぅなりゃ溜飲も下がろうが、

片耳が本当の“つんぼ”になって、やっと初めて、補聴器に保険がきく程度らしく、

 

「整備士として生きていきたい」自分の助けになるものは案外少なかった。

 

 

それでも、補聴器には、助けていただきました。

 

今年のGW明けてからは、

耳鳴りがうるさくて、耳に虫の入る夢を見たり、耳鳴りがうるさくて、目が覚めたり、

そんな目が覚めるような大きな音量の耳鳴りが、朝、目が覚めてから、夜、耳鳴りのうるさいのに、眠気が勝つその時まで、

ずっと右の耳で唸っていたのですから、

 

補聴器つけていなかったら、

 

精神面の何かの限界が来たかもしれない、

 

そう、今を振り返っております。

 

本当に、

体の”耳”という機関がおかしいばっかりに、

健全な脳みそが、精神が、病になるのなら、

 

攻殻機動隊や、銃夢やR-TYPEみたいに、

脳みそだけの箱に入って、

 

オンラインゲーム三つと、SNS一つつなげてくれたら、

俺結構24時間快適やと思うから、

ほんで、インターネットにつながった脳みそになって、

AIの代わりに、AIに人類が求めてるような、ことを仕事にして、

社会貢献したい、

 

そう、真顔で雑談したお客様は、結構いらっしゃいます。

 

 

そういう中で、

なんでこんなことになっている、

常に自問自答、し続けておりました。

その傍ら、

商売人として、

 

松下幸之助の言葉かどうかは知らないが、

滅私奉公、というのがあります。

商いの原点、の、心の在り方というように、自分は受け取っておりますが、

どこまで、自分を滅ぼせばいいのか、の物差し、を計りかねる、

 

こういう感覚が、少なからずある時もありました。

 

しかし今になってわかる、大昔にできたこの四文字熟語の、理解というのは、

発生当時とは違うかもしれませんが、

 

体を壊すまでやれ、とか言ってるんではなく、

 

”しょうもないプライドは持つな、そして苦しい目にあったからといって、周りを苦しめるな”

 

ではなかろうかと、

今は思います。

 

そこに付随して、

まわりを苦しめる、ということに言及いたしますと、

 

私の仕事場はですね、

父のたてた工場の隣に、中学一年の時に親が家を建てて、まさしく、商いの土地で育ってきましたので、

例えば工場の休憩所で寝袋かぶって寝るのも、

私にとっては家で寝ている感覚に近いものがありました。

 

耳がおかしくなった時の良くないいきさつで、

親の実家に、足を踏み入れることはないので、

 

風呂に入って飯を食う、為だけに500メートルほど離れた家に帰り、

それすらもせずに、コンビニのパンで済ましたり、

また工場に出てきて、25時ぐらいまで仕事をして、翌朝6時ごろには事務机に座りたいので、となると、

家で寝る、という選択肢はなかなか頭に浮かんでこなかったのではありますが、

 

私はそれ、ここ10年余り、

 

「仕事を頑張っている。」

 

んだと思ってました。

販売の相談、修理の相談、趣味の相談、

保険、納屋のごみ、農機具、の相談、しょうもない営業との雑談、の時間を取りつつ、

親とか嫁とかが、地域行事の出席や、子供があーやこーや、のことに時間をつぶされつつ、

 

どうにか入ってくる仕事こなさにゃならん、

に一生懸命でした。

 

 

 

ただ嫁と子供から見れば、

 

「仕事仕事と、親の実家に入り浸って、家に帰ってこない夫であり父。」

 

だったのかと。

この響きに自分を置きなおしたとき、

これだめやなと、愕然としました。

 

 

こういうことに気づきができて、

9月ごろから、

なるべく夕食は家に帰って、

仕事があるので、寝ることはできませんが、

靴を並べたり、しました。

 

10月から、職人さんに来てもらいだしたので、

少し時間もできたので、

家で寝たり、

 

そして、息子と、毎週金曜日、

ゲームアイビスで、遊ぶようになりました。

 

そうすると、

自分が家に帰っても、空気だった息子が、

お帰り、行ってらっしゃい、といってくれたり、

おかずだけあってジャーが空の時に、ご飯を仕掛けてくれたり、

してくれるようになりました。

 

そうしていると、

妻に、

「私以外には優しくなったわね。」

と、真顔で言われたので、

 

これは、真顔で言われたらあかん奴や、と思い、

かえってご飯食べたら、お皿を洗ってみたり、

火曜日は台所掃除してみたり、

 

しました。

 

「オレ時間さえあったらできるし。」みたいな、恩や、しょうもないプライドを出してはならぬ、

「10年前からやってますけど、なにか?」

みたいなしらこい顔で、やろう、と、心に決めて、やっております。

 

まあ、この話は今、始まった話なので、

落ちはないんですけどね。

 

ただ、台所の雑巾がけをしている時に、ふと、気づく、

 

40歳で、体なんかなるぐらいには、頑張ったといえるぐらい頑張って、

べつにすごく金儲けができたわけでもなくて、

家族との仲も薄い。

 

どうしてこうなった、を思い悩んだ時に、行きついたのが、

 

青年時代に、ずっと父から聞いていた、「わし一人でやってきた。」

に、父を尊敬するとともに、

 

「俺も一人で頑張ったら何とかなるんやな、」

 

という、思い込みのような甘えが自分の中にあったのか、

と、知識ではなく、心で思いました。

 

一人で無理なんやったら、人手を増やさないといけない、

人手を増やそうと思ったら、その人も生活するお金が発生できる商いにならないといけない、

自分の商いを判断するのに、

経理はおかんやったから、嫁はんに丸投げ、でいいわけがない。

これを実行するために、

自分に何が足りないのか、

これではいけない、が分かった時に、

じゃあどうすれば、どうなればよいのか、

 

この答えがロジカルに出てこないというのは、

 

知識を紡ぐ、見識がない、という事か、

 

それはすなわち、

 

 

「自分に教養がない」という事か

 

 

と、

思いました。

ですので、

来年は、自分の教養をはぐくんで、

 

だめだと思った環境は、変わった。

それをもってして、どう頑張るのか、

 

これを追い求める来年になりそうです。

 

今、自分の中にあるのは、

自分の甘え、たったこれだけに気づくのに、

40歳になってしまった、

 

という、自分に対する恥ばかり、

 

新しいことに気づきや学びがあっても、

それが5年早かったら、と恥じて悔やむ、ばかリになりそうですが、

 

人間恥には弱いと、

HCLIのココさんもいおっしゃってますので、

 

 

それを、自分の行動のエネルギーに、

替えていきたいと思っております。

 

 

 

 

結局、今日まで仕事をしましたので、

 

午前中でお店を占めて、

昼からは、家族で映画見に行ってきます。

 

 

 

もしかしたら、商いのあいさつは別に書くかもしれませんので、

個人の事として、とりあえず書きました。

 

 

若い時の、稼働率の高かった自分にアディオス!

 

R2.12/31

取りあえず最終日のキヨシ。

 

 

 

追伸

塾長がここのコメント欄で自分にかけてくださった、

 

「その悩み、やってない奴はいない。」

 

を、ずっと懐に携えて、おります。

有難うございます。