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 2日の深夜23時09分、新宿発新潟行きの夜行列車、「ムーンライト越後」
(以下越後)に乗り、最終決戦の地、新潟へ・・・。
 当日の3日には、新幹線を貸し切ってレッズサポーターの大群が押し寄せるという
情報を耳にしていたが、俺の乗っていた越後の1号車内にも、周りを見渡せば
ほとんどがレッズサポーターだと言ってもいいくらいだった。奇跡の逆転優勝に
向けて皆気持ちは同じだ。

 翌日3日の午前4時51分、列車は新潟に到着した。
 気温はおそらく2~3度ほどの極寒の地だ。だが、心配されていた雪はほとんど
降っておらず、この日は時折霰が少々降るほどで済んだ。

 俺は、ホテルに荷物を預けてから、すぐさま、徒歩45分ほどかけて決戦の地、
ビッグスワンに向かった。
 そしてついに6時頃、新潟スタジアム・ビッグスワンに到着した。
 俺にとっては、このスタジアムで9つ目のワールドカップスタジアム制覇だ。
98年からスタートして8年目、ついに国内のワールドカップ10会場で残すは
札幌のみとなった。
 ビッグスワンに到着して、順番待ちの記帳を済ませてから、しばらく散策。
 
 さすがに、毎試合4万人を動員する新潟だけあって、7時頃を過ぎると、
オレンジのイデタチの地元サポーターが増えてきた。
 しかし不思議なことに、他のチームのサポーターのように睨みつけたり、目を
反らすようなことはなかった。それどころか、向こうの方から
 「こんにちは。」
 「今日は、頑張りましょう。」
 と、温かく声をかけてくれた。新潟出身の小春が普段から言ってるように、
新潟の人はみんな親切というのは、まんざら嘘ではなかった。
 
 10時過ぎになると、テレビ局の取材のカメラが通り過ぎたため、そこでFC東京と
川崎の健闘を願い、俺は、FC東京と川崎の歌をカメラの前で歌っていた(笑)。

 そして11時半、ついに開門・・・・。
 試合開始頃の気温は5度・・・。これほど寒い中での遠征は本当にひさしぶりだった。

 しかしそんな中、レッズサポの総帥URAWA BOYSは、この寒さの中で、
試合開始前から上半身裸。彼らのこの1戦に賭ける意気込みにかかればこんな寒さ
さえも吹っ飛んでしまうかのような勢いで、レッズのゴール裏もテンションが
上がってきた。
 ホームのアルビレックスも周囲を埋め尽くした満員のオレンジの数にそぐわない
大声援だったが、この日のレッズにかかればほとんどその声援はかき消されていた。

 そして14時すぎ、ついに運命のキックオフ。

 この日は、スカスカの中盤のアルビレックスを相手にパスが面白いように回り、
終始ゲームを支配。危ない場面はほとんどないと言っても過言ではなかった。
 すぐさま開始4分にゴール前の混戦から最後はホリ(堀之内)が押し込み先制。
 13分にはポンテのフリーキックがマリッチの目の前を通過して、そのまま
ゴールに吸い込まれた。

 前半開始早々にして、早くも2点のリード。
 前半はこの後も圧倒的に攻めながらも、このまま終了。
 こうなると気になるのは他会場の経過。
 2点リードを取った時点で、俺は、声を張り上げながら右手は携帯を片手にボタンを
操作して、他会場の経過を確認していた。
 レッズよりも上位の大阪の2チームは、先制しながらも、すぐにそれぞれFC東京と
川崎に追いつかれ、共に1-1で前半終了し、なんとも理想的な展開。
 このまま行けば逆転優勝だ。前半終了時の結果を知ったゴール裏のレッズ
サポーターは歓喜に包まれる。
 後半開始前には再び闘魂を注入すべく、ウォーリアが始まり、優勝に向けての
ラスト45分がついに始まった。

 後半はピッチと携帯を交互に目をやる動作の繰り返しだった。
 そして、後半開始直後、セレッソが西澤のゴールで勝ち越した。
 ガンバは、宮本が勝ち越しゴールをあげるも、またしても川崎に追いつかれ2-2。
3連敗中のガンバが再び勝ち越すとは思えなかったので、俺は、FC東京になんとか
同点に追いついてもらうべく、新潟から遠く離れた大阪に向かって願掛けを
していた・・・。
 ビッグスワンのレッズの方は、後半15分にマリッチが絶妙のヒールシュートで
3点目を奪い、後半35分には、この試合から復帰した途中出場の永井のクロスが
マリッチを通り越して、フリーの暢久に渡り、放ったシュートがディフェンスに
当たって新潟のゴールキーパー・木寺のニアサイドを破った。
 4-0となり、レッズはこの試合の勝利をほぼ決定付けた。

 しかし、他会場はというと、セレッソは依然として2-1のリードを守っており、
2位のガンバはフロンターレから3点目となる勝ち越し点を奪っていた・・・。

 頼む・・・FC東京&川崎、追いついてくれ・・・。
 
 だが最後の奇跡は起きなかった・・・。
 セレッソは終了間際にFC東京・今野に同点ゴールを許したものの、逆に2位の
ガンバは終了間際に得点王アラウージョが川崎を突き放す4点目を決め、勝利を確実に
していた。

 この結果、2005年のJ1は、セレッソをかわしたガンバ大阪が頂点に上り詰めて
初優勝を飾った。

 わが浦和レッズにとっては、あと1歩、いやあと半歩のところで届かなかった
栄光の頂点。結局最終成績は、昨年に続いてのあと1歩のところでの2位だった。
 
だが、今シーズンは開幕5試合勝ち星なしで一時は最下位まで沈み、夏には
エメルソンの電撃退団もあり、シーズン終盤には、達也や平川といった主力にも
怪我人が続出し、踏んだり蹴ったりの波乱のシーズンだった。
 そういった中でのシーズン2位であるのだから、選手の健闘を称えたいし、
一緒に最後まで戦えたことを誇りに思う。
 何よりも、開幕戦であの屈辱の敗戦を味あわされた鹿島、4月28日に
は岡田正義に不可解な判定を下されて勝ち星を逃した磐田、そして
わがチームから山瀬を強奪した宿敵横浜よりも最終的には上の順位で
あったのだから、よしとするべきだと言ってもいい。

 試合終了後にKさんが、
 「強かねぇんだよ!!俺たちは!!」
 「来年はもっと強くなろうぜ!」
 「他力じゃなくて、自分達の力で!頂点取ろうぜ!!」
 その後、泣いてるサポーターがいたらしく、
 「泣いてどうすんだ!」
 「新潟ぶっ潰したじゃねぇか!!」
 「勝ったじゃねぇか今日は!!」
 「胸張って浦和に帰ろうぜ!!」
 そして、俺たちサポーターみんなが持っている浦和のプライドをより大きくする、
 「俺たちは浦和レッズなんだからよぅ!!」
 
 そう、俺たちは浦和レッズだ。
 昨年と今年、あと1歩のところで逃した年間タイトル。まだまだ何かが足りない。
だったらもう一度1から出直して夢の続きを追えばいいんだ。
 夢の続きは長いからこそ燃えるんだ。
 Jリーグチャンピオンの証である銀皿は持ち帰ることができなかったが、結束力の
強まった浦和のプライド持ち帰ることができたんだから、来年もみんなで果てしない
夢に向かって突き進むぞ!

     『第2部 聖地巡礼編』へと続く・・・。