『 気になって仕方なかった 』


私の心境を震撼させ始めたのは、

1982年に太陽系の惑星が直列した状態に近い状態となったことが



私の胸中では

『何等かなかたちで地球への影響をもたらせるモノとならないかな?』ともイメージするキッカケとなり、

その翌年の1983年に
三宅島活火山大噴火を起こしたことも境目に

『ついに来たか?』
という方向性でのイメージを増幅させ、

私における
天災のことを強く気にかけてしまう
始まりみたいなものになってしまったことが

日々を不安のるつぼへと震撼させる状態となったのでした。


その噴火をキッカケに
近未来の日本は大地震に襲われる可能性があることを意識し始めたのです。



1982年の頃には既に気になっていた
大地震への懸念は

1983年の三宅島の活火山の噴火も
懸念を継続する勢いとなり
消えることなく気になるものとなりました。

四季折々に咲く花の咲き乱れや
異常気象を感じる大雨や大雪など

様々な事実を気にかけてしまう意識は

不安を増幅していくアンテナとしての役目を持つように広がった。
タイミングは違うが、例えば下の画像のような事実には
異次元からの警告やサインらしきものが潜んでいる可能性を意識し始めるようになった。





三宅島の噴火から3年の時が過ぎた頃、
更なる大噴火である
伊豆大島の活火山が大噴火を起こした。

その2つの噴火が順番として
日本の本土へと近付いてきている現実に、

私の脳裏では

次は富士山の大噴火?

もしくは
近未来の日本に想像を絶するほどの大地震の発生をイメージさせしまうものとなり、

私の心を尋常ではないほどに苦しめるものとなっていった。



大地震への懸念は
日本政府もテレビ放送まで使って注意を促し、
様々な週刊誌なども富士山の大噴火や大地震にまつわる記事を扱っていた。

テレビ通販などで販売する防災グッズは好調に売れていたようで、
様々な通販会社がテレビ放送まで使って販売活動を繰り返していた。

当時の私においては
気になるものが自然災害なだけあって、

私には打つ手など無いに等しい現実に神経は苦しめられていた。

日々の生活の中では
そうした自然災害への懸念は

苦しい時の神頼み くらいしかできず、

願いを届けるように

『神様お願いします。日本に大地震など発生させないで下さい。』などと祈り始める状態が続く毎日になっていた。

もっと細かな事は書けるけど、

上記したような事があって

自然災害を気にかけたり
神様へと気持ちを伝えるような心境で苦しんでいた状態だったのが
その当時の私だったことと、

そうした心境が
やがては暮らしていた東京を離れるキッカケの一部になったことを書き留め、
ここは締めくくっておくとする。


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余談

1986年が重なる前後の頃
私はノストラダムスの大予言も気にかけていた。

「世紀末 人類滅亡」という説は気になるものとなっていた。

その予言と大噴火は大地震の予兆との結び付きを意識する 力 ともなってしまっていた。

しかし
予言された時期がピタリと当て嵌まるとは思っていなかった。

私の中では
大地震の時期が早まる可能性があるイメージが濃いものとなっていった。

だから東京 丸の内にある気象庁へと足を運び、
日々おきている地震のデータを閲覧させていただきに動いたこともある。

尋常ではない回数の地震データを確認でき、

自分の中での大地震への懸念は尋常ではいられなくなるほど
心境を苦しめるものとさせてしまった。

当時確認したノストラダムス関連の出版物を書いた著者は
後島 勉  氏。

人類滅亡説以外に気になった予言は

『必ずくる 黄金の世紀』 

『太陽(日の丸)にまつわる記事』

『日本人救世主 説』 

『大魔王の復活 説』などだった。

更に言えば
幼少期の頃
頻繁に【デジャブ体験】をしていたこともあって

そうした能力?を自分のモノとして使えたら

自分は『未来を先読みできるのにな🎵』と思っていたこともあり、

1987年辺りでは

できれば
大地震や大噴火などの自然災害情報を事前に察知できさえすれば、

『それらを予言して誰かを救ったことによって、救世主になれたりして?』みたいなイメージも描いていた。

従って
三宅島と大島の活火山が噴火した事実は
非常に気になるものとなったのだった。



1987年の10月、
私において人生の大転換期をむかえることとなる。

更なる発表をお楽しみいただけますと喜ばしい限りです。