輝ける世界を創る』
ブログにお起しいただきありがとうございます(*^^*)
*hana*です
昨日の満月で
「自分」について振り返っていました
たまたま
Facebookのお友達の投稿に
私の過去を思い出す内容が書かれていて
シンクロ?引き寄せ?現実化?なのか
私が
「こころのケア」について
考えるようになった原点を思い出しました
少し長くなりそうですが
私の人生ヒストリーについて
書いてみようと思います^ ^
私は小学生の頃
図書室にある
「人物の歴史」という本が大好きでした
いろんな歴史上の人物の
人生をマンガで書いてくれているので
「エジソン」や
「キュリー夫人」
「ニュートン」など
特に日本以外の人物の話が好きで
学校に置いてあったものは
全て読んだと思います
その中で
一番大好きだったのは
「ナイチンゲール」
ナイチンゲールが
戦争における救護を行なったことから
「看護」という仕事を
女性が関われるよう
教育をはじめたことが
今の看護師の成り立ちだったと思います。
この辺はちょっと記憶があやしい 笑
私は小さいながらに
「すごいな〜」と
ナイチンゲールに憧れ
自分も「人の役に立ちたい」と
看護師を目指すようになったのです
あまり勉強が得意ではなかった私は
看護学校に入学するため
必死で勉強し
日本赤十字社の
看護学校に入学しました。
私がこの看護学校を選んだのは
家がお金に余裕がなかったので
「近い」「学費が安い」
という理由だったのですが
日本赤十字社は
もともとスイスが発祥で
こちらも戦争時における
救援活動が元になっているので
「思考が現実化する」という
100%自分原因説を学んだ
今から思うと
「ナイチンゲール」に憧れて看護師になりたい
と願っていた
“戦争時の救援”に関係する理念そのもの
そのままの願いが叶っていたのだと思うと
驚きです
そして
3年間の看護学校も
必死に勉強し
国家資格に合格
小学校の頃からの夢だった
念願の看護師として
働く願いが叶ったのです
国家資格に合格し
晴れて看護師として配属されたのは
NICUという
赤ちゃんの救急治療室
早産で生まれてしまった赤ちゃんや
奇形を持って生まれてきた子、
出産時に何らかの問題があって治療が必要な赤ちゃん達の
お世話をさせていただくことになりました
当時の私は
専門性の高いNICUという部署に
新卒から配属されたプレッシャーと
新しく学ばなければいけない
たくさんの専門の知識に
押しつぶされそうになりながら
日々
小さいながらに一生懸命生きようとしている
赤ちゃん達と向き合いながら
頑張っていました。
本来なら
「出産おめでと〜!!!」と
喜びながら
お母さんに抱っこされているはずの時に
保育器の中で
いろんな器具をつけられ
一生懸命、生きようとしている赤ちゃん。
その様子を
苦しい思いで見つめている
お母さんお父さん達。
本当は抱っこしたい。
でもできない。
そんなお母さん達の多くが
「私のせいでこの子がこうなってしまった」
と自分を責めている気持ちを
そばで感じていました。
決してお母さんが悪いわけじゃない
そのことがわかっていても
自分を責めてしまうお母さん達の
話を聞いて
お母さんの気持ちに寄り添いながら
「どうしたらお母さん達の気持ちが楽になるのだろうか」
ということを考えるようになり
それが
「こころのケア」について
考えるようになった
きっかけの一つだったのです
でも当時は
看護師が天職だと思っていたし
私が将来
心理カウンセラーになるなんて
これっぽちも思っていませんでしたが
次に続きます
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