日本サッカー代表に対する「ありがとう」の意味するもの | 東京リーシングと土地活用戦記

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国民の日本サッカー代表に対する「ありがとう」が意味するもの=犬丸正寛

サーチナ【経済ニュース】 2010/06/30(水)

「チーム力」と「団結力」、そして「強い国家」へと

  サッカーワールドカップで、日本チームが健闘した。テレビを通して、国民の声は、『ありがとう』が圧倒的に多かった。人が、「ありがとう」ということができるのは、「素直な心」があるからだ。廃(すた)れてはいなかった、日本人の「素直な心」にサッカーの若いメンバーが希望の明かりを灯してくれたようだ。その心とは--。

(1)個性とチームについての心

 昔のスポーツ選手は丸坊主と決まっていた。今度の日本チームには茶髪、長髪もいる。個性豊かである。しかし、ユニホームまでが、ばらばらということではない。ブルーのユニホームはよく似合っていた。個性と集団の関係は、国家にとっても企業にとっても、さらに、密接な間柄の家庭においてさえも、悩ましく難しい課題である。集団・チーム優先が行き過ぎると、精神論がひとり歩きする。極めつけは戦争ということにさえなりかねない。しかし、個性重視が過ぎると、勝手きままに、「我れ関せず」となって、家庭崩壊も起こりうるし、企業なら業績が悪化する。今度のサッカー日本チームはわれわれ日本人が忘れかけていた、「チーム力」、「団結力」の大切さを思い出させてくれたのではないか。だから、国民の間から、自然と、「ありがとう」の言葉が出たのではないだろうか。

(2)勝ち負けの「非情さ」と「大切さ」の心

  バブル経済崩壊後の日本は、勝ち負けを、なんとなく避けてきた雰囲気がある。できるだけ、白黒をつけたくない、誰も傷つきたくない。それが、知らず知らずのうちに日本の国際競争力を蝕んできた。今や、「メイドイン・ジャパン」は死語にさえなっている。しかし、人が動物である以上、生存の競争は避けて通れない。むろん、スポーツにいたっては、勝ち負けがないと、おもしろさはない。勝てば嬉しい、負ければ悲しく悔しい。それが、本能である。もちろん、勝つことが、行き過ぎれば、格差を生む。ここ、十数年の日本は、格差を怖がり、勝敗を避けてきたところがある。しかし、このままでは国家というチーム全体がダメになると、多くの国民が感じ始めていたはず。そこへ日本サッカーチームがひと回りも体格の大きい外国人チームを負かせたことで、日本人の闘争本能を目覚めさせてくれたのではいか。日本株式会社というチームの要でもある菅監督(総理)の「強い国家」にも通じる。

(執筆者:犬丸正寛 株式評論家・日本インタビュ新聞社代表)