隠岐 海士町の岩牡蠣「春香(はるか)」って?? | 東京リーシングと土地活用戦記

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なんでも島根県の隠岐郡 海士(あま)町http://www.town.ama.shimane.jp/というところの牡蠣で、「春香」という名前がついている。

島根県隠岐島海士町の岩牡蠣「春香(はるか)」サイト
http://www.shimakazelife.com/

CASシステムという保管輸送システムで運ばれるので、鮮度が抜群というだけあって、とにかく甘いし味があるし、う~んミルキィすぎる。。美味しい!あ~ホント語彙が貧困でうまく言葉が出てこないんだけど。北のほうの牡蠣だと、牡蠣の汁は塩辛く癖がありすぎて飲めないんだけど、こっちのほうの牡蠣のエキスは適度な塩っ気でたまらない。ああ白ワインがほしい、、ちょっと甘めのリースリングでもいいななどと思う。めぐめご日記


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「地域農業の核として歩む、ブランド肉生産による肉用牛一貫経営」

認定農業者の概要

市町村名
島根県隠岐郡海士町
氏名
有限会社 隠岐潮風ファーム(代表取締役 田仲寿夫)
営農類型と経営規模
肉用牛(黒毛和種)繁殖・肥育経営
(繁殖牛95頭、肥育牛238頭 H19.1.1現在)

認定を受けるまでの経過や動機

 公共事業縮減に対応した雇用の維持と地域産業の貢献策を検討していた土木建設業が、平成16年1月に企業参入による当該法人を設立。
放牧基盤を活用し繁殖経営に特化していた隠岐の肉用牛生産において、ブランド肉生産という新たな取り組みをもって、生産者と一体となった産地づくりを目指す肉用牛一貫経営体として、平成16年5月に認定農業者となった。認定農業者の認定は、各種制度の利用や関係機関からの支援の面で有効である。
 また、自給飼料生産に遊休農地を活用しているが、これは海士町が、構造改革特区制度の活用により、通常農地を借りられない法人への農地の貸し付けを可能にすることで実現した。これは現行制度のモデルとなっている。

経営改善の目標

・新規肉用牛一貫経営体として、繁殖牛120頭、未経産雌肥育牛220頭の経営確立(認定当時の繁殖牛80頭、肥育牛120頭を変更)
・町内の遊休農地を活用した飼料作物生産(12ha)
・木材と家畜糞尿を利用した有機質堆肥の生産と稲わら等交換

経営方針や経営活動における特徴

「島生まれ・島育ち 隠岐牛」として、未経産雌を活用したブランド肉生産
地域(経営内含む)の放牧基盤から生産された肥育素牛の活用と「隠岐牛」ブランドの確立を目指すことで、地域肉用牛との一体的な肉用牛振興に貢献
遊休農地を活用した自給飼料の生産
地域資源と家畜糞尿を活用した堆肥生産と稲わら交換等耕畜連携体制の確立

応援メッセージ(島根県隠岐支庁農林局農政・普及部)

 「島生まれ・島育ち 隠岐牛」をキャッチチコピーに、隠岐の放牧環境から生産された子牛を素牛とした隠岐牛は、東京でブランド肉として注目を浴びています。
 当該法人の経営安定は、子牛価格の安定など隠岐島内の他の繁殖農家にとっても有益であり、地域肉用牛の核として、今後も更なる発展を期待しています。


〒690-8501 島根県松江市殿町1番地 島根県農林水産部農業経営課
Tel:0852-22-5139
Fax:0852-22-5968
nogyo-keiei@pref.shimane.lg.jp


建設業者が、転業して、隠岐牛を始めた。

黒毛和牛を山の斜面で、放牧している。

テレビで、A5級肉に認定され、卸価格、1キロ2500円の値が着いていた。

海士町の岩牡蠣「春香(はるか)は、大きくてとってもおいしそうだった・

財政破綻寸前だった町・・町長は給与50%カット、課長級は30%カットし、

活性化資金を2億円捻出、市民も、公共サービスの引き下げを了承。

島根県隠岐郡海士町の復活・・日本経済活性化のキーワドになりそうですね。





町長は給与50%カット、課長級は30%カット(公務員の給与水準としては
当時全国最低となる)。
その資金を元手に最新の冷凍技術を導入。
海産物のブランド化により全国の食卓を始め、
海外へも展開する「(株)ふるさと海士」。

農業特区を取って、新たに肉牛の業界に参入し、
松坂牛に匹敵するレベルと評価されて幻の肉として
知られるようになった「隠岐牛」。
2004~2006年の3年間には145人のIターン者が移住するなど、
新しい挑戦をしたいと思う若者たちの集う島となっており、まちおこしの
モデルとして全国の自治体や国、研究機関などから注目を集めています。