前回に続き、第二次世界大戦前に

母国チェコから英国に逃れたユダヤ人、

ヴェラ・ギッシングが成人して綴った

「キンダートランスポートの少女」

をご紹介します。

 

(「キンダートランスポート」については

前回の投稿をご覧ください。)

 

1941年から1945年の間、ヴェラは

英国に作られた

チェコスロバキア国立学校で学びます。

 

ヴェラにとっては

温かい里親一家とともに暮らせたことも

幸運でしたが、この学校で

同じ国の子供たちと一緒に過ごせたことは

大きな幸福だったのです。

 

ヴェラの4歳年上の姉エヴァは

医師になりたい希望があったのですが、

少しでも早く国の役に立てるようになりたいと

看護師になることを決め、勉強を続けます。

 

同じ故国の仲間たちと

共同生活を送るヴェラと違い、

常に「外国人」として生活していたエヴァには

自分の気持ちを理解してくれる人が

近くにおらず、孤独感を感じていたと言います。

 

 

ヴェラ達は両親との再会を信じて暮らしますが、

連合軍が勝ち進むに従って、

強制収容所の報告や写真も公開され、

大きなショックを受けます。

 

そして、情報が遅い時代だからこそ、

彼女が翻弄されることも。

 

戦争が終わり、

両親が無事だという知らせを受けて歓喜した後、

強制収容所の生存者リストに母と叔母の名前を見つけ、

二人が過酷な強制収容所にいたこと、

父の名前がそこにないことに凍りつきます。

 

母と叔母からの無事の知らせを受け取って

安堵しつつ、

そこにも父の名前がないことに動揺する。

 

それでも希望を持っていた彼女の元に届いたのは

終戦の2日後に

母がベルゼンでチフスで亡くなったという知らせでした。

 

父はその前に亡くなっていたのです。

 

「『なぜ運命はこんなにも私たちに残酷なのでしょう』

私は心のなかで何度もこう繰り返しました。

最初は両親二人とも返してくれると思わせ、

またみんなで暮らせる、

ずっと一緒にいられると信じさせておいて、

こんなにも残酷に私たちの幸福を粉々に打ち砕くなんて。」

 

 

姉のエヴァはそのまま英国に残り、

看護師として働くことを決めますが、

ヴェラは母国を再建するために

役に立ちたいと帰国することを選びます。

 

母国に戻った彼女を引き取りに来てくれたのは、

強制収容所で

彼女のお母さんやいとこ達を看護し、

最後を看取ってくれた叔母でした。

 

母国では

懐かしい人たちとの再会もあったものの、

自分たちの家や財産を

以前から知っていた人たちに奪われて、

その裏切りにショックを受けることも。

 

学校に行っても、優しい先生もいたものの、

そうではない人も。

 

ヴェラのような子供達が、

帰国したユダヤ人の戦争孤児だと知っていても

「自分たちがナチの占領を耐え忍ばなければならなかった戦時下の日々に、

私たちが比較的恵まれた安全な場所で

過ごしていたことが

面白くなかったのかのようでした。」

 

そこには、

戦時中の反ユダヤ主義の宣伝活動の影響も

色濃く残っていたのです。

 

戦争が終わった後も、

ヴェラ達がユダヤ人であるために

不当な差別を受けることは

終わらなかったのです。

 

懐かしい故郷の町でさえ、

変わらずに優しく接してくれる人もいれば、

両親が娘たちのためにと預けていたものを

嘘をついて自分のものにする人たちもいて、

もう昔通りの懐かしい場所ではないのでした。

 

結局、1949年の1月、

ヴェラはもう一度英国に戻ります。

英国にも反ユダヤ主義はありましたが、

自分の母国でそれに直面するのは全く違うことでした。

 

それに、英国には姉や

彼女に愛情を持って接してくれる

たくさんの人たちもいたのです。

 

ヴェラは英国で結婚して家庭を持ってからも

長い間、キンダートランスポートのことを

語ることはありませんでしたが、

1988年にこの本を出版しました。

 

 

そして、その年になってから、

彼女は初めて自分たちをチェコから

英国に逃してくれたのが

ニコラス・ウィントンという

人物だったことを知り、

初めて対面することになるのです。

 

1989年にはキンダートランスポート

90周年を記念して

キンダートランスポートの子供達の親睦会が

創設されて最初の大会が行われ、

多くの「子供たち」が再開しました。

 

多くの人たちが戦争で親や家族を失い、

自国に戻った人たちも

ヴェラのように他国に移った人たちも

様々な辛い体験をしていました。

 

この本を翻訳された木畑和子さんは

ご自身でもキンダートランスポートについてのご著書があり、

この本の巻末の文章でも当時の状況を

わかりやすく解説されています。

 

「子供たちは自分のアイデンティティ問題に直面することになった」

として、木畑さんは次のように書かれています。

 

「どこの社会にも受け入れられなかったつらい経験からアイデンティティの喪失感を抱くようになった『子供』もいます。」

 

「拠るべき祖国があり、チェコスロバキア人学校で学び、チェコ人として誇りを持ち続けていたヴェラの場合でも、『ユダヤ人の血を受け、チェコ人として生まれ、自らの選択でイギリス人となった人間』であるというアイデンティティを確立するまで、かなりの時が必要でした。」

 

 

戦争で家族を失うことも想像できないくらい辛いことなのに、

難民になるということは、

新しい国で、また新しい自分を作らなくてはならないこと。

 

他国に避難できたとしても、

住むところはどうするのか、仕事は、お金は?

 

その国の言葉で、問題なくコミュニケーションが取れるか?

 

自分のことをわかってくれる人、

心から信頼できる人はいるか?

 

そのような生きていくための問題の他に、

自分が生き残ってしまったこと、

自分だけが幸せになっていることに、

罪悪感を感じてしまう人も。

 

難民になるということは、

戦争孤児になるということは、

どういうことか。

 

ウクライナのロシア侵攻の痛ましいニュースを聞いていると

ヴェラの物語は過去の物語ではなく、

今も続いている現実なのだということを

突きつけられます。

 

長くなりましたが、今回も読んでいただき、

ありがとうございました。

 

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