「言葉は体験ではない」
お釈迦さまもおっしゃいました。
「あなたの目で見て、耳で聞いて、体験しなさい」と。
で、最近のエピソードをひとつ。
小学四年生の子供がユーチューブのチャンネルを開設したいと。。。
で、開設したのが
こちら『なし74』
まッ、結構、大人が見たら、適当。。。。
お決まりの直撮り。。。
登録者10人超えての感謝の動画。ほのぼの。
ちょっとだけ編集。。。
ナレーションもぶっつけ本番、台本なし
いかがでしたか?
今では、ユーチューブをやり始めたばかりの方も、クオリティがめっちゃ高い中。。。
この動画を見られて何を思われますか?
昔のユーチューブって、こんなの多かった。
大人は、見栄えをよくしたり、こんなクオリティでは投稿できない、何喋ればいいの等。。。
躊躇して初めの一歩が踏み出せない。。。
コンサル、外注だして、出来上がった量産型ユーチューブチャンネル。
なーんてことあると思いますが、可能性に満ちた子供の価値基準では、そんなことは関係がない。
まずは体験する、やってみる。
本気で収益化を考えているところが、またまた笑えるところ。。。
でもドリームキラーになってはならないと、見守ってるところです。
たまに視聴すれば、あなたのリソースの中に眠っているものが覚醒するでしょう。
気づけば登録。
長くなりましたが、本題に入っていきましょう。
The map is not the territory
訳すと
「地図は領土ではない」
これNLPの基本前提のひとつ。
まぁ、意味わからいけど。。。
あなたが今いる場所を地図にした場合、多くの地図が存在すると思います。
地図の描き方が変われば感覚も変わります。
どれが正しい正しくないというのでありません。
そして地図は地図であって現実ではありません。
それぞれの人が描いた、それぞれの地図を持っていて
それを使って人と接したり、物事の価値を決めていく。
たくさん選択できるように多くの地図を持っている人もいれば
更新することなく、増やすことなく
かたくなに一つの地図で物事を解釈している人もいるのです。
そして、このように言い換えることも可能です。
「地図」=「言葉」
「領土」=「体験」
つまり
「言葉は体験ではない」
「地図は領土ではない」は「言葉は体験ではない」と言い換えれます。
言葉による理解と、体験による理解は別物である。
砂糖の甘さや塩の辛さを人に説明する際、何百という言葉を使って伝えるより
砂糖や塩を舐めさせた体験の方がすぐに理解できます。
一つの言葉からイメージするもは人それぞれ違います。
「山」とういう言葉からでも「同じ山」を思い描くとは限りません。
言葉は過去の体験経験が大きく影響しているというわけです。
言葉は体験に基づいている。体験があって言葉があります。
「地図は領土ではない」は
もともとアルフレッド・コージブスキーがとなえた考え方が始まりのようです。
こちらの書籍よりの引用
このマップ、テリトリーとういう考え方は
アルフレッド・コージブスキーが
「科学と正気(Science and Sanity」という著書の中でとなえた考え方です。
「人は言葉で世界を認識しているが
その言葉がさまざまな変形を受ける性質をもっており
それが世界認識を歪める可能性がある。
私たちには
言葉が変形しているかもしれないことへの”気づき”が大切」と語っている。
ここで「プライマリー・エクスペリエンス」と「セカンダリー・エクスペリエンス」という言葉の定義を学習したいと思います。
日本語的には「一次的体験」と「二次的体験」です。
私たちが外的世界を認識する入口が五感です。
意識にあがる以前の感覚、頭の中で言葉になっていない感覚が「一次的体験」プライマリーです。
そして、その感覚が意識での思考として言葉になると「二次的体験」セカンダリーとなります。
セカンダリーでは、その人の認知のプロセスで省略・歪曲・一般化などにより変化を受けています。
プライマリーは事実に近いので「領土」でしょう。
セカンダリーでは「地図」となります。
私たちは「見ている」ものそのものを伝えることはできず
目の前にあるものについての感情を伝えているということになります。
その時にある頭の中の言葉は、すでに現実の世界ではなくなっているということです。
「地図は領土ではない」
この言葉、シンプルに考えることもできますし、掘り下げることもできる不思議なフレーズです。
体験・経験に勝るものはない。
まずは、やってみよう。
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