こんな無名の【私】について、このブログの続きを読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

そんなこんなで、寡黙な父と、真面目な母に見守られ、秀才達の中で過酷な受験戦争を体験してきた。

 

 

 

 

それなりに苦労した。

 

 

先に話したとおり、決して頭がいいわけではなかった私は、

ただただ、ひたすら真面目に目の前の目標に向かって、勉強を続けていた。

 

 

 

 

目標の大学にはいるために。

 

女子なのに、二浪も許してくれた、父と母にはホントに感謝しかない。

 

 

 

 

現役では、目標に届かず滑り止めも受けず、玉砕した私は、一浪目を地元の予備校で過ごした。

 

 

 

 

ひたすら勉強に明けくれた。

 

 

4時間しかねれず、明け方勉強机の上で突っ伏して

たり、

椅子にもたれて、器用にも背もたれに頭をひっかけ絶妙なバランスで眠りこけている私を見かねた父が、

 

「ベッドで寝なさい。」って言って起こされたこともしばしば。

 

 

 

 

とにかく一生懸命だった。

 

目の前の目標に向かって。

 

一浪目のハル、周りの仲良い友達はみんなそれぞれの大学に進学した。

 

 

 

 

私1人、取り残された。

 

親友は同じ大学の違う学科に合格したが、私の為に一緒に泣いてくれた。まるで自分の事のように。

 

 

 

泣いたけど。それで「死にたい。」とかいう発想はなかった。 

そういう発想が頭を横切ることがなかったのは、多分、父や母が愛情をかけて私を見守ってくれてたからだと思う。

 

 

 

 

長く生きてきたいまだからこそ、大学落ちたくらいで、死ぬなんて。

 

 

と、思うが、実際受験に命がけで挑んでいる受験生は多い。 

そして、もし親が子供の存在価値を受験で合格することでしか、認めなかったら、

 

悲愴感には打ちひしがれて自らの命を絶ってしまう子供も、実際いるかもしれない。

 

 

 

なんとなくだが、真面目で成績優秀で、良い子タイプの子供は、親の期待が大きくなるため、

その期待に応えられるよう、いまでも十分頑張ってるのに、自分に鞭打ってさらに頑張ってしまう。

 

 

 

 

二浪目は、違う予備校に通った。

 

 

今回は大きめの予備校で、生徒数も多く、二浪生は私だけではなく、六浪生さえいた。

 

 

もはやレジェンドだ。

 

 

 

なんでも医学部志望の人だったが。

もはや予備校生活が板につきすぎて、私には楽しそうにさえ見えた。

 

 

 

浪人は二浪までだな。私の中ではそう決めていた。

 

 

 

 

 

いまでも覚えているのは、成人の日の事。

 

晴れて成人式に出たくても、模試の日に重なり、出られなかった。(浪人生なので、出てたとしても楽しかったかどうかは、かなり疑問だが。)

 

 

 

 

模試に送ってもらう父の車の窓から、楽しそうに笑っている晴れ着姿の若者たちの集団を、 

まるでドナドナの(知ってます?あったでしょ?音楽の教科書に。市場に売られて行く悲しそうな子牛のことを歌った歌!!) 

子牛の気分で、うらめしそうに眺めてたっけ。

 

 

 

 

とは言え、二浪目は人が多い分、お酒も飲めるようになっていたので、それなりに気分転換しながら予備校生として過ごした。

 

 

 

初めて人を好きになったり、振られたり、初めて付き合ってみたり、

真面目だったため、恋愛については、かなり遅咲きだった。

 

 

 

 

 

 

 

恋するココロを初めて体験したのもその時期だった。 

誰かを思って恋い焦がれたり、眠れない辛い夜を過ごしたり。

 

 

今思うと、青春だったんだろうな。

人よりかなり遅いけど、良い社会勉強になった。

 

 

 

人って、無駄な体験なんて一つたりとも、無いと思う。

 

 

 

いじめられて泣いたことだって、失恋して、眠れない夜を過ごしたことだって。 

体験しないと、その当事者の気持ちはわからないから。

 

 

 

 

辛い体験でも、その体験をすることで、人の気持ちがわかり、思いやる事が出来るようになる。

 

 

 

私の子どもも、小学生の時低学年の頃

アトピーがひどくていじめられて、本人は死にたかったらしい。

 

 

そこまで、思いつめてるなんて知りもしない私や主人は大変反省したのだが。

 

辛い事は本人にしかわからない。だが、近い経験したことがあれば、やはりその人のココロに寄り添うことができる。

 

 

人生はどんな経験も意味があって起きている・・