――佐倉市・鹿島川の惨劇――
その黒いタクシーは、今日もそこにあります。
佐倉市の鹿島川近く。
私が毎日、通勤で通る道路のすぐ脇です。
稲に囲まれ、窓を失い、泥の跡を残した車体。
周囲には、いつもの穏やかな田園風景が戻りつつあります。
それなのに、その一台だけが、8月13日の夜から時間が止まっているように見えます。
2026年8月13日から14日にかけて、千葉県を襲った記録的な豪雨。
気象庁は、この災害を
「令和8年8月千葉豪雨」
と命名しました。
佐倉市では、冠水した道路で一台のタクシーが水没。
乗客の女性が亡くなり、運転手の男性も負傷しました。
ニュースでは、ほんの数行で伝えられた出来事です。
しかし、そのタクシーを毎朝この目で見ると、決して「過ぎ去ったニュース」として受け止めることはできません。
タクシーに乗ることは、あまりにも日常的なことです。
家へ帰る途中だったのか。
誰かのところへ向かっていたのか。
それは私には分かりません。
ただ、いつもの道、いつもの車、いつもの夜が、突然、命を奪う場所に変わってしまった。
その事実だけが、胸に重く迫ります。
豪雨から3週間。
道路には再び車が走り、街には日常が戻ってきました。
けれど、鹿島川近くに残された黒いタクシーは、黙ったまま私たちに問いかけているように思えます。
「いつもの道だから大丈夫」
「車の中なら大丈夫」
「ここまで水は来ないだろう」
災害は、そんな思い込みの隙を突いてきます。
ほんの少しの判断の遅れが、取り返しのつかない結果につながる。
その恐ろしさを、あの一台は言葉よりも強く伝えています。
毎朝、その場所を通るたびに胸の奥が重くなります。
そこにあるのは、単なる水没車ではありません。
一人の尊い命が失われた現場であり、
令和8年8月千葉豪雨の記憶そのものです。
いつかタクシーが撤去され、田園の景色が元に戻る日が来るでしょう。
それでも、あの夜のことまで消してはいけない。
大雨のときは無理に進まない。
冠水した道路には入らない。
そして、引き返す勇気を持つ。
この悲しい出来事を、次の命を守るための記憶にしなければならないと思います。
亡くなられた方のご冥福を、心よりお祈りいたします。
また、被災されたすべての皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。
あの日の雨は、まだ終わっていません。
少なくとも、あの一台が残るこの通勤路では。
