ありがとう

テーマ:
「漫画とは何か?」

 そう問いかけられたら、人によっていろんな答えがあるんだろうと思います。
 あの手塚治虫先生が初めて漫画というジャンルを築かれた当時、手塚先生は本当はアニメーションを作りたかったのだけれど、その頃はまだアニメ制作は難しい時代だったから、代わ
りに紙の上に劇映画のように動きのある絵をお描きになられて、それが漫画というものの始まりだったと聞きます。
 手塚先生にとって漫画とは、いわば白い紙の上に描かれたアニメーションであり劇映画だったのかもしれません。けれど、漫画は沢山の読者のニーズとともに、時と共にどんどんふくれあがり成長し、進化して、いつしか手塚先生すらも追い越して、とても広大で複雑な存在になってしまいました。
 
 さて、このところ子供の頃にすり切れるほど読んでいた漫画を本棚の奥から引っ張り出して片っ端から読み返しています、手塚治虫先生の「ロロの旅路」とか文月今日子先生の「白き森の地に」大島弓子先生の「夏の終わりのト短調」萩尾望都先生の「アメリカンパイ」等など・・・を久しぶりに読んで、やっぱり感動して泣いてしまいました。
 
 
 最近の漫画雑誌のページをめくった時にはっきりわかる変化は背景の描かれ方だと思います。
 昔の漫画って登場人物の背景にいつも豊かな緑や樹々や空がたっぷりと情感を込めて美しく描かれているものが本当に多かったし、主人公たちの心の動きの表現としても、その情緒というか詩情みたいなものは、ものすごく重要な部分だったと思います。
 少年漫画もしかり、少女漫画もしかり。何かあるごとに漫画の中の主人公たちは、日常的に街路樹にそっと手を伸ばしたり額を押し当てたり、空や雲や月を見上げたり、風や雨や雪を振り返ったりしていたものでした。時にそれらは登場人物の夢やインナーワールドと結びついたり、宇宙世界にまで広がって、めくるめく繊細な美しい絵で表現されて、読者である僕たちをも一緒にその詩的な世界を旅させてくれたのでした。

 あれは、いったいなんだったのだろう?と大人になった僕は今、考えます。多分・・・それは人が自然世界とひとつになるという行為、みたいなものだったのだと思います。人には本当は食欲や性欲と同じように、そういう欲求があるのかもしれません。だから人は自然の中に出かけていき、山に登り海に潜り、スカイダイビングをし、スペースシャトルに乗り込んで行ったりするのでしょうか。そして、漫画はあの頃そういった自然世界と一体化するという読者の静かな欲求を密かに叶えてくれていたのかもしれないな、と思います。


 当時から引き続きずっと描き続けているベテランの漫画家の先生の作品を読むと今もそういった詩情のようなものはちゃんとあります。最近の漫画家の先生でも、五十嵐大介先生や岩本ナオ先生を始めそういった世界を大事に引き継がれて描かれている人は沢山います。


 大好きな西村しのぶ先生も新作「砂とアイリス」で、器などの遺跡の発掘調査をしている研究員の人々の日常を通して、土の世界と山々の美しい自然の風景の世界を見事にお描きになられていて、漫画を心から愛する1読者として、とても嬉しいのです。タイトル「砂とアイリス」のアイリスは砂地でも咲く花だそうで、そこに込められた様々な意味もとても素晴らしいなあと思います。


 もちろん物事にはいつしも良い面とそうでない面が両方あるし、過去のものだけが必ずしも素晴らしいわけではありません。今の漫画には今の漫画の持つ素晴らしさがあります。
でも、あの頃の漫画に満ちていたあの独特なワールド、情緒的世界はいったい何だったんだろうと思うし、すごく好きだったなあと改めて思います。そして、どんな時も素晴らしいものをちゃんと引き継いでくださる人達というのがいるものなんだなあという嬉しい驚きも感じています。


 とにもかくにも、あの頃、10代の頃の自分の心を素晴らしい漫画の絵がいっぱいにギュウギュウに埋めてくれていた、そのことに、ありがとう! を言いたいのです。