その日の朝メニュー。


手羽中塩焼き

玉ねぎスライス

具沢山味噌汁

糠漬け大根

雑穀ごはん


完璧4毒抜きメニュー。母とは基本的な色の好みが会うのでほんとに助かる。

このところ、比較的頑張っておられるように思うけど、とくにメンタル面ではこの食事もすこし影響があるのでは、と密かに手応えも感じている。


鶏手羽中をスモークしようとしてうまく行かなかったと残念そうに出してくれたが、

そんなめんどくさいことをやろうとしていることにびっくりながらもとっても美味しかった。


いつもごちそうさまです。


身体が思うように動かなくなってからの母には、なんでも本人がやりやすくなることを探していた。


手が上がりにくいと言えば、高いところのものはすべて手の届くところに移し、

姿勢が崩れるので座るためのサポートが付いている機能的な椅子を探し、

ベットから立ち上がりにくい、といえばベッドの足の長さを高いものにかえた。


だけど、ふと、思えてきたのだが、

こうしていることがすべて母を弱くさせているのではないか


手を上げることをしなければ、そのままさらに上がらなくなる。

ベッドから楽に起きれるとなると、起きるために動かす筋肉を使うことはなくなる。

機能的な椅子も、結局座って安心しているだけで、正しい姿勢はキープできなかった。

どんな椅子であろうと正しく座ろうと気をつけることが大事なのだ。


楽をすると、身体を使わなくなる。

もちろん程度を考慮してハンデを調整するのは必要だが、やりやすいようにと親切にと思っていることがどんどん母を弱くさせていた。

先回りしすぎてはならない。


そう思ってからは台の上にあった鍋やザルを吊るす収納に変え、

椅子はもとのなんでもない椅子にもどし、常にこちらが座り方を指摘、

ベッドの高さはないけど、母自身から「ほんとはベッドをやめて昔みたいに布団の上げ下ろしに戻すのがよいんだけど」と口にするようになった。

そうなんです、布団にして毎日上げ下ろしをするだけでも体をしっかり使えるのだ。


年とってからの少々の不便は買ってでもしなければならない。

高齢者の感覚はわからないながらも、結局は毎日の生活習慣を丁寧に行う。サボらない。

そう強く確信した日の記録。


私自身にも言い聞かせる。

何歳になっても重たい土鍋でご飯を炊き、できるだけ車に乗らず、お風呂の残り湯をバケツで洗濯に使う、さらにもっとたくさんの不便なことにチャレンジしていこうと心に決めている。