12月は、こんな気候だったかしら、

と首を傾げる生活も定番に。

晩秋の風景がまだ続く公園を、

母と久しぶりに歩きました。




娘の結婚ゴタゴタで、すっかり会えずにいた母と久しぶりに再会。私が母を連れ出して出かけるのは重要で、母と同居を始めた兄夫婦が自由になれる時間。やっと、その時間が取れるようになった。私は母に会える、兄夫婦はゆっくりできる、ウィンウィンの時間。


結婚式を終えても、英国に住むビザ取得を待つため、日本で待機中の娘と、夫も伴いみんなでドライブ。昼食を食べ、亡き父と過ごした思い出の公園を散歩した。





美しく紅葉した木々に、クリスマスが近いなんて気持ちが遠くなる。ここはまだまだ秋。ゆっくりと散歩をして、ティールームで紅茶を飲んで過ごしたけれど、母はこの一年で、さらに老いたと感じた。


昨年の今頃は、父の葬式を済ませて遺品の整理、各種手続きに忙しく、その中で認知機能の衰えが顕著に現れて病院で診察を受けるなど、実家の様子は混乱が続いた。

兄夫婦は母との同居を決断して、家のリフォームに乗り出した頃だったと思う。


そんな中、様子見に会いに行くと、ああだこうだ文句を言いながらも語気にハリがあり、食事をすれば、美味しいだの、おしゃれなお店で食べるのが嬉しいだの、様々な感情が表に現れて、出かけるのが楽しかった。


でも、たった一年で随分変わった。

もう、そう言った表情が無い。

心も動かない。



一緒に食事をしても、食べたいものも無く、美味しいわけでも、楽しいわけでも無さそうだった。散歩をしても然り。すべてが作業でしか無いような風情。ただ生きているだけと言うか、死んでいないだけのような母になっていた。唯一喜んでいたのは、娘の結婚式の写真を見ていた時と、公園で食べ物を探す水鳥を見た時ぐらいか。



アルツハイマー型認知症で89歳まで生きた父を看取り、残りの人生を生きる86歳の母。老いに個人差はあれど、人にはちゃんと、ある程度の限界が来る事をあらためて実感する。表情を失うまでに長く生きれたことに感謝。



親の老いに向き合うのは大事だ。

人が老いる事を深く学ぶし、体験できる。



二人の遺伝子を継ぐ私も、もし大きな病気や事故に遭わず、運良く長く生きれた場合、いつかは無になって行くのだろう。その前に、理想とする、ある程度自分らしく生きれそうな「活動期」と言うものの残り時間を考えるようになった。


私が私らしく過ごせる年齢のピークは、75歳ぐらいまでと考えてみた。


料理する事を愉しみ、食べる事を喜べる毎日。

欲しいものがあり、着たい服があり、

きれいな部屋に住む意欲がある自分。

旅をし、長時間のフライトに耐え、

一人でも海外旅行や、娘に会いに行く行動力。

庭作りやメンテナンス、読書を楽しむのもそう。



そこまで、そんな風に生きれるなんて思えば贅沢だし、一方で、その年齢まで、すでに20年も無い事にも気がついた。


だから、すごく考えた。

この20年をどう生きようか。




自分が無になって行く最後の活動期は、

もう始まっているのだから。


日々、そう言い聞かせて過ごしている。