2024年1月12日
震災遺構仙台市立荒浜小学校へ来ています。
ブログで二日に分けて、津波による災害の状況や、発生してから救助されるまでの出来事をご紹介しました
今日は、地震発生時の対応と展示されていた防災用品をご紹介します。
地震発生!そのときどうする
学校にいたら・・・・・・
頭を守り、机の下に隠れましょう
登下校の途中だったら・・・・・・
登下校中に地震の揺れを感じたら、車が来ていないかなど、前後左右、上下を含め安全確認をして、
壁や電信柱など高い建造物から離れて広い場所へ逃げましょう。
バスや電車に乗っていたら・・・・・
座っている場合は前かがみになって、前の座席の背もたれをしっかりとつかみます。
立っている場合は、つり革やシートの手すりをしっかり握るか、しゃがみこんで座席の脚にしがみつくようにしましょう。
揺れがおさまってもあわてて外に飛び出さず、運転手の指示に従います。
海や川の近くにいたら
上流や下流に逃げず、川と直角の高 台に逃げましょう。
海や河口付近にいる場合は、すぐ高台に避難しましょう。
地鳴りがしたら、すぐ高台へ逃げましょ う。
間に合わない時は、土砂をかぶらない よう大きな木の下に隠れるなどが必要です
地震発生
落ち着いて、自分の身を守る
机の下などへもぐる。倒れてくる家具や落下物に注意を。
火の始末は、無理をしない程度にすばやく
ドアや窓を開けて、逃げ道を確保する
(津波、山・がけ崩れの危険が予想される地域はすぐ避難)
1~2分後
火元を確認、出火していたら初期消火
家族の安全を確認
靴をはく
ガラスの破片などから足を守る。
非常持出品を手近に用意する
3分後
隣近所の安全を確認
特に一人暮らし高齢者など要配慮者がいる世帯には積極的に声をかけ、安否を確認する。
火が出ていたら大声で知らせ、協力して消火をする、大火の場合は逃げる
余震に注意 大きな地震の後には余震が発生する。
5分後
ラジオなどで情報を確認
間違った情報にまどわされないように。
電話はなるべく使わない
家屋倒壊などの恐れがあれば避難する
ブロック塀やガラスに注意
車は使用しないこと(山岳部などの一部地域を除く)
5~10分後
保育所・幼稚園や小・中学校に子どもを迎えに行く
自宅を離れるときには、行き先を書いたメモを目立つ場所に残す。
さらに出火防止のため、ガスの元栓を閉め、電気のブレーカーを切る。
10分~数時間
隣近所で協力して消火や救出および消防署等へ通報する。
~3日くらい
災害発生から3日間程は、外からの援助は期待できない、備蓄で賄う
災害情報、被害情報の収集、市の広報に注意する。
壊れた家には入らないこと
引き続き余震に警戒する
避難生活では
自主防災組織を中心に行動を
集団生活のルールを守る
助け合いの心を
三密(密閉・密集・密接)を避ける
衛生管理に注意を払う
荒浜小学校には仮設トイレが供えてあって助かったそうです。
テント張りの簡単なものですが、十分に機能したようです。
アルファー米の非常食なども展示されていました
今の時代はこの他にも便利な非常食がたくさんありますね。
暗幕やカーテンは、寒さを凌ぐ毛布代わりになったり防災頭巾替わりにもなったようです。
床からの冷えを和らげるために、段ボールや紅白旗を床に敷いて寒さに耐えたのでした。
お腹が空いたので、アルファー米を水で戻して食べたようです。
お湯が無いので固いままでしたが我慢して食べたようです。
乾パンも少しづつ食べながら水を飲み空腹をしのぎました。
子供から高齢者まで、限られた物資を分け合い。寒さや空腹に耐えながら救助を待ったそうです。
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震災後に、備えを強化した七郷小学校の戸棚ですが、それでも余震で被害がありました。
対策を見直して、安心・安全な学校を目指して改善し続けているようです。
飲み水とは別にトイレ用の水も備蓄しています。
春夏の花壇の水やりに使い、ローリングストック化していますね。
また、トイレットペーパーは別に設けたビニール袋に捨てると少ない水で流せるそうです。
プリンタが地震で落下して壊れてしまったので、落下しないようにベルト固定しています。
湯沸かし室の湯飲み類も100円ショップの物を利用して落ちないように対策しています。
体育館で行事がある時は、椅子の上や床に座る時に座布団代わりに防災頭巾を使っています。
音楽室では、楽器が落ちないように保管場所に紐を張っています。
どうでしょうか、水の備蓄や落下防止対策、平常時の防災頭巾の利用の仕方、参考になることばかりだと思いませんか。
皆さま方も考えて実践されてみてください。
ところで、荒浜小学校で在校生のみならず近所の方々までも救出されたわけですが、こんなエピソードも残っていました。
震災の2週間前。前震が続くなか、校長先生は避難マニュアルの変更を決意しました。
体育館への一時避難を省略し、直ちに最上階(4階)へ駆け上るルールとしたのです。
結果的に体育館は津波によってすべて失われたことから、校長先生の判断の正しさが実証されたのです。
これにより、生徒のみならず近隣からの避難住民を含めた320人が救われました。
しかし、荒浜地区ではおよそ800世帯が津波の被害を受け200人近くが犠牲となっています。
震災遺構荒浜小学校を通して、あの日の経験と教訓を次の世代につないでいきたい。
荒浜の人々の願いでもあるのです。