こんな事書くか書かないか迷っていましたが、せっかくはじめたブログを使って少しでも見てくれた人が健康に目を向けて欲しいなと思い書くことにしました。

だいぶ長文ですがお付き合いくださいね。


47歳と数字で見ると更年期を迎えた感じと思われそうですが、実は見た目は若い方なのです。

MTBなども山登り降りもしてたり、スノーボードは何十年wもしています😅


その日は朝から少々の頭痛があって、でも旦那とスノーボードに行く予定だったし、いつもの頭痛と変わらず疑わず。


規模が小さくてお客さんもいつも少ないスキー場で、リフトのスタッフのおじさんとは顔見知り。

というかおじさんは私のウエアで判別しているので、春雪の格好だとわからないのですが。


行けば私のMTBやBMXの仲間のファミリーもいるだろうと、そんな気持ちでいつも滑りに行くのです。

やっぱり当日も一組の仲間ファミリーがいました。


数本旦那と単純なコースを滑り、なんだか頭痛が少し強くなった気がして車に置いてあったロキソニンを飲みに行きたいと休憩をしました。

その時オヤツも食べました。


もう一本滑ろうと滑って、リフト乗り場で駐車場近辺でもあるベースエリアで仲間ファミリーが居て一緒にお話ししていました。

喋り終えてさてもう一本滑ろう!と思って方向を変えた時、孫悟空の頭についてる輪っかが思いっきり締め付けているような強烈な痛みが襲い、自分を制御できず声が「あーーー!!!」と出たまま苦しくて。


仲間か?旦那か?自分か?救急車を呼ぼうということで慌てるのですが、旦那が携帯から電話しているのを旦那の膝で寝かされた私は様子を苦しいけど見ています。

スキー場の救護の人?が毛布をかけてくれて、救急車が来て、私はもう目を開けているのも大変であとは何も見えていないのですが意識があって会話も短くですがしていました。


救急車を呼んだ時の症状なのか?電話口で苦しい声が聞けたのか?救急でドクターヘリ🚁を要請してくれたのです。


私には15分ぐらいで救急車が来たように感じましたが、山の上ですからどれだけ救急車が🚑慌てて来ても30分はかかったようです。


救急車が着いて雪の上の私をソリで運んで救急車の中へ移動します。

血圧を測りますが激しく腕が痛いし、救急車に乗せられた安堵か?恐怖感か泣わめきます。


そのうちドクターヘリが少し離れた車がほとんど無い丸々空いた駐車場に着陸できたようで、そこまで救急車で旦那も乗せて走りました。


ドクターヘリにはドクターとナースが乗っていて、ヘリは私は見えて無いのですが、ヘリのベッドに移動した時に「佐久の病院から来ましたドクターの○○とナースの○○です」と聞こえ、少し目を開けて先生を見ました。

「くも膜下出血の疑いがあります」とドクターは診断してえらく私はビックリして起き上がりました。

同時に先生と看護師さんが美男美女だともそこで気付きます。


佐久から長野市(詳しくは長野市の隣の郡ですが)まで10分ちょいで着いたよう?です。

長野赤十字に搬送しますと言われ旦那は救急車から降ろされて、自分で車で長野赤十字まで向かってくれとのことで、救急車で窓外が見えなくてここはどこ⁉️となったそうですが、雪の中を車を探して戻ったそうです。


私はヘリ🚁もなんとなく怖い気持ちもありましたが「病院まで10分、3回ぐらいフワっとしたら着くからね」と言われジッと3回数えヘリポートに着いたのです。

でも断片的にしか覚えて無いのですが。

その日は天気が良くて風も全くなく、ドクターヘリは平らに飛んでたとすごく思いました。


病院へ着いてからか?ヘリからか?目隠しで暗く安静にさせられて、CTを撮ってもらうのですが、カシャカシャと機械の音が聞こえ、でも私はもうふらふらしていて安静にさせられるお薬を入れてもらってたのか?あまり記憶がないところが手術までの数時間。


ピアスもいくつもつけていて金属類は病院の誰かに取ってもらいました。


緊急手術の運びとなり、その日は土曜日でしたが赤十字には脳神経外科のお医者様がいてくださり、搬送から多分検査をいくつかして造形剤を数回入れて、やっと脳血管の小さいコブが分岐点に見えたようです。


その手術の説明やサインは旦那が到着していろいろ先生からあったようです。

旦那はお昼前の発症だったためお昼ご飯も食べず、結果夜の8時まで何かあった時のためのサインなどで病院で待機していたそうです。


開頭手術は記憶障害の恐れもあるため、なるべくは股関節からのカテーテルで手術ができればと、コイル塞栓で施してくださりました。

4時間の手術だったようです。


ただ細かい脳の血管の分岐にできたコブが最初わからなかったようで、手術もコブが小さくとても苦労されたとのことを退院時に先生の説明で聞きました。


最初の旦那への先生からの説明だとICUに2週間、入院病棟へ移って1ヵ月は入院とのことだったようです。


私は結果的に18日間で退院しましたが…


ICUの記憶は合計数分間ですが、担当医ではなく⁉️他の先生が麻酔から起こしてくださって、起こされたと同時にものすごくたくさん私は喋った記憶があります…


どうもその時は早朝で、私が頭を痛がって暴れていたようですが。旦那へ先生が電話してくれたのも覚えていますが風景は全く見えていません。


その日は発症から次の日、一晩喋り続けたのか⁉️それはわかりませんけど😅

付き添いの先生に「あなたはしゃべっていないと死んじゃう病気ですか😂」とか、口も目も開けたくないし眠いしなんもしたくなーい!!と私が言ったようで、最高のダメ人間ですよ😂などジョークを言ってくれたのを覚えてます。


そんなに喋るから⁉️もう発症から翌々日には一般病棟に移され、背中にはどうも髄液と頭に溜まった血液を流し出すドレーンという管が入っていたようで、しばらくは右に寝る日、今晩は左向いて寝てと看護師さんに言われてそうしました。

横になっていると血液も髄液も上手に流れていたそうです。


5日間ぐらいは鼻に入れた管から栄養を流してくれてて、あとは柔らかいご飯が2日間ぐらい。

でも得体の知れない柔らかいものは喉に通らずでした。


そのうちお納豆や漬物、お粥など、しばらくしてから通常食になりましたがベッドを90度ぐらい上げると血圧が上がるのか⁉️具合悪く、45度ぐらいで上半身を起こしてもらってお納豆を食べたり。

こぼれちゃうのですが美味しいお納豆でした…


寝ていると血圧測定や点滴、お薬の時間お食事、いろいろ看護師さんが寄り添ってナースコールは何度押したかわかりません。


どうも後から資料をみると発症から1週間でMAX血管収縮で頭痛に苦しむとの説明書き。

反することなく頭痛で苦しみました。


そのうちドレーンが抜けて大部屋に移り、そこからは自力でトイレも行けて。

でも頭痛は退院の2日前までありました。


寝ながらオムツで用を足すのは一苦労💦腹圧がかからないと出ないんですね!

何度も看護師さんが肛門から指を入れてくれて便の位置を見てくれたり、私が出ないから吐いて苦しくてと言ったら浣腸をしてくれて。

それっきりケロっとしてご飯を完食するのでした。

退院は予定より早く、それから半年は脳梗塞を防ぐために血栓にならないためのお薬を毎日飲みます。

体力も2週間ぐらいでもとに戻りつつありますが、立ち上がるときになんか頭の方が嫌な感じがします。


脳卒中のグループに脳梗塞、脳出血、くも膜下出血とあるようで、私はそれを退院して旦那が知識のために買った本の内容で教えてもらいました。


突然襲われるくも膜下出血、私のように後遺症が全くなく社会復帰出来る人もいれば、後遺症によってご苦労されてる方もいます。


たまたま…いろんな加減や高年齢で死亡してしまう人もいます。


多分この病気を防ぐためにはストレスをためない、食生活を若いうちから見直す、血圧が上がらないようにするだと思います。


私も詳しくわからないのですが、コブになるところはいつも圧がかかってコブが大きくなってと聞きます。

怒ることも私はしばしば。子供だけでなく、旦那へも。ウチは次男と旦那がとても私にとってはストレスの元です。

もちろん居てくれて楽しく、いい人たちですが、通じ合わないことが多くぶつかります。


原因は食生活も大きな問題だと思ってます。

塩分など気にしたこともない、お味噌の作り方も適当。

でも食材も特に気にしているし、健康にはとても気をつけていたと思います。


たまたま漢方の処方も他症状でしていただきそちらも改善されてきてて、でも処方量がちょっと多めなので血圧を気にしててと薬剤師さんから注意されていました。


若いから!まさか血圧が高く血圧毎日記録しましょう!なんても思わなかったし。


でもこれで周りの人に言いたいこと、脳ドックを受けてください。

DJKOOさんも番組で脳動脈瘤を処置してもらったお話しTVで聞きました。

DJKOOさんは発症前に検査でわかり処置してもらったこと、今は元気になったことを体験をお話ししてました。


多分急に出来たコブでは無いと思われます。

でも幼少期からストレスは多大にあったと思います。

自分ではどうしようも無いことですが、本来なら考え方を変えたら済むのではとも思います。


私の知らない人でも誰でも家族がいても居なくても、家族が心配になるようなことが降りかからないことを願います。


年齢だけでなく、血の繋がった家族なら疑いもあると思うしデータもあるのではと思います。

好きな事好きなだけやって健康に過ごしていきましょう!


メインをフルートにしようとブログはじめた矢先の出来事だったので、一度外れますが、私はもう普通にフルートも吹いてステージも出たりする準備もできています。

レッスンも何度もやって今まで通りにレッスンもできています。


これからはフルートのこといっぱいかけたらと計画中です。


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