先ほど、ワンコのお散歩から帰ってきました。
dw、タイトルの通り、「生きる」ということについて
書きたくなりましたが、
何をかくのかは分かりませんが、
キーを打って行きます。

というのは、家の近くの片道2車線、
計4車線道路で原付と車の事故がありました。
私が通りかかった時は、
まだ事故が起きてすぐだったらしく
人混みはできてましたが、
救急車はまだ到着していませんでした。
バス通りなので車が多く、
5・6人の人たちが片側2車線を
もう片側車線に誘導していました。

原付の女性は、間もなく到着した
救急隊員の呼びかけには応じませんでしたが、
心臓マッサージしながら運ばれて行きました。
私も必要であればと高次にお願いして
エネルギーを送らせていただきました。
でも、それが彼女の寿命であれば…

人は自分の寿命が分からないということは、
いろいろと考えさせられます。
物事に執着しすぎていたり、
未来のことばかり考えて「今」をお粗末にしていたり。
将来は、きっといつかは、とばかりでは、
それは永遠にくることがない未来だったりして。

メルマガ様に降ろしている高次の言葉に、
「人は生かされているのではない」という言葉がありました。
世間では、よく言いますよね。
「生きているのではなく、生かされているのだ」と。
でも、高次は「人は、生かされているのではなく、◯◯◯なのだ」と。
その◯◯◯の中の言葉は何だと思いますか?

流石!!!!と、私は思いました。
ま、ここでは書けませんが。数ヶ月後のメルマガをお待ちくださいね。

皆さん、人の最後は本当に儚いものです。
生まれくる時は、10ヶ月も待ちわびさせるのに、
最後の時は誰も知らないうちに、
いきなりその時がきたりします。
こういう場合、一番悲しいのは、
自分自身ではなく、きっと身内なのですね。

後悔のない人生を☆