何がどうだろうと自分自身がそれを選んでいるということ。
「全ては自分ありき」ということは知っていても、それを物事に当てはめるということはなかなか難しいものですね。
人と人との交わりの中で言葉だったり、接触だったり何かしらの影響を与え合っているのですが、
「それによりこうなった」と相手の事に目を向けるのはちょっと違うのですよね。
最終的にどう判断し、どのような行動に至ったかは、全て自分なのですから
こう言ったら、こんな言葉が返ってきてビックリ!とか、
こんな行動されちゃったとか
全てその方のフィルターを通して判断だったり言動だったり、行動になっているものなんですね。
スピ世界に疑問を持つ息子と話していると、いろいろ視点を変えて考えることができるので、驚きや発見などがあります
「お母さんは駄菓子なんて、小さい頃から食べさせなかったよね」という話になり、息子は「どれだけ添加物が入っていようと構わない」と言うのです。
まぁ、そんな構わない身体でいること自体、感謝なのですがね
というよりも、そんなどっぷり化学薬品付けの食べ物は家にはないのですが
つまり考えだけなので、実際そのような生活だったらどうなのかって話しでもあるのですが
私自身そのような駄菓子生活を子供の頃にあまり経験していないので、テレビで赤色何号とかいう添加物の存在を知った時に「まるでペンキだ
」とギョッとしたことが忘れられません。
そんな私に「だけど、矛盾しているよね~」と息子は言います。全く自然の食べ物ばかりであるかというとそうでもないからなのですが、それは自分で「アレもダメ。コレもダメ」となるとストレスになるので、そこの所はなるべく添加物の少ないものをチョイスするという緩い感覚でいるようにしているからなので、そのように言われたのですね。
人間この世で生きるには、どれだけ自分が精神的に楽でいるかという選択が必要なのです
「そんなことを言っていたらね、何もかも自給自足しなくっちゃいけないじゃない、なるべく少ないものという姿勢が大切よ」と言っても「そんなの半端じゃない?どっちか極端でいいやん」と返されました。
「今アメリカで肥満の人がどれだけいて問題になっていると思う?ジャンクフードの生活をしてきているからよね?ラードが入ったオイルで揚げた物を毎日食べたりしてるからじゃない?親は関係ないんじゃない。子供の味覚は6歳までで決まるというから、それまでの食生活は親の責任でしょ。大人になったら自己責任だけど、それまでの食生活、それが当たり前の味覚になってしまってるのでしょ」
と、そこまで話をすると、結構味覚が鋭い息子は黙ってしまいました
で、翌日遅い朝のワンコのお散歩の時にそのことを振り返っていましたら、ふとある思いが浮かびました
本当に美味しいものを美味しいと感じて頂く幸せもある

出された物を全て心から美味しい美味しいと言って頂く有難さもある

それは自分次第であるということなんですね
要は、どんな感情を抱いているかということなんです

その時発しているエネルギーが全てなんです
完全無農薬でなければ買えない
添加物0でなければ買えない
アレもコレもダメ
蕁麻疹などの身体に反応が出ないのであれば、そこまで神経質になること自体が健康でいられることでしょうか。
かといって、どっぷり添加物入りの食べ物を選んで買う必要もない話しですがね
健康であれば、選べる範囲でというスタイルですよね、やはり
まぁ健康でいることに感謝しなさいって、話しですよね。
「喜びを受け取ります、皆様と共に
」
「全ては自分ありき」ということは知っていても、それを物事に当てはめるということはなかなか難しいものですね。
人と人との交わりの中で言葉だったり、接触だったり何かしらの影響を与え合っているのですが、
「それによりこうなった」と相手の事に目を向けるのはちょっと違うのですよね。
最終的にどう判断し、どのような行動に至ったかは、全て自分なのですから

こう言ったら、こんな言葉が返ってきてビックリ!とか、
こんな行動されちゃったとか

全てその方のフィルターを通して判断だったり言動だったり、行動になっているものなんですね。
スピ世界に疑問を持つ息子と話していると、いろいろ視点を変えて考えることができるので、驚きや発見などがあります

「お母さんは駄菓子なんて、小さい頃から食べさせなかったよね」という話になり、息子は「どれだけ添加物が入っていようと構わない」と言うのです。
まぁ、そんな構わない身体でいること自体、感謝なのですがね

というよりも、そんなどっぷり化学薬品付けの食べ物は家にはないのですが

つまり考えだけなので、実際そのような生活だったらどうなのかって話しでもあるのですが

私自身そのような駄菓子生活を子供の頃にあまり経験していないので、テレビで赤色何号とかいう添加物の存在を知った時に「まるでペンキだ
」とギョッとしたことが忘れられません。そんな私に「だけど、矛盾しているよね~」と息子は言います。全く自然の食べ物ばかりであるかというとそうでもないからなのですが、それは自分で「アレもダメ。コレもダメ」となるとストレスになるので、そこの所はなるべく添加物の少ないものをチョイスするという緩い感覚でいるようにしているからなので、そのように言われたのですね。
人間この世で生きるには、どれだけ自分が精神的に楽でいるかという選択が必要なのです

「そんなことを言っていたらね、何もかも自給自足しなくっちゃいけないじゃない、なるべく少ないものという姿勢が大切よ」と言っても「そんなの半端じゃない?どっちか極端でいいやん」と返されました。
「今アメリカで肥満の人がどれだけいて問題になっていると思う?ジャンクフードの生活をしてきているからよね?ラードが入ったオイルで揚げた物を毎日食べたりしてるからじゃない?親は関係ないんじゃない。子供の味覚は6歳までで決まるというから、それまでの食生活は親の責任でしょ。大人になったら自己責任だけど、それまでの食生活、それが当たり前の味覚になってしまってるのでしょ」
と、そこまで話をすると、結構味覚が鋭い息子は黙ってしまいました

で、翌日遅い朝のワンコのお散歩の時にそのことを振り返っていましたら、ふとある思いが浮かびました

本当に美味しいものを美味しいと感じて頂く幸せもある


出された物を全て心から美味しい美味しいと言って頂く有難さもある


それは自分次第であるということなんですね

要は、どんな感情を抱いているかということなんです


その時発しているエネルギーが全てなんです

完全無農薬でなければ買えない
添加物0でなければ買えない
アレもコレもダメ
蕁麻疹などの身体に反応が出ないのであれば、そこまで神経質になること自体が健康でいられることでしょうか。
かといって、どっぷり添加物入りの食べ物を選んで買う必要もない話しですがね
健康であれば、選べる範囲でというスタイルですよね、やはり
まぁ健康でいることに感謝しなさいって、話しですよね。
「喜びを受け取ります、皆様と共に

」