前回記事 日本にはない発想 を「アメリカの学校で嫌いなこと」アメトピに掲載していただいたようで、

多くの方に読んでいただけました。

読んでいただいた皆様、新しくフォロー登録していただいた方、ありがとうございます。

 

せっかく「アメリカの学校で嫌いなこと」というタイトルに興味をもっていただいたので、

今度は逆に「好きなこと」を書きたいと思います。

 

こちらの消えたお友達という記事で昔書いたことですが、

アメリカの教育において根底に流れている思想は

 

咲く場所を探しなさい

 

なのではないかと思います。

 

そして、

個人の能力に差があるのはあたりまえ。

人と「合う・合わない」があるのはあたりまえ。

 

が前提にあるように思います。

 

逆に、日本は

 

置かれた場所で咲きなさい

 

と与えられた環境で耐える忍耐力、集団への適応力、そういった力が重視されているのではないかと思います。

 

能力の個人差はできるだけないものと考え、

みんなが同じくらい頑張れば、みんな目標に到達できるはずだ、という精神論です。

狭いくせに人口がやたらと多い島国で「あの人とは合わない」といっていたら行く場所がないからなのか、

どんな人とでも「お互いを理解しあえるはずだ」と信じ込まされているように思います。

 

もちろん、そのおかげで、

この「空気を読める国民性」が醸造されているわけで、

マイナスばかりではありませんが、

学校で生徒・先生、そして保護者までもが疲弊しやすいのは

この「おかれた場所で咲きなさい」という精神論があると思います。

 

消えたお友達では、保育園を退園になった子のことを書きました。

実は我が息子ちゃんも最初の保育園をクビになっています。

現地保育園を退園になりそうです

 

キンダーを含むElementary school ではどうなのかというと、

クビになった子は身近ではいませんが、

担任と合わない、

ということでクラスを変える子はいます。

 

別の学校に行っているお友達は

アメリカではまずありえないくらい厳しい担任の先生にあたってしまいました。

とにかくこわくて、体罰に近いような懲罰的なことをさせられることもあるようです。

 

そのクラス、早々に

3,4人くらい

違うクラスに移動したそうです。

 

(お友達は耐えていますが)

 

学校側も保護者からの申し出があればフレキシブルに対応してくれるようです。

 

厳しい先生が合う子もいれば、

合わない子もいますもんね、特にキンダーなら尚更。

 

ある程度子どもも先生も選べる、

というのは、双方の負担を減らすと思います。

 

ちなみに、どこかでちゃんと書こうと思っていますが、

Gifted のクラスや飛び級の制度、

逆に落第の制度

または入学を遅らせることが、できるなど、

子どもの能力に合わせて多様な選択肢が用意されています。

 

親は選択が大変ですが、

アメリカは

多選択肢自己責任社会

だと感じます。

 

 

日本もせめて、

(というか、根本的なことですが)

学齢主義、と呼ばれる年齢に縛られた教育システムを見直し、

修得主義、と呼ばれる、必要な学力を満たせば進級、といった形に変えることを

検討するべきだと思います。

 

 

なんでもアメリカ型がいいとは思いませんが、

いいところは取り入れて行けばいいのになぁと思います。

 

 

 

 

キンダーに早期入園?