現時点では、「民主主義」という政治体制が最も「マシ」であるとされています。

とはいえ、人間のすることに「完璧」などあり得ませんから、「民主主義」も多くの欠陥を抱えています。

 

「民主主義」が正しく機能するためには「最低条件」があります。

①有権者に正しい情報が伝えられること

②有権者は常に合理的な判断を下すこと

 

偏った情報が判断を誤らせ、人々が非合理的な判断を下したとき、「民主主義」は基盤を失い、あっけなく崩壊します。

この失敗は、「民主主義」という概念が誕生して以来、何度も繰り返されてきたのですが、人類はいまだにそれを修正するアイデアを持ちません。

「独裁主義」は「個人(または一部)の独断専行」ゆえの悲劇を生みましたが、「民主主義」もまた「多数による意思決定」ゆえの悲劇を生んでいるのです。

 

「民主主義」によって形成される集団は、「多数決=集団の総意」とみなすため、反対意見を「集団にとっての異分子」として排除しようとします。そうして集団の「多様性」が失われると、多数派が判断を誤ったとたん、その集団は簡単に崩壊します。

「一つにまとまる」ことにはメリットもありますが、引き換えに「全滅」のリスクを背負い込むことになります。実は意見がバラバラであるほうが、さまざま危機に臨機応変に対応でき、集団を維持していけるのです。

 

さて、前回、「第4の権力」というアイデアを述べました。

もちろん、実現にはたくさんのハードルが立ち塞がりますし、では人選をどうするのかなど、根本的な問題があります(下手な人選では、単に「立法機関」の追認・お墨付きにしかならない)。

でも、そうした事務的課題はいったん置いて、少なくともそちらの方向に向かって歩み出すべきではないか、というのが私の個人的見解です。

 

現在の「三権分立」の最大の欠点は、「立法」と「司法」の間の距離が離れすぎているところにあります。ここにもう一つの「関門」を設けようというわけです。

 

前回も述べたように、「司法」は「法を遵守させること」が仕事です。しかし、それでは、「立法機関」が判断を誤った場合、まったく修正が利かないことになります。どこかで「立法」にブレーキをかける手段が必要です。

本来それは、国会における野党の仕事なのですが、今の日本を見れば、まったく機能していないことがおわかりいただけるかと思います。むしろ運転している与党に対して、「もっとギアを上げろ」とけしかけているくらいですから。

 

「ダメな国会(立法)なら、有権者が次の選挙で選び直せばいい」と言う人がいますが、選挙と選挙の間にはどうしてもタイムラグが生じるため、そのわずか数年の間に「集団が全滅」してしまうおそれがあります。

戦争や天災、あるいは今回の「パンデミックごっこ」など、突然「非日常」が出来すると、多くの人はたちまち冷静さを失います。いわゆるパニックを起こすのです。

冷静さを欠くと合理的な判断を下すことは難しく、声の大きい一人が「こっちだ!」と叫ぶだけで、全員がゾンビと化し、ぞろぞろ後に付き従う事態になります(『ネプリーグ』のトロッコ場面を見よ)。

そんな「ハーメルンの笛吹き」状態では、いくら選挙を行っても、有権者は決してブレーキ役を選びはしないでしょう。結果、「大政翼賛会」が生まれ、「集団自決」へと突き進んでいくのです。

80年前に一度、我々はその大失敗をやらかしています。

 

これを防ぐには、熱にうかされた国会で法律が制定されても、その熱を冷ますワンクッションが不可欠です。そこで法律の内容と社会に与える影響を沈着冷静に分析・評価・吟味しなければいけません。

ですので、この機関(第4の権力)に求められるのは、「熱い感情」ではなく「冷徹な論理」ということになります。

 

世間では、大岡越前の「三方一両損」に代表されるように、人情味あふれる「文系型」の裁判官が美談とされていますが、これには大きな欠陥があります。前回も述べたように、時と場合で結論がブレてしまうのです。奉行が加藤剛(あるいは東山紀之)でなかったら、まるで違うさばきになっていたかもしれません。

現在、「法学」は、2で割ると「文系」にカテゴライズされています。法曹資格を目指すのは文系人間ばかりです。残念なことに、彼らの大半は「科学的思考」の訓練を受けていません。実際、「科学音痴」の裁判官、弁護士、検察官が大勢います。

 

やはり、立法から司法に至るどこかの段階で、理系の「一貫性」を導入しないわけにはいきません。この状況に左右されない「一貫性・普遍性」が、法律に揺るぎない「強さ」を与えるのです。

 

時間がなくなってきたので、この辺でやめますが、いわゆる特定ジャンルの「専門家」ではほとんど役に立たないことは、ここ数年で皆さんもよく理解されたことでしょう。

「第4の権力」に求められる資質は、法律の基礎知識プラス、物理学~心理学までの多岐にわたる科学的知見を持っている人材です(私はそれをひっくるめて「総合科学」と呼んでいます)。
 

いずれにせよ、「三権分立」が有名無実と化した今、我々は新たな政治システムを考え出さなければなりません。でないと、人類は22世紀を迎えることなく、地上から姿を消すことになるでしょう。