「現在の社会は太平洋戦争中のようだ」
という声をよく耳にします。
日本国内で見れば、まさにそのとおりだと思います。
「1億総洗脳」され、メディアが垂れ流す「大本営発表」を鵜呑み丸呑み。
言論は検閲され、情報は隠蔽され、反対する者は「百害あって一利なしのマスクを強要される」など激しい弾圧を受けています。
かつては「鬼畜米英」に、今はウィルス相手に、「精神論」で戦いを挑もうとしています。
世界的に見れば、ずっと時代を遡って、教会が絶大な力を持っていた「中世~近世」のように映ります。
ガリレオが、どんなに正しい観測に基づき「地球が太陽の周りを回っている」と主張しても、教会の一言で葬り去られた時代です。
ただ権威の主体が教会から「専門家」に移っただけ。
彼らが持っているのは、「科学的思考」ではなく「熱烈な信仰」であり、残念ながら「信仰」を合理的に否定することはできません。
「信仰」とは「何も疑わずに受け入れること」であり、「考えることを放棄すること」だからです。
「暗黒の中世」と呼ばれるのは、古代ギリシアで芽生えた「自然科学」の思想がストップしてしまったからです。
以降、数世紀にわたって「科学」の進歩は停滞してしまいました。
「もし中世がなければ、人類はとっくに他の惑星に到達していた」という話もあります。
今、「急進的に過ぎた科学に対する反動」が起こっているのではないか、と思います。
特にここ数年、発展した科学技術についていけなくなった(取り残された)世界中の多くの人々が「先祖返り」して、オカルトに傾倒しつつありました。
キリスト教などメインストリームの宗教が、科学によって否定されてしまった影響もあったでしょう。
つまり、「事実」より「情緒」を優先する社会が出来上がりつつあったのです。
その延長として、現在の混乱が起こっている気がしてなりません。
ISのような原理主義の台頭も、世界中にあふれるコロナ脳も、根っこのところは同じ。
「自分には理解できない科学」より「感情的に納得できる迷信」を優先しているのです。
「マスクは感染に影響しない」というデータにいっさい興味はなく、「マスクをしていれば唾を抑えられる」という経験則が大事なのです。
異を唱える者に対して「ヒステリックで暴力的な弾圧」を加えようとするところも、両者に共通しています。
中心にあるのは「反科学思想」ですから、合理的に説得することは困難です。私もあちこちで奮闘していますが、想像以上に手ごわい相手です。
「コロナは風邪」「5類に下げろ」というのは、彼らにとっては「神聖な神」を冒瀆されるのといっしょ。
マスクもワクチンも「信仰のあかし」であるイコンです。
ノーマスクの人に対するかみつき方は、「狂信的」という表現がピッタリでしょう。
ワクチンを打たない人に向ける憎悪は、まさに「異教徒」に対するそれです。
これをひっくり返すには、「感情」より「理屈」を重視する理性的な人々が増えなければなりません。
私にできることは、地道に「正しい情報」を発信していくことくらいです。