大谷に憧れるのをやめましょう | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

大谷翔平がテレビ中継のとき、愛犬を連れて一緒に

映っていた、

大谷にしては珍しくあざといなと感じたのはオレだけだろうか。

まあ、それは別にいいのだけれども。

 

しかし、今さらだけど、ドジャースと契約した大谷の年棒が

えげつない。

100分の1でもいいからオレにくれないだろるか。

くれないだろうな、絶対。

 

野球が国技の国に渡って、本塁打王になるというのはすごい

ことだ。

同じ日本人としてオレは純粋に嬉しい。

日本で日ハムに入団したときは、二刀流なんて絶対無理だと思っていたが

しっかりやりとげているのは脱帽である。

 

さて、今回はあえてこのような記事タイトルにしたが、誤解しない

でいただきたい。

オレは大谷が別に嫌いじゃないし、大谷を批判するつもりは微塵もない。

 

大谷に憧れるのはやめましょうと、大谷の言葉を引用してこういう記事タイトルに

したのは、大谷を批判するという意味ではなく、大谷の活躍を

‘努力や成功論のプロパガンダ’

に利用する人間がでてくることを危惧してのことである。

 

はっきりいって、大谷は天才タイプであり、また特別である。

 

もちろん並大抵でない努力を大谷がしていることは認めるが、

大谷の成功の要因は生まれもっての才能が占める割合が大きいのである。

 

鬼に金棒。

大谷にとって努力は金棒。

つまり大谷は金棒がなくとも、強い鬼であることには違いないのである。

そこを間違いてはいけない。

アスリートとしての精神力と運動神経と体格をもって生まれてきた

天然の天才なのである。

 

勘違いしてはいけない。

決してオレが努力が嫌いだからいうわけではないが、超現実的な話を

すると、大谷に憧れる子供が、今から大谷とまったく同じ練習メニューを

おこなって、まったく同じ時間の練習量をこなしたとしても、99%の確率で

大谷とまったく同等にはなれないはずである。

プロ野球選手まではなれるかもしれないが、大谷みたいにメジャーまでいって

投手で10勝および、ホームラン王というのはまず無理だろう。

 

大谷は別格なのだ。

 

大谷が活躍すればするほど、小学校や中学校などで、教育者が大谷のことを

努力や成功者の象徴みたいに語るシーンが見られるかもしれない。

オレが一番はじめに話した懸念はそこである。

 

努力すれば夢は必ず叶う。

誰でもやればできる。

それを大谷翔平が教えてくれた。

 

そんな夢ごとをいいだす教育者がではじめるのではないだろうか。

 

はっきりいおう。

プロ野球選手にはなれるかもしれないが、大谷になれる可能性はほぼ0に近い。

 

子供の夢を粉砕するつもりはないが、哲学者の中島義道っぽくいうところの

オレは大谷の存在を成功の象徴として教えるのではなく、特例の象徴として教える

いい機会なんじゃないかと思う。

 

世の中にはほんのひとにぎりの報われる人、天才タイプがいて、

あとの人間はそこまで達せないということ。

人間の努力には限界があり、決して同じ努力量をこなせば、その人と同じ

存在になれるというわけではないということを。

 

大谷の才能からして、彼はこれからもドジャースで活躍し続けるだろう。

そんな大谷を野球少年らが見て勝手に憧れるのは自由だ。

だが、そんな純粋な子供たちの純粋な心につけいるようにして、

大人たちが

「ほら、頑張れば君も大谷みたいになれるよ」

「努力すれば報われるよ」

と、夢み事をプロパガンダで吹き込むことだけには危機感を感じる。

 

努力論を吹きこまれすぎた子供は、大きくなって現実に直面した時、

あまりにも理不尽さと努力の見返りのなさに愕然として自殺などを

してしまう。

子供も大人が思っているほど馬鹿じゃない。

子供は子供なりに自分の世界観を持っているものだ。

小さいころからそれなりの現実を教えてあげるのもいいかと思える。

 

大谷は大谷、あなたはあなた。

あなたはどんなに頑張っても大谷になれないけれど、

逆に大谷もどんなに頑張ってもあなたにはなれない。

 

最後に、

流行語大賞候補にもなった大谷自身の「憧れるのをやめましょう」という

言葉を引用し、今回あえてこういう記事タイトルにしたが、途中でも書いた

とおり、オレは決して大谷の存在を批判するつもりはない。

 

あくまで憧れる対象としては相手が高い位置にいすぎるということを

いいたいだけ。

憧れの対象としてはちょっと的まずれだけれども、あくまで凄腕のメジャー

リーガーとして、ひとりのエンターティナーとして観て楽しむぶんには

最高の存在だと思う。

 

ただ、人に目標だとかを説くときに、大谷の活躍と成功をプロパガンダ的に

利用する人間にだけには納得いかない。

世間のほとんどが大谷のことを子供たちの憧れみたいな位置づけにしている

と思った。

だからあえて少数派ブロガーとしての意見を書かせていただいた。

 

子供たちや純粋な人たちに夢を与えるのは大人の仕事かもしれないが、

同時にバランスよく現実を教えるのも、大人になってからの理不尽にたいする

免疫をつけるために大事だといえよう。

人にはなれるものと、なれないものがある。また限界というものがあると

いうことを。

そう、性教育と同じくらいのタイミングで教えるのもいいかもしれない。

 

 

あと、今年もあたまから悪いニュースが連続している。

人々はそういうときに明るいニュースを逃げ処にする傾向がある。

この調子で悪いことが続く一方、大谷がドジャースで活躍すると、みな

大谷のニュースばかりに明かるさを求めそうだ。

大谷や野球に依存するなとはいわないが、世の中には野球に興味ない人もいる。

大谷の活躍は嬉しいが、どのニュースを観ても大谷一色の光景には、

やや違和感を感じずにいられない。

もっといろんな楽しいことをさがそう。

 

 

※この記事はタイマー更新です