LINE | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

スマホが壊れて交換した件は以前ちょっと触れた。

 

機種はまったく同じものにしたのだが、設定などいろいろあって精神的にもう

数日間はバタバタだった。ただでさえ機械弱いので。

 

新しいスマホを受け取って、持って帰ってから、まず人に電話かけようと思って、

電話帳を開いたら、画面にこの電話帳を保存しますかと、クラウドやらセンターやらと

なにやら4つくらい表示されていた。

 

よくわからないけど、どれにも保存とはあったから、なにを選らんでも電話帳データが

どこか別のところにコピー保存されて、消えることはないだろうと思い、クラウドなんたらと

いうのを選んでタップしたら、なんと電話帳が全て消えた!

 

あちこち開いて探したものの、見つからず。

どこかにはあることを信じ、その日は諦めて翌日ドコモショップへ。

 

店員に訊いたら、スマホに保存されていたデータを、ドコモクラウド?とかいう保存場所に書き込む

ではなくその逆をやってしまったようで、まだ何も送っていないクラウドのほうの「からっぽ」のデータを

オレが自分のスマホに送ってしまったことで、既存の電話帳データが「からっぽ」に上書きされ、

電話帳がすべて消えてしまったということだった。

 

2か月前にたまたま、それらデータをSDに書き込む作業したからわずかな被害で済んだものの

それがなかったことを考えると恐ろしいかった。

すべて消えてるところだった。まさに冷や汗ものだ。ヒヤヒヤ。

 

文明の発達に気を抜いてはいけないという自戒だった。

簡単に保存や登録できる機械は、逆にいえば消滅する時も簡単である。

 

みなさんは、スマホなどの電子端末以外に、家族や友人や取引先の電話番号やメアドを

しっかりと控えているだろうか。

オレは今回の件でかなりイヤな汗を書いたので、その後すぐ部屋にあったアドレス帳に手書きで

家族や友人の連絡先だけ書きとめておいた。

備えあれば憂いなしである。

 

それと、もうひとつ。

いろんな意味で考えさせられたのがLINEだ。

 

オレは基本スマホの画面をあまりいじりたいタイプではなく、LINEもほどほどの使用でいいと

思っているタイプだったが、今回LINEデータ引継ぎナシで、新しいスマホでまったく使えなくなった

という事態に直面し、はじめて自覚したのが、

 

「頻繁に使用していなくても、一度使用してしまうとLINEは多少依存になってしまう」

ということだ。

 

ITやSNSや連絡ツールに固執しないオレでもLINEが使えないと、なんだかあ不便な気分になる。

LINEが使えないことよりも、自分がある程度LINE慣れしてしまったことのほうがこわくなった。

 

新しい物がなんでも悪いとか、古き良き時代の物はなんでも素晴らしいなんてことをいうつもりはない。

 

だけど、ちょっと前のことを考えてみよう。

 

LINE、メールがなくてもなんだかんだでしっかりつながっていたわけである。

 

それが進化してたくさんの文字数や画像まで送れるメールになり、やがて無料ですぐ送れて

その上相手がそれを読んだかまだ読んでないかということまですぐわかるLINEが誕生した。

 

無料、手軽、既読未読確認可、グループやりとり可。

LINEを考案した人の技術とアイデアは間違いなく評価モンだ。

 

でも、短文しか打てなかったショートメールだって、世に出た時はかなり革新的で若者だけでなく

企業戦士のオッサンだってかなり重宝した時代だったのだ。

 

それと比べるとメールだって十分の功労ツールである。

留守電とは違い、相手が忙しい時でも置手紙的なものとして、忘れないうちに相手に伝えておける

ツールというだけでエジソンものの功績だと思っている。

 

現段階においてはそんな連絡通話ツールの最終進化形ツールがLINEだと思う。

 

LINEはすぐ送れる。

そして相手の反応もすぐ確認できるから、時間を効率的に動ける。

時を急ぐ時や、災害の時対応などにおいて、有効なツールとなる。

かなり便利だ。

 

ただ、今回オレが一時LINEから離れたことで自戒もこめて感じた懸念を‘しいて’軽くいっておきたい。

 

LINEにおけるこの「便利すぎること」と「一般的な普及」がヘタすると感覚を麻痺させることになる。

 

便利ではあるが、この

「無料」「気軽に打てる」「相手が読んだかどうかわかる」という機能を持つツールが当たり前の存在

だと思ってはいけない。

 

そして便利でオトクでかなり普及しているから、使える環境にある人は使うのが当たり前というように

思ってもいけない。

 

タダでカンタンであるだけLINEはクセになりやすい。

 

こういういい方すると、「LINE使っているけど、別にそんなこと思ってねーよ」という声も聞こえてきそうだが、重症軽症の差はあれど、一度ユーザーを経験してしまうと、心の奥にはちょっと依存や使えない時の

不安は生まれてしまうものである。

今回自分で経験してわかった。

それでもそんなことないという人は一度退出して、数週間過ごしてみればわかると思う。

 

オレは一応再加入したけど、メールだけだって十分ではないか。

本当に大事な用件を伝えたり、本当に連絡とりたい人相手ならば、パケット料なんて小さいことは

気にしないだろう。

パケット料がもったいからメール送らないとかいうくらいなら、その人にとって相手の価値はパケット

料以下ということになる(爆)

 

 

あと、いくらLINEが普及しているからといって、ガラケーの人だってまだまだ多い。

(ガラでもLINEできるとか聞くが、そういうレアで面倒な例はここでははぶく)

 

 

LINEの普及で、ユーザーの間で連絡はLINEが当然みたいな風潮になり、コミュニティの中でガラケーを使い続けている人がメールしか使えないと、「あいつだけメールでメンドくさい」みたいな感覚がLINEユーザーの間で芽生えそうなリスクがある。

 

オレはスマホユーザーだが、魂はガラケーユーザーのままなので、そこはガラケーの人に味方したい。

 

人にはそれぞれ相性の差もあれば、経済面の差もある。

 

シビアにスマホを所有できない人もいれば、経済的には問題なくスマホももっているがLINEはやりたく

ないという人だっているはずだ。

 

だけど、スマホとLINEの普及が当たり前になると、そういう人たちが肩身狭い思いをするんじゃないかと

心配してしまう。

 

互いの考えの尊重と思いやる心を狂わせそうな弊害も含んでいるだよな、連絡ツールの発展という

ものは。

 

LINEに加入できる環境にあって周囲もみんな加入しているって人は、その周囲に気遣って

多少抵抗あったとして自分もLINEに加入することを検討するのが優しさだと思うし、

その一方で、仲間のなかにひとりだけLINE加入していない人がいても、その人にたいして

「みんなやっているんだから、おまえもあわせろよ」とかいうのではなく、その他の人たちにたいして

「あいつはメールしかやりたくないみたいだから、そこはオレらも合わせてやろうぜ」っていうのが

正しい姿かなって思う。

 

実際仲良い友人で、LINEはおろか携帯メールもやっておらず、電話とパソコンメールだけの

友人もいるけど、今でもちゃんとつながっているし、今LINEが使えないということをメールで伝えたら

「連絡なんてメールで十分!」という返事をくれたLINEユーザーの友人もいた。

 

誰のことをいっているわけでもないし、LINEやそのユーザーを批判しているわけでもない。

(オレもユーザーだしね)

これだけユーザーが多いツールだと、「これ、オレのこといってんのかな?」って思ってしまう人も

あちこちにいるかもしれないけど、オレは決してケンカ売ってるだけでも特定の人達のことを批判しているわけでもない。

ただ、純粋にそう思っただけ。

(オレが説明ベタなこともあり、前に友人たちの前でいったら、ちょっと誤解を招いたもので)

 

うーん、なんだろうな。

 

便利なものはやはり活用すべきには違いない。

ただ、くどいようだけど、便利なものを気軽に使えて、みんなも使ってて当たり前って感覚に

なっちゃいかんわ、やっぱり。

 

ショートメールが世に出た時のありがたさをもう一度思い出してみよう。

 

 

LINEの存在と能力が当然という感覚になって、メールで面倒って感覚になっちゃうと、

将来リニアモーターカーが開通して、そのうち運賃も比較的手ごろになった頃、

あれだけ早くてありがたがっていた新幹線にたいしてまでも

 

「新幹線なんて、ホームまで遠いし遅いし、乗って移動してらんねえよ!!」

 

って、いい出す人間がいても極端な話おかしくないような気もするのだ(笑)

 

あと、これは別に悪いことでもなんでもないけど、ちょっと思ったことがひとつ。

 

LINE送信って、メールに比べると本当に簡単でしょう?

 

メールって、まずアドレス検索して確定して、タイトル打って、本文打って、そこでやっと

送信ボタン押して完了。

 

でも、LINEと前のトーク履歴からすぐ画面には入れて、あとは本文打ってすぐ横の送信ボタン

軽くタップするだけでできる。

 

メールと比べて、簡単手軽すぎるゆえに、みんなちょっとした出来事にあったり、心境に動きがあった

だけで、すぐ誰かとつながりたがっちゃうんじゃないかなって気がした。

 

なんかこういうこというと、「それは違う!!」って世の女子様たちに怒られそうだけど、別にそれ

今伝えなくてもいいんじゃないかっていうようなささいなことを書いた小さな手紙を、授業中先生に

ばれないように女友達同士で回し合ったり、交換して読んだりするような感覚??

 

なんとなく、昔に比べて友人や久々の人間と飲み屋とかであっても、その場ではじめて

ちょっと大きい出来事的な近況報告聞いて、「えーーーッ!!」って驚く機会が減った気がする。

 

かつては報告の「溜め」っていうのが多かった。

久々誰かと会うことになったら、それまでずっとどこいったとか誰に会ったとか黙っておいて、

一週間後に会った時いきなり伝えて、おどろかせて盛り上がろうっていう楽しみ。

 

溜めているほうも、その日が来るまで早くいいたくてウズウズしながら待ってたりだった。

 

でも連絡ツールが普及している今は、もうLINEとかメールとかで会う前に概要とか送られてきて

情報知っちゃってるから、店とかでそこで初めて聞かされて「えー!○○に会ったの!!」

とかいうテンションじゃなく、「ああ、そういえば○○に会ったんだってね?」などと落ち着いた

会話の入り方をするシーンが増えたような気もする。

 

これも時代の流れなんでしょうなあ。

 

いや、これは本当に変な意味でも皮肉でもなんでもなくて、ただ純粋にしみじみしてるだけ。

 

 

まとめ。

連絡および発信ツールの使い方は人ぞれぞれ。好き嫌いはあっても良い悪いはない。

 

だけど、そのツールが使える環境が当たり前だという感覚にならないように、ほどほどに。

そして、どんなに普及してても、それを持っていない人や使いたくない人もいるということを

忘れずに。

 

JTの中吊り広告じゃないけど、タバコもLINEもある意味同じ。

自分だけのことを考えず、周囲の人の気持ちも考えて使用しよう。

 

でも、やっぱり遠くに住んでてなかなか会えない人や、事情があってあまり会えない人とつながるには

LINEという存在は素晴らしいと思う。

 

オレってけっこう偏った人間に見られるけど、何事においても良い面と悪い面を見ようとする

姿勢があるのですよ(笑)

 

 

以上、

小学校の習字の時間に墨を擦って使っても、墨汁を注いで使ってもどちらでもいいですよといわれ、

みんな墨を擦るのがめんどくさいから墨汁を硯にドボドボ入れて筆つけている中、手軽な墨汁は

邪道だと思い、、もくもくと擦って溶かした墨で字を書いていたケン74がコラムをお届けしました。

 

今日はこれでおしまいでございます。

あー、疲れた……しば漬け食べたい(山口美江)