思春期の頃 思い描いていたものはいろいろある

一番大きな夢は 自分のような実の親をしらなかったり身寄りがない子どもたちが立ち寄れる大きな部屋がある家を建てたいと思っていた。
今で言えばシェアハウスのような けっして施設とは違う。
捨て猫や 野良犬(今は少ないでしょうか) なども放し飼いで一緒に過ごせる大きな庭と・・・
季節ごとに果実を実らす木々を植え ハープがしげる野性味溢れた庭。

自分の居場所として 帰れる場所が欲しかったんだと思う。

当時 福祉系の事を学べる大学に進みたいと漠然と考えていたが・・・養母がまだ学校行く気?みたいなことを言っていたので(養母は丁稚奉公にだされ小学校も出ていないので劣等感が強かった)

早く稼ぐようにならなければいけないんだろうなと さっさと就職に気持ちを切り替えてしまい アルバイトに精を出し 忘れてしまっていた。
情報収集の手段も知らずに・・・今思えば 学ぶ方法なんていくらでもあったはずだが 出来るわけないか。。なんてぼんやり思っていたのかもしれない。
そして だれか(白馬の王子?)が このカオスのような生活から救ってくれるかも なんて甘い夢もみていたのかもしれない。

選択肢がたくさんあることに気づかなかったあの頃。

今思えば 当時とても切なく苦しかったのは 人の感情の影響をもろに受けやすい気質的なものも大きかったのかもしれないと思う。
養父母が酔って喧嘩になると身を呈して中に入ったり・・
もとボクサーでとび職の養父は 外で喧嘩はしても女子供には手をあげない。
私には全く手をあげたことがなかった。

肉体労働で疲れきって帰宅し 自分で肉豆腐などを作り酒を呑む。
寂しくて飲み歩く。
そんな養父を たまに帰ってきては激怒させる養母の悪態・・・どちらかというと養父の見方だったが守るときは身体の弱い養母の前にたつ。

普段は家政婦の仕事で泊まりがけでいないのだが、帰ってくれば大喧嘩。
泥酔した養母が「おかあさん」と声をあげ泣く姿は痛々しかった。
津波で幼い頃に亡くしているらしく、養母も愛情表現を知らずに育ってしまったのだろう。

私にとっては養父母は守るべき人。

立派なアダルトチルドレンの出来上がりである。

最近 こんな昔の事や昔の夢を思い出す。
今の夢と融合しいろいろなビジョンが湧いてくる。
ホームサロンを開いて気軽に立ち寄れる場所を作りたいという思いと 昔の夢。

未だ県営住宅住まいの身で 何を夢みたいなことを 
現実をみろと笑うかもしれない。

でも・・何かしないと私が生まれてきた意味がわからない。
答えなんていらないけれど・・・意味が欲しい。
じゃないと苦しい。

実の両親に望まれずに生まれてきてしまった私の存在価値・・・
可愛がってくれたはずの養父にも 自分の子どもが欲しかったと言われてしまった私の。
認知症になってしまった養母に すっかり忘れられてしまった私の。
生きている意味がみつからなくなる。

私の存在にもきっと意味があるんだ・・・そう思いたい。

50歳を迎えた今 人生まだ半分のこっていると思えば出来ることはたくさんあるはず。

子どもたちも18歳の末の子を残し 3人は成人し じきに自分で稼ぐこともできるだろう。

そろそろ自分の路に本気で向き合って精一杯の力を注いでみたい。

遠距離の長すぎた春に終止符を打たれた今・・・心配してくれたり気にかけてくれたりする身内がいないということは案外身軽でいいのかもしれない。

今朝はヨーコさんブレンドのデトックスサポートのハーブティーを飲みながらPCに向かっている。

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ほろ苦い味が心に染みる
心のデトックス効果もあるのかな・・ちょっとここに吐き出してみた

ここのところ気持ちが沈んだままだったけれど…


暖かな季節も近いし、がんばろっと。