東京芸術劇場で上演された、野田秀樹作・演出 NODA・MAP 『フェイクスピア』を観てきました。あちこちから「ネタバレ警報」が出ていましたが、確かに、事前の情報や先入観なしに観た方がよい作品だと思います。

東京公演は今日が千穐楽でしたが、7月15日からは大阪公演がありますので、未見の方は観劇後にお読みください!

 

 

 

 

 

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2021年6月30日(水)14時

東京芸術劇場プレイハウス

作・演出 野田秀樹

出演 高橋一生 川平慈英 伊原剛志 前田敦子 村岡希美 白石加代子 野田秀樹 橋爪功 他

 

 

以前、『Q:A Night At The Kabuki』の感想を書いた後、もうNODA・MAPの観客からはフェイドアウトした方がいいのかな・・と思っていましたが、「フェイク」+「シェイクスピア」というタイトルには、少し不遜な匂いを感じながらも惹きつけられて、そう思っていたことも忘れて劇場に行きました。

 

前半はいつものようにいくつかのキーワードが耳に残りながらも笑いを交えてテンポよく進み、後半にそのキーワードの正体が明かされるんですが、その場面での演劇的表現には衝撃を感じるとともに、胸に迫る想いがあって、涙がこぼれました。

 

1985年8月12日におきた日本航空123便墜落事故。

「御巣鷹山」という言葉は、未だに強く記憶に残っていますが、NODA・MAPのサイトにあった「コトバの一群」が、ボイスレコーダーに残されたそれだったとは。

 

私が今までに観たNODA・MAPの作品では、大衆の愚かさに対する野田さんのいらだちを感じる部分があったんですが、今回は、橋爪功の最後の独白などは直截的で優しさに溢れ、こんな台詞を書いたのか・・・と意外に思いました。

命の最後に向かう言葉を題材に芝居を創ることへの逡巡、もしかしたら少しの贖罪も(?)そしてまがうことのない事実の言葉に対する畏怖もあったのでしょうか。

 

一方で、今までも、野田さんの作品は事件を題材にしているものも多く、ノンフィクションの力を借りていることも承知の上で、フィクションというフィルターを通して新たな創造物を創りだしたいという創り手としての衝動も未だ健在なのだろうな、と思います。

 

恐山のイタコ見習い(白石加代子)の所に誰かを呼び出してほしいと高橋一生と橋爪功がやってきますが、なぜかイタコ見習いにではなく彼ら二人にシェイクスピアの登場人物が憑依してしまうところは、二人の演技が見事で本当に楽しく観ることができたし、

 

今回、野田さんなかなか出てこないなあ、と思っていたらお馴染みのシェイクスピアの格好で出てきて「シェイクスピア来たーーー!」とワクワクしました。

と思ったらシェイクスピアの息子のフェイクスピアとの二役で、フィクション対ノンフィクションの構図が描かれて、そこに野田さんのこだわりと挑戦がみてとれたり。

 

イタコ見習いのいる恐山では死者と生者が交わり、生と死の「間(あわい)」が描かれているところは、にぎにぎしい中でも夢幻能を思わせる静謐さもあり、やがて高橋一生が若くして死んだ父親で、橋爪功がその息子であったことがわかると、年老いた息子と若き父との邂逅に心が揺さぶられました。

 

冒頭から高橋一生が箱の中に入っていた言葉を探していましたが、彼はあの123便の機長で、探していたのはボイスレコーダーに入っていた自分の最後の言葉。

地下鉄に飛び込んで自殺しようとしていた年老いた息子に伝えたかった自分の声と言葉。

 

劇中、「頭を下げろ」「頭を上げろ」という台詞が高橋一生から発せられていましたが、それは操縦不能になっていたコックピットの中で機長として必死に放っていた言葉。

橋爪功は、ホームに飛び込もうとしていた時に、恐山へ行け、と何かに後押しされて山に登り、そこで幼い時に死に別れた父に会うことができた。

 

コックピットの中で、死を目前にした瞬間、本当は誰よりも愛する息子の名前を呼びたかったであろう父親。でも機長として、それは叶わなかった。

けれど、恐山で出会い、父の「頭を上げろ」という言葉を息子がしっかりと受け止め、「生きるよ」と言った時、父親は死者の世界に還ることができた。

 

そして、生きていようが死んでいようが「声」が聞こえれば、そこに人が現れる、というイタコ達の台詞には、あの事故で失われた命と、遺された者たちへの野田さんなりの追悼がこめられているのではないかと思いました。

同時に、「頭を上げろ」という言葉は、私にも、「前を向いて歩いていけ」と言ってくれているような気もするのでした。

 

高橋一生さんの舞台は何度か観ていますが、いつもそのしなやかさ、繊細さに心惹かれます。そしてその内側に強靭な心身を秘めていることがうかがえます。身体能力もすごいですね。今回もとても良かった。

 

イタコ見習いを演じた白石加代子さんは、いつもと違ってちょっと間抜けなキャラが可愛かった。そして、この作品における存在感はやはり稀有なものでした。

 

橋爪功さんのベテランとしての安定感もよかったし、村岡希美さんの説得力のある声と台詞回しが好き。

NODA・MAP初出演でイタコ見習いの母であり伝説のイタコと、星の王子様の二役を演じた前田敦子さん、ベテラン勢の中ではちょっと苦戦しているようでしたが、星の王子様のような少年っぽさは魅力的でした。

 

言葉 

神様と人間と裁判

舞台上に散りばめられたこれらの台詞を、かみ砕いて理解できてはいませんが、

死者と生者が会うことができる、どんな場所にも行くことができる、絶望も希望に変えることができる、その物語から自由にいろいろなものを感じ取ることができる、フィクションというものの存在を改めて感じています。

 

一方で、この作品のように事実が題材の場合、それは誰かの苦しみをなぞってしまうかもしれない。作品にすることで誰かを傷つけるかもしれない。実際、私もいくつかの作品を観て辛くなった経験があります。

それでも、やはり人は物語を・・フィクションを求めてしまうものなのかもしれません。