ナイロン100℃ 46thSESSION 『睾丸』感想 | ぽけっとにチケット~おきらく観劇日記~

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東京芸術シアターウエストで上演された、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出・ナイロン100℃46thSESSION『睾丸』を観てきました。

ナイロン100℃の25周年記念公演第2弾ということで、25年という時の経過を軸に、2018年の今から25年前の1993年と、さらにはその25年前の1968年を行き来しつつ、物語は進みました。

 

1968年といえば、ちょうど学生時代が盛んだった年ですが、今回、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんが学生運動に関わる話を作るというので、「へええ~」と思い、どんな風に描くのかな、と興味がありました。

 

ナイロン100℃の作品は、たくさんは観ていないのですが、今回は、思いのほかストレートな描き方をしているなあ、と思う部分もあり、今までの作品の感じとは少し違う印象を受けました。全体的に笑いの部分が少なめで、なんというか、真摯で誠実な空気感があった気がします。

とはいえ、一癖もふた癖もある登場人物達の言動にはつい笑ってしまいましたし、劇団員と客演の方々の演技のコラボレーションもとても良かったと思います。

 

以下、ネタバレありの感想です。

 

 

 

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2018年7月25日(水)13時30分

東京芸術劇場シアターウエスト

作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ

出演 三宅弘城 みのすけ 新谷真弓 廣川三憲 長田奈麻 坂井真紀 根本宗子 安井順平 赤堀雅秋他

 

 

 

 

1993年、バブルがはじけ始めた時代。三宅弘城演じる男の家に、一通の電報が届きます。それは、三宅が大学時代に学生運動に参加していた時のリーダーが死亡したという知らせで、安井順平演じるそのリーダーは、交通事故で25年間植物状態になっていました。

その後、当時の学生運動の仲間だったみのすけが、自宅が火事になって焼け出されたと言って妻(長田奈麻)とともに三宅の家に居候することになります。

 

25年前の回想シーンでは、リーダーの安井も、三宅もみのすけも長髪のカツラをかぶっていて、ちょっと笑いそうになってしまいましたが、リーダーに心酔し、革命を目指す三宅とみのすけの純粋さがリアルに届きました。

が、実は安井は、セクトの資金をかせぐためと言って当時の仲間の一人の坂井真紀に売春をさせていたり、セクトの仲間に暴力をふるっていたりして、リーダーの言動には、当時の学生運動の一側面がシビアに描かれているように思いました。

 

劇中でも、当時劇団活動をしていた鴻上尚史さんの名前が出てきましたが、私が唯一観た鴻上さんの舞台『僕たちの好きだった革命』や、小説『ヘルメットをかぶった君に会いたい』などからは、どこか、学生運動への憧憬と、自分がリアルタイムでそこに参加できなかった悔しさ(当時は10歳くらい?)があるような感じを受けて、それは野田秀樹さんが学生運動について語っていた対談からも、同様の印象を受けたんですが、

 

『睾丸』におけるケラリーノ・サンドロヴィッチさんの表現からは、学生運動や、それに携わった人達への批判的視点があるように思えて、ちょっと意外な気がしました。(あの時代について、ストレートに批判的な表現をしている舞台作品って、あるのでしょうか?)

 

学生運動の顛末を知る者としては、私自身も批判的な見方をしてしまいますし、どんな思想、主義、主張であっても、その遂行のために暴力を肯定してしまっては、テロと変わらないのではないか、とも思う今の私ですが、でも、当時、若い自分がその渦中にいたら、案外、自分もうねりの中に飛び込んでいたかもしれないな、と思ったりもします。

 

そして、25年後の登場人物達の人生は、けっこう苦いものになっていました。

確固たる信念もなくて学生運動に参加していて、リーダーの安井が植物状態になった後、三宅と結婚した坂井真紀も、三宅とうまくいかなくなると別の男(廣川三憲)と再婚して自分をゆだねようとしているし、

 

赤堀雅秋演じる妻の弟は、当時高校生で、三宅達とともに熱心に運動に参加していましたが、今は三宅宅に居候していて、別れた妻(新谷真弓)がやってきて他人の家で節操なくセックスしたりしているし、

みのすけは不法滞在の手引きをしていたり、元警官だったみのすけの妻もそれに加担していたり、

 

三宅の娘(根本宗子)は、三宅の部下(大石将弘)とともに、市議会議員の娘(菊池明明)をたぶらかして小金をせしめているし、

と、社会規範や倫理から逸脱している人達だったりします。

 

でも、そういう人達をみて批判的な気分にならなかったのは、俳優さん達のユーモアと哀愁を感じさせる演技が大きかったと思いますし、また、私自身も、大した大人になっていないので(笑)、彼らのダメさや、でも、したたかに生きているところに共感したり、ほっとしたりしたのかもしれません。

 

とはいえ、三宅も、みのすけも、実は、未だに反体制運動の集会に行っていたりして、当時の理想を忘れていないことも描かれていました。

私などは、未だ「革命という幻想」にとらわれている人達なのだなあ、と思ってしまいましたが、観る人によっては、彼らの行動に価値を見出したり、賛同したりするかもしれませんね。このへんは、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの間口の広さを感じたりもします。

 

また、学生時代に、当時の思想をこめて三宅が書いた脚本を坂井真紀主演で上演する予定でしたが、それがかなわなくなってしまったものの、未だにみのすけはそれを実現しようとしていて、そのための資金を得るために、息子に命じて自分の家に火をつけたこともわかり、そこまでする?ともはやシュールでしたが、でも、彼らが見せる青春の残滓には、少し切ない気分にもなりました。

 

植物状態の安井の存在によって、三宅や、三宅の妻や、みのすけは過去と決別ができなかったとも言えますが、実は、その安井は、少し前に目を覚ましていて、自分が死んだとの電報をわざと打たせていたことがわかります。

そして、25年ぶりに安井と三宅、三宅の妻、みのすけたちは会うんですが、安井が電報を打ったのは、目を覚ましたのに誰も見舞いに来なかったから、死んだふりをした、という子供っぽい動機だったり、

三宅の妻が、当時自分がひどいことをさせられていた、と安井に怒りをぶつけて、安井が土下座をしたり、と、かつてのリーダーの情けない姿がありました。

 

三宅の妻が再婚しようとしている相手の男が、昔、みのすけの妻が警官だった時に逮捕したことのある下着泥棒だったことも発覚して、三宅の妻の再婚への幻想も立ち消え、なんとなく、三宅ともう一度やり直せるのかな・・?という雰囲気にもなりましたが、

 

最後、三宅の娘と部下に騙されていた市議会議員の娘がやってきて、二人に包丁を振り上げているところに、三宅の家によくやってきている巡査(喜安浩平)が出くわし、巡査は無我夢中で発砲したところ、市議会議員の娘と、三宅の部下を殺してしまいます。

その後の巡査の茫然自失の表情は今でも心に残っていて、ふと、「権力の無自覚な暴力」などという言葉が浮かんだりしました。

 

『睾丸』というタイトルに関して、劇中で語られた場面もあったかと思いますが、自分の中にはそれはあまり刺さらず、

25年を経て、死んだと思っていた人間と再会する時の迷いや恐怖や緊張感がこちらにも響いてきたり、25年前の自分と今の自分とが対峙することになった彼らに、自分のそれを重ねてみたりしたことが思い出されます。

 

動揺して我を忘れている巡査を横目に冷静に110番通報する三宅の娘、

外から戻ってきて惨劇を目撃して立ち尽くすみのすけの妻、

そこに外からの三宅の無邪気な声がかぶった後、ふっと照明が消えました。

その静寂に、自分が取り残されたような気分になりましたし、ケラさんから何かを突き付けられたような気持にもなりましたが、それが何なのか言葉にすることはできず、ただ、その時の気分は、ずっと忘れることはないような気がします。

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