ミュージカル『エビータ』2018来日版・感想 | ぽけっとにチケット~おきらく観劇日記~

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基本、ネタばれしていますので、未見の方はご注意ください。


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東急シアターオーブで上演中の、アンドリュー・ロイド・ウエーバー作曲・ティム・ライス作詞・ハロルド・プリンス演出・来日版『エビータ』を観てきました。

今回の公演は1978年にハロルド・プリンスが演出したオリジナル版で、日本公演のみラミン・カリムルーがチェ役で出演しています。

 

『オペラ座の怪人25周年記念公演』の映像を観てファンになって以来、ラミンが来日する際は必ず観に行っていましたが、ブロードウェイやウエストエンドになかなか行けない私にとって、日本で全幕物のミュージカルに出てくれるなんて、もう、ラミン並びに関係者の方々に厚く御礼申し上げます!!と思いつつ、行ってきました。

 

『4Stars』や『プリンス・オブ・ブロードウェイ』などで『エビータ』のナンバーは聞いたことがありますが、全幕観るのは私ははじめてです。

正直、ラミンが演じるチェは、狂言回しの役どころだということで、観る前は、もっとがっつり物語に入っている役だったら良かったのになー、などと思っていましたが、ラミンチェ、ほとんど舞台に出ずっぱりで(嬉)、狂言回しながら抜群の存在感で物語を引っ張っていて、その力強い歌声と、シニカルさとシリアスさ、時にユーモラスな演技に、目が釘付けでした。

 

また、エビータを演じたエマ・キングストンは、エビータのパワー、カリスマ性、孤独、そして聖性を感じさせる素晴らしい歌声と演技力でした。

その他のキャストの方々も、抜群の歌唱力で、迫力のある歌声を堪能しました。

これは、素敵なカンパニーなのではないでしょうか?

「ミュージカル作品」としては、観る人によって好みが別れるかもしれませんが、私的には、重層的な視点がおもしろく、見応えがあるものでした。

 

以下、ネタバレありの感想ですので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!

 

 

 

 

 

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2018年7月4日(水)19時

東急シアターオーブ

アンドリュー・ロイド・ウエーバー作曲

ティム・ライス作詞

ハロルド・プリンス演出

出演 ラミン・カリムルー エマ・キングストン アントン・レイティン ロバート・フィンレイソン イザベラ・ジェーン他

 

 

 

 

『エビータ』は、アルゼンチン大統領夫人となった実在の女性、エヴァ・ペロン(愛称エビータ)の33年にわたる生涯を描いたミュージカル。

まず私が思ったのは、『エビータ』って、こんなにシニカルな作品なんだ!?ということ。

アルゼンチンでは、今だ人々に慕われているというエビータですが、この作品では、チェという存在によって、エビータの功績の影の部分や欺瞞性などが浮かび上がるようになっていて、けっこう辛口なミュージカルなんだな、と思いました。

劇団四季版は観たことがないのでわかりませんが、この、ハロルド・プリンス演出版では、カリカチュアされたブラックユーモアも印象に残りました。

 

実在した一人の女性の生涯を描いているところや、狂言回しの存在などは、『エリザベート』とも似ているな、と思いましたが、『エリザベート』には、なんといっても「トート」という存在がいて、トート(=死)から愛されるところなど悲劇的でロマンティックだし、エリザベートが死のキスを受け入れるところはある種の成就感がある。

 

かたや、『エビータ』では、ブエノスアイレスに出てきてから、のし上がっていくまでに寝た男たちが列をなすシーンがあったりして、ロマンティックとは言えない(笑)。

ただ、エマ・キングストン演じるエビータは、聖女か悪女か、なんていうキャッチコピーをも凌駕する輝きを放っていたと思います。

 

エマの演じるエビータを観ていると、彼女の野心の根底にあるものは、社会の不公平さ、理不尽さに対する「怒り」だったのだろうな、と思わされました。

そして、女優であるエビータは、その野心を現実化するためのプロデュース力としての「才能」と不屈の「自由意志」があったのだな、と。

 

はじめの方のシーンでは、あまり目立たず、群衆の中の一人だった彼女が、ブエノスアイレスに来てブロンドの髪になった頃から自信と輝きがでてきて、一幕目の最後「A NEW ARGENTINA」で、大統領選に出ることを逡巡する夫のペロンに対して、やるべきだ、と強くすすめる場面は、ちょっとマクベス夫人を思い出しました。

その楽曲で、観客に向かって歌う力強さとアジテーションには、思わずこちらも気持ちを鼓舞されました。

 

同時に、かつての自分と同じように苦しむ民衆への純粋な思いも、やはりあったのだろうと。

実際に、富を再分配する政策も行ったけれど、民衆を幸せにしたい、という思いと理想は、実現は難しかったことがチェによるいろいろなエピソードの紹介が物語っていたように思います。

 

この物語におけるチェの存在をどうとらえるかを私は明確につかめなかったんですが、チェ=チェ・ゲバラを思いおこさせるけれど実際には二人が交流したことはなかったようですし、この作品でも、作り手側が明確にチェ=チェ・ゲバラを意識しているのかどうかもわからない。

 

歌詞だけを聞いていくと、エビータに対する辛辣な言葉のオンパレードで、そこまで言うの?と思いましたが、ラミン演じるチェは、エビータを貶める言葉を言いながらも、どこか寂し気にも見えました。

ラミンのインタビューで、「チェは、エビータに対して失望していたと思う」と語っているのを読みましたが、チェは、「社会を変革する」という志が、人間・エビータの内的要因から、また、慣習や時代などの外的要因に阻まれて、次第に変節していっていることに、苛立ちと悲しみがあり、それをぶつけているのかな、と思いました。

 

一方で、チェがいくらエビータの真の姿を暴いても、人々は聞く耳をもたず、「SANTA EVITA」と歌い続けるところは、古今東西、崇拝する対象、または敵とみなす対象を求めている大衆というものの姿を現しているようにも思いました。

 

ラミンチェは、舞台を縦横無尽に駆け回り、自由に、活き活きと演じていて、ファンとしては至福の限り。歌声の素晴らしさはいわずもがな。

後半の「WALTZ FOR EVA AND CHE」で、はじめてエビータとチェが対峙して歌うデュエットでは、ラミンとエマのパワーが拮抗していて、「こんなにすごいものを今私は観ている!」と胸が震えました。

 

今回は、1978年のオリジナル版演出ということですが、これ、全部その時の演出を踏襲しているのでしょうか?スクリーンに記録映像を映すシーンを多用するところなど、当時では画期的だったのかな?

カッコいいプロジェクションマッピングが作られている今から見ると、古臭いし、くどいなあ、と思ったりしましたが、他では、今観てもキッチュだなあ、と思う部分もあり、私自身は古典を観るような感覚(?)で、当時の演出を観ることができて面白かったです。

 

ただ、美術がシンプルで、シアターオーブの大きさからするとちょっと寂しい感じがしてしまうのは否めない。作品自体も小劇場テイストも入っている感じなので、もっと小さい劇場の方があっているのかもしれません。でも、ほとんど素舞台の中での歌唱力の素晴らしさを楽しめたとも言えますね。

 

私自身、当時のアルゼンチンの政情についての知識がないので、この作品で作り手側がどんな政治的メッセージを入れているのか(あるいはそうではないのか)についてはわからないんですが、何となく感じるのは、「エビータ礼賛」にしなかった、という作り手側の「挑発」で、当時のミュージカル界への挑戦だったり、演じる女優や、これを観る観客への「挑発」だったりするのかな?と。

 

そういう意味では、エビータを演じる女優さんは、その挑発を受け止めて跳ね返す力がないとダメな気がしますが、エマ・キングストンは、最後、病気で弱った姿の演技の中にもエビータの不屈の意思を感じさせて、また、エビータの死後、再びの崇拝を恐れて当局が死体を隠したことも納得できるカリスマ性と、どんなに批判をされようとも、それを凌駕する強さと聖性を観客に感じさせた点で、「勝って」いたと思います。その「勝利」する姿は、とても眩しく、美しく、私の胸に残っています。

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