サンモールスタジオで上演された、横山拓也作・松本哲也演出・iaku+小松台東『目頭を押さえた』を観てきました。

『目頭を押さえた』は、上田一軒さん演出で2012年に大阪で初演され、2013年には東京と三重県で再演されています。今回は、すべての作品を宮崎弁で演じている、小松台東の松本哲也さんが演出し、宮崎弁での上演になっていました。

iakuの作品は、『エダニク』と、『粛々と運針』を観ましたが、どちらもとても見応えがありました。

 

フライヤーには、

とある山村の集落に残る葬儀の因習と、ここで育った従姉妹同士の女子高生を中心とした、無名人たちの肖像

とあり、

 

『目頭を押さえた』という題名からは、イメージが浮かぶような、浮かばないような感じでしたが、観終わった後は、胸にずっしりとくる部分と、救いを感じる部分もあり、「上質な作品を観たなあ」という満足感がひたひたと沸いてきました。

 

松本哲也さんの演出は、登場人物たちの心情が丁寧に描かれていて、演じる俳優さんたちの演技も、それぞれが背負っているものがよく伝わってくる演技でした。

以下、最後までネタバレしていますので、再演などの際には、お気をつけください。

 

 

 

 

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2018年2月3日(土)19時

サンモールスタジオ

作・横山拓也

演出・松本哲也

出演・小川あん 納葉 緒方晋 松本哲也 森谷ふみ 櫻井竜 村上誠基 斎藤ナツ子

 

 

 

 

 

 

林業を営むとある山村。この村出身の母親の死後、父親と一緒にこの村に移り住んでいる女子高生の杉山遼(小川あん)は、高校の写真部に属し、母親の形見のカメラで村の人たちに、

「遺影を撮らせてください」と言って写真を撮り続けています。

従姉妹の中谷修子(納葉)をモデルにした写真が全国の高校写真部のコンテストで1位をとったことから、写真部の顧問教師(村上誠基)のすすめもあり、東京の芸大を受けたいと希望しますが、父親の杉山肇(緒方晋)は反対します。

 

この山村では、「喪屋(もや)」と言われる小屋の中で、死者を弔い、葬儀を行うという風習があり、修子の父親の中谷元(松本哲也)が唯一その伝統を継承するという使命感を持っていますが、亡くなった妹の夫である肇は、現代的な葬儀を行う仕事をしており、義弟との間で、葬儀のあり方をめぐっての確執があります。

元は、姪の遼から、写真部が廃部になってしまったために、喪屋を暗室として使わせてほしいと頼まれた時には、それを了承するなど、柔軟さも見せますが、一方の肇は、東京の大学を受けたいという娘の希望は頑として聞き入れない。

 

遼と、従姉妹の修子は、幼い頃から一緒に過ごした仲ですが、コンクールで1位をとったり、東京の大学を受けたいと言い出した遼に対して、修子は、複雑な感情を抱いていきます。密かな恋心や嫉妬や誤解などから、二人の関係が徐々に変わってしまうところなど、少女の時期の危うさや未来への思いなどが瑞々しく描かれていて、そんな二人の姿が眩しくもあり、切なくもありました。

 

遼の願いに対して反対するばかりの肇に対しては、観ていて怒りの気持ちがわいてきたし、遼が不憫になりましたが、同時に、「よそ者」に対する村の閉鎖性や、因習の縛り、その中での自分の立ち位置が定まらない苦しさも想像されて、肇にとっては、娘の遼が唯一自分と村をつなぐ存在で、手放したくないという気持ちもわかる気がしました。

同時に、それは親のエゴですが、時として親はエゴイスティックになってしまう、自分にもあるそのエゴを映し出されたような気にもなりました。

 

また、元は小学生の息子の一平(櫻井竜)に後を継がせると言っていますが、一平は小学4年生になるのに、いつもゲームばかりをしていて、来客にろくに挨拶もできない。そんな一平を、元はきちんと躾けずに甘やかしていて、ここにも、大事な跡取り息子可愛さゆえのエゴを感じたりもしました。

 

遼がコンテストで1位をとったというニュースは、人口の少ないこの村から芸術家が生まれるかもしれない・・という興奮も呼び起こし、今まで撮りためた写真を、元が中心となって展覧会を開くことになるのですが、この後、元が、枝打ちの模範講習の最中に高い木から落ちてしまいます。

 

そして、喪屋を本来の意味で使うことになるのですが、その時、肇が、この村の伝統に従った葬儀を行うと宣言し、恐怖で泣き叫ぶ一平を力づくで喪屋の中に入れます。

ここではじめて、『目頭を押さえた』というタイトルの意味がわかるのですが、ここはかなり衝撃的でした。

 

この村で行われているのは、高所から落下した衝撃で、眼球が飛び出してしまった死者の目頭を押さえて眼球をもとに戻して穢れを払うという儀式で、これは跡継ぎが行うこととされており、怖いと泣き叫ぶ一平に、「目頭を押さえて」と何度も強い口調で言う肇。

やがて、一平の泣き声はやみ、「おさまりました。」という肇の声がして、喪屋に向かって遼がシャッターを切りました。

 

暗転の後、喪屋の前には遼と修子の姿があり、遼は東京の大学に進学することになった様子。修子が、空港まで車を運転して遼を送っていくと言っていて、いろいろあってぎくしゃくしていた二人の間にも、柔らかい風が少し吹いているようでした。

村を出ていく者と、出ていけない者。それぞれの未来は未知数だけど、二人の表情には、とにもかくにも新しい一歩が始まる爽やかさがあって、胸がキュン、としました。

 

喪屋の出来事の後は具体的には描かれていませんでしたが、遼の東京行きを許した肇は、自ら伝統的な葬儀を行ったあの時に、ここで生きていく決意が固まったのだろうと想像できました。

また、一平も見違えたように大人びていて、喪屋というのは、一種の通過儀礼の場所だったのか、とも思いました。ただ、まだ幼いのに大人にならざるをえなかった一平を、不憫にも思いました。前に上演されたときは、子役を起用したようですが、子供が演じていたら、観ていてもっとつらかっただろうな、と思って、私にとっては大人が子供を演じる今回のパターンでよかった気がします。

 

遼を演じた小川あんさんは、少し憂いがあり、自分の気持ちをあまり外には出さないけれど内に秘めている想いは強いと思わせる人物像で、写真への一途さがピュアに出ていてよかったです。

それにしても、「遺影、撮ってもいいですか」と言うのは、おもしろいですね。そこに深い想いが秘められているようにも思えるし、案外、自分が言われたら、「ええっ?」と驚きつつ、真剣に撮ってもらおうとする気がします。

 

修子を演じた納葉さん。遼とは対照的な、あけすけな言動の裏に、この村を出ていく遼から取り残されてしまう寂しさや焦り、羨望などが感じられる演技で、でも明るくふるまっているところが健気で心に残りました。

 

それから、修子の母を演じた森谷ふみさん。いつも明るくて空気を読まない発言をするんですが、その空気の読めなさが笑いをよび、この作品全体の救いにもなっていて、でも実は人の心の機微がわかっているということも伝わってきてよかったです。

 

都会の風を運んできた、修子の家庭教師を演じた斎藤ナツ子さんや、それぞれの父親像が明確に浮き上がってきた松本哲也さんと緒方晋さんもよかったし、誠実なのにいろいろ誤解されてしまう教師を演じた村上誠基さんにも笑いました。

 

今回の作品では、何気ない会話の中に、過疎や林業の問題や、小さなコミュニティの閉鎖性、伝統や因習がもつ息苦しい側面などが浮かび上がってきましたが、それでも、最後、みんなが困難や悲しみを背負いながらも、それぞれに一歩を踏み出していて、しっかりと日常を生きている姿に、「よかったなー」と思って、救われた気持ちになりました。

 

以前観た『エダニク』は、上田一軒さんの演出でしたが、笑いの中にもどこか無機質さもあった気がして、リアルから少し離れた独特な硬質さが清涼感を生んでいた気がするんですが、上田さんの演出した『目頭を押さえて』は、どんな感じだったのかしら?と思いました。

いずれにしても、吟味された台詞から立ち上る、横山拓也さんが描く世界にまた出会いたいな、と思います。