新国立劇場中劇場で上演中の、シスカンパニー公演・秋元松代作・いのうえひでのり演出『近松心中物語』を観てきました。

『近松心中物語』は、秋元松代さんが、元禄の大阪を舞台に、近松門左衛門の『冥途の飛脚』と『ひぢりめん卯月の紅葉』と『卯月の潤色』を合わせて、二組の男女の心中ものとしてアレンジして書き下ろしたもので、1979年に蜷川幸雄さんが演出して以来、1000回を超えて上演されたとのこと。

 

私は蜷川さん演出版も、歌舞伎等の演目も観ていないので、今回、新鮮な気持ちで幕が開くのを待ちました。いのうえひでのりさんの、けれん味のある演出は、時に儚く、時に激しくて、追い詰められた男女が死によって愛を昇華する「心中もの」としてのカタルシスを与えてくれました。

堤真一さんと宮沢りえさんの道行きのシーンはとても美しかったし、池田成志さんと小池栄子さん演じるもう一組の男女はコミカルなシーンが多くて意外でしたが、それぞれの対比も鮮やかで面白かったです。

 

以下、ネタバレありの感想ですので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!

 

 

 

 

 

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2018年1月13日(土)18時30分

新国立劇場中劇場

作・秋元松代

演出・いのうえひでのり

出演・堤真一 宮沢りえ 池田成志 小池栄子 市川猿弥 立石涼子 小野武彦 銀粉蝶

 

 

 

 

舞台上には、高く組まれた遊郭の格子戸に、たくさんの赤い風車がついていました。私は前方の席だったので、風車であることがわかりましたが、遠目で見ると、赤い花のようにも見えたでしょうか。

盆が回ったり、遊郭のセットが動いて場面転換になったりと、かなり大胆な舞台使いでしたが、格子戸に囲まれた遊郭は、牢獄のようにも見えて、容易に出ていくことができない絶望感をも感じさせられました。

 

飛脚屋亀屋の養子の忠兵衛(堤真一)は、堅物で廓遊びもしたことがなかったのですが、落とし物を届けるために足を踏み入れた新町の遊郭で、遊女の梅川(宮沢りえ)と出会ってしまいます。

この場面は、二人が出会って、見つめ合った瞬間に、恋におちたことがわかる演出で、とても美しかったです。

 

忠兵衛は、足しげく梅川のもとに通うようになりますが、やがて梅川に身請けの話がもちあがります。梅川を失いたくない忠兵衛は、自分が身請けをすべく、幼なじみの傘屋与兵衛(池田成志)に手付金の50両を借りますが、さらに300両がないと身請けできないことになり、ついに、御用金に手をつけ、公金を横領してしまいます。

 

梅川を演じた宮沢りえさんは、本来、太夫を演じるオーラを持っている方だと思うんですが、この梅川は、遊女の格付けの中でも最低ランクの見世女郎ということで、宮沢りえさんもそれに合わせてオーラを消しつつも、儚く、哀しい女性像を美しく演じていて、そのさじ加減が絶妙だと思いました。

 

自分の身の上を金銭で売買され、自分の行く末を自分では選べない梅川が、誰に身請けをされることになるのかを固唾をのんで待つところは、あの時代を生きた女性の哀しみが胸に迫りました。

300両を用意した忠兵衛が、梅川を身請けすることになりましたが、梅川は、その金に罪の匂いがすることをわかっていて、なお、忠兵衛と運命をともにすることを選びます。ここで始めて、自分の運命を選び、公金横領が発覚して追っ手に追われる忠兵衛とともに逃げる梅川ですが、その先には悲劇しかない。

 

一方、もう一組の男女は、忠兵衛に50両を貸した傘屋与兵衛とその妻、お亀(小池栄子)。

婿養子の与兵衛は、気弱でふらふらしていて、廓に入り浸っていたところを姑のお今(銀分蝶)に出入り禁止されたりして、姑に頭が上がらないダメ男なんですが、妻のお亀は夫にぞっこん。

この二人のやりとりは、かなりコミカルに描かれていて、私の好みからいうと少し狙いすぎのように感じる部分もありましたが、うだつの上がらない亭主と、それでもそんな夫を好きでたまらない妻のコンビは魅力的でもありました。

 

忠兵衛に貸した50両は、実は与兵衛が店の金に手をつけたもので、それがもとで傘屋にも取り調べの手が伸び、与兵衛もまた追い詰められていくんですが、お亀は、こうなったら心中しようと言います。

お亀は、当時流行っていた「心中」に憧れていて、曾根崎心中の地、蜆川に与兵衛を連れてきます。与兵衛は、本当は心中する気はないのに、はっきりと断りもせずお亀の勢いに巻き込まれ、そしてお亀が自ら命を絶った後、自分は死にきれずに生き残ってしまう。

 

「心中」に憧れるお亀が、自分たちが悲劇の主人公になることを想像して恍惚となり、キラキラと瞳を輝かすところは、若さや青さを感じさせましたし、また同時に夫への揺るぎない愛情があることを感じさせた小池栄子さんが魅力的でした。

対する与兵衛は、優柔不断さが浮き彫りになりますが、なかなか死にきれない与兵衛もまた、人間とはそうしたものであろう、という思いにさせて、池田成志さん演じる与兵衛は、滑稽で、それゆえ哀しく、憎めない魅力がありました。

 

追っ手を逃れて梅川の故郷にやってきた忠兵衛と梅川は、自分一人だけこの世に残っても、そこには絶望があるだけ、と、二人ともに死ぬことを選びますが、あの時代、あの状況では、そうするしかなかったということがリアルに感じられましたし、梅川が、忠兵衛と過ごした数日間が何より幸せだった、と言った言葉は、真実の想いとして私の心に響きました。

 

出会った瞬間に恋におち、想いのままに死へと突き進む、そこに究極の純愛をみて心を震わせるのは、もはやファンタジーの世界だからかもしれません。

堤真一さん演じる忠兵衛も、本当に絵になっていて、心中の場面は美しくあってほしい、という私の期待に十分応えてくれました。

 

ただ、堤さん演じる忠兵衛は、どこか粋で、余裕を感じさせる部分があったように思うんですが、堅物だった忠兵衛が、分別をなくしてその場しのぎの行動を重ねていくその焦りや愚かさは、もっと出ていてもよかった気がしますが、どうでしょうか。

 

考えてみると、忠兵衛も、与兵衛も、養子だったり、婿養子だったりと、男としても抑圧を感じる日々を生きていたのかなあ、とも思います。その反動がそれぞれの行動を生んだ一因のようにも思いましたが、忠兵衛の養母の妙閑(立石涼子)や、与兵衛の姑のお今もそれぞれに彼らを思いやる行動をしたりもしていたのに、事件の後、亀屋は取り潰され、傘屋は娘を失ってしまうという、心中が周りに与えた影響も描かれていて、切ない気持ちになりました。

 

物語が動いていく中でのキーになる八右衛門を演じた市川猿弥さんは、この作品の中に歌舞伎の匂いを溶け込ませつつ、現代劇とも乖離しない演技で、作品を引き締めていました。

 

劇団☆新感線の『髑髏城の七人』を観た後では、いのうえひでのりさん演出ということで、もっと派手な感じを想像していた気もしますが、思いの他、抑制がきいていた印象も受けました。でも、その感じは悪くありませんでした。

シリアスな忠兵衛と梅川と、笑いをとる与兵衛とお亀、という構図は、作品の印象を二分してしまうところはあったと思いますが、これは脚本の意図を汲んだものなのか、いのうえさんならでなのものだったのでしょうか。

 

蜷川さん演出の『近松心中物語』を観たことはなかったとはいえ、やはりどこかで蜷川さんを思ってしまう自分がいて、町を行き交う群衆のシーンなどは、過去の蜷川さんの作品を思い出したりしました。

ただ、行きかう人々の様子が、ちょっと、パタパタとせわしない感じがして、理由がなくざわめいているようにも感じられて、町の人々のエネルギーを感じさせるものとは少し違っていたようにも思えました。

 

ラストシーンは、劇場の奥行きを利用した美しい使い方だったと思いますが、前方の端席だった私には、見切れてしまったのが残念。この作品は、後方の座席の方がより楽しめるかもしれません。

 

忠兵衛と梅川の顛末には、現実からかけ離れた純愛を見出して涙することを自分に許し、

死にきれずに命が尽きるまで流浪の日々を送る与兵衛の姿には、自分自身の弱さを重ねて許したいと思い、と、

そんな風に楽しんだ、いのうえ版『近松心中物語』でありました。

 

でも、歴史の中で、悲しみと涙の中に生きた遊女たちがいたのは事実で、そういう女たちの歴史の連なりの先に生きている自分が、遊女の悲恋を「純愛」として、そこに美しい光を照射することで、つらい思いで生きた人たちの供養になるだろうか、そうなればいいな、などとも思う、今年の観劇はじめの夜でした。