さいたまゴールドシアター『薄い桃色のかたまり』感想 | ぽけっとにチケット~おきらく観劇日記~

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さいたま芸術劇場インサイド・シアターで上演された、岩松了作・演出・さいたまゴールドシアター第7回公演『薄い桃色のかたまり』を観てきました。

私は、2009年の『95㎏から97㎏のあいだ』からゴールドシアターを観はじめて、その後、本公演はかかさずに観てきましたが、蜷川幸雄さん亡き後、また、新作を観ることができたのがとても嬉しいです。


岩松了さんがゴールドシアターに書き下ろすのは、第1回公演『船上のピクニック』、第5回公演『ルート99』に続いて3回目。

今回は、あの東日本大震災後の帰還困難地区で生きる人々を描いていました。


といっても、劇中、「福島」「原発事故」「放射能」といった言葉は出てきませんでしたし、岩松作品らしい、象徴的な台詞や、観る者によって様々なとらえ方ができる重層的な構造になっていました。

幻想的な展開の中に、ゴールドシアターの方々の年齢を重ねた肉体表現が日常の苦悩や希望をしっかりと感じさせ、ネクストシアターの若者の、繊細で誠実な演技が鮮やかでした。


今まで観た岩松作品の中では、一番優しさを感じられて、劇中の悲劇や悲しみも薄桃色の優しさに包まれたように思いました。

いくつかのシーンを思い出すと、今も心が震えます。


以下、ネタバレありの感想です。




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2017年10月1日(日)

さいたま芸術劇場インサイド・シアター

作・演出 岩松了

出演 竹居正武 中西晶 田内一子 宇畑稔 上村正子 堅山隼太 白川大 内田健司 周本絵梨香 岡田正 他




大震災から6年後、一時避難をしている地域では、無人の人家にイノシシが出没しています。

やがて帰還する時のために家の修復をしようとしていた添田家では、添田(宇畑稔)の長男(白川大)がイノシシに襲われ、それを復興本社に勤めるハタヤマ(堅山隼太)が救います。

この地域では、住人達が自分達の手で線路を復旧しようと作業に励んでおり、東京本社とのパイプを持つハタヤマに大きな期待を抱いていますが、ハタヤマの表情には苦渋が見えます。


一方、丘の上には、若い男(内田健司)が立っていて、

「あの日、海の上に煙が見えたその時から、見える光景から色が失われてしまった。」と語ります。

若い男は、その日、自分に会いに来る恋人のミドリ(周本絵梨香)が乗っている列車を観ようと、丘の上に立っていたのでした。

その日以来、男からの連絡が絶えてしまったミドリは、男を捜しにこの地にやってきて、住人達と出会います。


東京まで復興の陳情に行った住人達は、ハタヤマを通じた本社からの回答を待っていますが、ハタヤマは、自分は担当からはずされた、と嘘をつき、行方をくらましてしまいます。


実は、ハタヤマは、添田の妻の真佐子(上村正子)と恋愛関係になっていました。

真佐子も、「あの日から色をなくして」おり、でも、事故を起こした側を許そうともしていて、苦しんでいた。

ハタヤマ自身も、自分自身も被災した身でありながら、地域の住人からの期待と、本社の方針との間で苦しんでいて、同じような苦しみを抱えた二人は、どうしようもなく惹きつけあってしまったのでしょうか。


真佐子がハタヤマの指を噛むシーンは官能的でしたし、一心に男を捜すミドリの姿が悲しかった。

やがて、真佐子は納屋で首を吊ってしまいます。




大震災から6年が経過して、震災をモチーフにした演劇作品がいくつも創られていると思いますが、私自身は、被災していないし、義援金を寄付したのみで何もしなかった・・という思いや、そもそも被災した方の本当の大変さを知らないのに、自分が簡単に感動したり、怒りを覚えたりすることに抵抗感があって、そういった作品との距離をはかりかねていました。

けれど、「景色に色がなくなった。」というのは、感覚的に何となくわかるような気がするのと、そう思うことを許されているような気がしました。


ミドリと若い男は、互いをジェヌヴィエーヴとギイと呼び合っていて、これは映画『シェルブールの雨傘』に似せた、たわいもない遊びだったのでしょうか。

若い男は、就職したことをミドリに黙っていて、ミドリが列車で到着したら、それを告げようと思っていた、という台詞があったと思うんですが、


あまりに大きな体験をしてしまった者が、そうでない者との間に、どうしても距離ができてしまうのもわかる気がして、ミドリに連絡をできなくなったのも理解できる気がしました。


そして、丘の上の若い男は、実はハタヤマ自身であるよう。ハタヤマの、引き裂かれてしまった自己なのでしょうか。堅山隼太さんと内田健司さんが演じた、二人が対峙する場面は、緊張感があり、とても見応えがありました。


ミドリが、男から教えてもらったという手品を、住人に披露するシーンが何回かあったんですが、両手に持った玉の色が一瞬で入れ替わる所は、加害者と被害者、被災者とそうでない者は実は表裏一体である、ということを現しているようにも思えました。


劇中、イノシシ(これは中西晶さんがリアルに演じていました)が、ハタヤマや住人を襲ったりしたのですが、イノシシにも意思があるようにも思えて、また、襲われた側も退治するだけではなく、その対応に躊躇する姿もあり、イノシシは何を現しているのかな・・と思いましたが、新聞のインタビュー記事で、岩松さんが、イノシシは放射能のメタファーとして表現した、と語っているのを読み、「それ」とのつきあい方に迷いのある我々の現在を思いました。


岩松さんは、この作品で、明確に何かを糾弾するのではなく、ただ、自分の家に帰りたい、自分たちが住んでいた場所に帰りたい、というシンプルで切実な願いをゴールドシアターの演技に託していて、そこに、震災後を生きる人々(被災者か否かを問わず)への慎重で誠実な思いを見た気がします。


ひとつ残念なのは、岩松さんが福島を題材にしたもうひとつの作品、『少女ミウ』を見逃したこと。

実際に福島に取材に行って、この2作品を書いたとのことなので、観てみたかったな、と思います。


ゴールドシアターの醍醐味のひとつは、大人数の群像劇であることで、今回も、女性陣がいっせいにしゃべりまくるガールズトークも楽しかったし、男性陣の単純さが出ていたノリも楽しかったです。

井出茂太さん振付の全員で踊るダンスも、生きる力と強さにあふれていました。


また、叙情的なシーンもたくさんあって、震災の夜、停電と揺れに震える妻(百元夏檜)の手をとって、夫(遠山陽一)がダンスに誘うところ。真っ暗闇の中、家を建てた時のことを思い出し、ここが居間、ここが台所、と言いながら二人が踊るシーンはとても素敵でした。


それにしても驚くのは、私がゴールドシアターを観はじめてから8年が経ちますが、皆さんが段々若返っていること!これは嘘偽りなく、そう!

最初の頃は、舞台の四隅にプロンプターがついていましたが、今回はなかったような。演出上の配慮もされていたのかもしれませんが、私が観た千秋楽は芝居が滞ることもなく、堂々の演技でした。


最年長の重本惠津子さんは、今回、車いすに乗っていましたが、カリスマ性は衰えず、凛とした声が素敵でした。

イノシシと対峙した時の田内一子さんは、ちょっと白石加代子を思わせましたし、益田ひろ子さんとのシーンもよかった。


ゴールドの皆さんを見ていて「勇気をもらった」なんて言い方、陳腐で嫌ですが、どんどん若返る姿のその裏には不断の努力があるのだと思いますし、私も「がんばらなきゃ!」って思います。


最後、ミドリは、ハタヤマが自分の探していた恋人であることがわかり、納屋で、ボロボロになったハタヤマを見つけます。そして、ハタヤマに寄り添って暗転した後には、年をとったハタヤマ(高橋清)と、ミドリ(ちの弘子)の姿が・・・


舞台には、線路が引かれ、両脇には満開の桜。

そこには、明るい笑い声が響き、老若男女が歩いています。

これは、夢なのか、幻なのか、線路を渡る人々は、向こう岸に渡った人達なのか、

あるいは。


線路はまだ途中でも、

桜はまた確実に毎年咲き、

人々の笑い声は必ず戻ってくる・・・とそんな風に思うこともできるでしょうか。

そして、今、生ある者達は、精一杯生きて、次を歩く者達に、生命を繋いでいきたい。

そんなことを感じさせてくれるのも、「演劇」ならではかもしれません。


『リチャード二世』の感想で、ゴールドシアターとネクストシアターがひとつの作品に出ることに、はじめは懐疑的だった、と書いたんですが、今は、そうは思わず、ゴールドシアターとネクストシアターの融合は、もはやひとつの「ジャンル」なのではないか、と思っています。

唯一無二の、この「ジャンル」で作られる作品をこれからも観てみたいと願っています。

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