吉祥寺シアターで上演された、川村毅作・演出『エフェメラル・エレメンツ』を観てきました。

私は川村毅さんの作品を観るのははじめてですが、フライヤーの、ヒューマノイドロボットの生命と感情を問う、という文言に惹かれてチケットを取りました。

川村さんは、1983年に『ニッポン・ウォーズ』という作品で、軍用ロボットの人間への反乱を描いたそうですが、34年後の今、実際にAI(人工知能)が作られ、AIへの漠とした不安や、ロボットと人間の共生を考える時代になっていく予感のある中、この作品には、人間とロボットの関係をめぐる様々な問いかけがあったように思います。


正直、多くのエピソードが盛り込まれていて、私の頭では消化しきれず、まとまりのない感想になってしまいましたが、劇中では印象に残るシーンがたくさんあって、これからも折にふれ、思い出しそうな気がします。


以下、ネタバレありの感想ですが、ストーリーの覚え違いや、勘違いがあるかもしれません。その点、お許しください。




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2017年9月27日(水)15時

吉祥寺シアター

作・演出 川村毅

出演 田中壮太郎 笠木誠 宮下雄也 岡田あがさ 中村崇 祁答院雄貴 橘杏 菊地夏野 東谷英人 藤尾勘太郎 浅野望 内藤裕志 藤沢大悟 伊東潤 高木珠里 植田真介 蘭妖子





資本主義共和国連邦。

遠くて近い現在。近くて遠い未来。(当日パンフレットより)


原発事故があったらしいその世界で、冒頭、原子炉内の燃料デブリ処理を行うべく、ワイヤーで吊るされた人型のロボットが舞台に開けられた穴の中に入っていくシーンは、すごくインパクトがありました。

そしてこれが絵空事ではない現実を思って、背筋がゾッとする思いに。


原発事故の処理に多くのロボットが使われるようになったその世界では、やがては人間ではなくロボットが管理職に就任することになります。

そして事故処理が終わった後の土地に、人間とロボットが共存する新しいコミュニティができます。


ロボットの研究者として、二人の教授が出てくるんですが、H教授(並木誠)は、機械には感情が存在する、と主張し、T教授(田中壮太郎)は、常に新しい技術の開発を目指しています。


T教授の妻(高木珠里)は、幼い息子を残して家を出て行ったため、息子の世話は乳母ロボット(蘭妖子)が行ってきたのですが、乳母ロボットが古くなり壊れた後、T教授は新たに理想の母親ロボット(岡田あがさ)を作ります。

今や高校生になっている息子のKZ(中村崇)は、母親ロボットに反発し、母親ロボットは、理想の母親になるべく学習を重ねていきますが、そもそも理想の母親とは何か?というやりとりはユーモラスでもあり、急に母親をあてがわれた息子の気持ちを思うと切なくもありました。


けれど、やがて母親ロボットが、自分は息子から母親と認められた、と実感したとたん、青い炎を出して壊れてしまいます。


場面は20年後になり、もはやヒューマノイドロボットと人間の区別は判別できなくなっている中、ロボットによる自爆テロが頻発しています。

KZは警察官になっており、高校時代の親友そっくりの相棒ロボット(宮下雅也)とコンビを組んで、自爆テロを行うロボットを倒しています。


ここは、『ブレードランナー』を思い出しましたが、乳母ロボットに育てられ、一瞬とはいえ母親ロボットとも感情が通じ合ったKZが、ロボットを破壊する仕事に就いた、その心理的背景を知りたくなりました。

ロボットの自爆テロにはかつての原発事故の跡地の自治区が関わっているらしいとの情報から、相棒ロボットと、新入りの女性捜査官(浅野望)と一緒に潜入捜査をすることになります。


この自治区に入るには、「武器と貨幣を持たない」ことが条件とされ、人間とロボットが分け隔てなく暮らすユートピアのようでいて、実はそこで人間に対する「啓発用」の自爆ロボットが生産されていることがわかり、むしろそこはカルト集団のようになっていました。


その自爆のプログラミングをしているのは一体誰なのか、ということが終盤にわかりましたが、私はその「啓発」の目的と意味が明確に理解できず、自爆用に作られたロボットがそれを疑ったり、恐怖の感情をもった時にまた爆発してしまった後、30年後のシーンに移ってしまったのでちょっと不完全燃焼になりました。


プアピープルとリッチピープルといった格差があったり、

原発事故処理現場では危険な作業に外国人やプアピープルが従事していたり、

管理職がロボットになり、情を伴わない采配をした時の人間達の反発などは、現実との地続き感を感じたし、

一方で、

物語の世界では学校にもヒューマノイドロボットが通学していて、クラスの中で孤立していたそのロボットは校舎から飛び降りて自殺したり、

この物語ではロボットが発する青い光を「エフェメラル」と呼び、それがロボットの感情を表すものだと言っていて、


そもそも機械にも元から感情がある、という主張や、

機械が最初にもつ感情が「劣等感」と「嫉妬」だとか、

原子炉内のデブリ処理に唯一入ったことのある人間が、その後に「原子炉が痛い、痛いと泣いている」と言い出したりなど、

ロボットと感情についての興味深い描写がありました。


そもそも、人間の感情も、脳の電気信号によるものだということを考えると、それをプログラミングするのも不可能ではないのかもしれませんし、実際に研究も行われているようですが、

私が興味深く思うのは、ロボットやAIに感情を持たせようとする人間の感情で、わざわざ感情をプログラミングしなくてもいいように思うけど、どこかに、それらに愛着を求めようとしたり、人間と同じような反応を求めたい、という願望やロマンがあるのでしょうか。


一方で、ロボットやAIに、情や理性といったものを凌駕した合理性で判断をされると、人間は滅ぼされてしまうのではないか、という不安というか、予感というか、を持っている気がして、そのアンビバレントな部分が、まさに人間の感情、という気がします。


物語の中で、ロボットの技術者(藤尾勘太郎)が可愛いメイドの姿をした感情をもつ家事ロボット(橘杏)を作り、法律上も認められた結婚をするんですが、そのメイドの中に組み込まれているのは、自分の母親の象。

そして、物語の最後、老いて車いすに乗ったKZの傍らには、かつての乳母ロボットがいて、歌を歌ってもらいながら永遠の眠りについていました。


KZと母親ロボットとのエピソードといい、作者の川村さんは、母親への変わらぬ思慕と母子の愛情を描いていたように思いますが、作者が男性だからかなー、という気もして、母性を否定するわけではありませんが、“母性神話の強要の匂い”をちょっと嗅ぎつけた感じがして(笑)、少し反発心も芽生えてしまいました。

でも、ロボットを演じた俳優さん達は、その造形に既視感はあるものの、硬質な動きや感情をもった時のゆらぎなどが魅力的でした。


これからはAIが人間の仕事のかなりの部分を担うことになると言われても、今ひとつピンときていない私ですが、でも、前作から34年で今の現状があるわけで、コトは思ったよりも早く進むのかもしれないですね。

そもそも人間同士でも「共生」するのは難しいのに、そこにロボットが加わったらどうなるのでしょう?

あるいは逆に、何かプラスの変化をもたらすのでしょうか。


「共生」という概念や理想を持つことは、まさに人間らしいことだと思いますが、現実の世界をみるにつけ、その実現は極めて難しいという事実に直面してしまいます。

でも、パンフレットにあった、

絶望してばかりも諦めてばかりもいられない、

という作者の言葉に、共感を覚える自分がいるのでした。

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