千秋楽から大分経ってしまいましたが、シアターコクーンで上演された、アウグスト・ストリンドベリ作・小川絵梨子演出の『死の舞踏』の感想です。

先に観た『令嬢ジュリー』と交互に上演された演目で、同じく3人芝居でしたが、こちらは、銀婚式を控えた熟年夫婦の激しい愛憎バトル。その中に、従弟が加わっての狂想曲、という感じで、夫婦が互いにめぐらす策略や、ダイナミックに変わる関係性などが色濃く描かれた、濃密な舞台でした。


観終わった後は、その濃さにちょっと力負けして、

「もう、お腹いっぱいです・・。」

という感じになったんですが(笑)、少し時間が経ってみると、シアターコクーンの中に作った小劇場で、あれだけ激しい舞台を観ることができたのはかなりレアな体験だったなあ、と感じています。


以下、ネタバレありの感想です。




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2017年3月31日(金)マチネ

シアターコクーン

作・アウグスト・ストリンドベリ

翻案・コナー・マクファーソン

翻訳・演出・小川絵梨子

出演・池田成志 神野三鈴 音尾琢真




いつもとは違う通路から案内されて劇場内に入ると、対面式の客席になっていて、片側には大きな窓。床には絨毯が敷かれ、長椅子や使い込まれた感じの机などが印象的に目に映りました。

時は1900年。スウェーデンの港の近くの孤島。

退役間近の大尉のエドガー(池田成志)は、妻のアリス(神野三鈴)と二人で、かつて牢獄として使われていた建物の中で暮らしています。

二人は銀婚式を3ヶ月後に控えていますが、日夜激しい喧嘩をくり返してばかり。


エドガーは、傲慢でひねくれた性格で、それゆえ出世もできず、経済的にも苦しい。回りの人からも嫌われ、コミュニティからも孤立しています。自尊心が高く、他人を蔑みながらも自分の境遇に不満をもっており、それを妻にぶつけている。


妻のアリスは、元女優で、エドガーと結婚したために女優をやめたのですが、今では家庭に閉じこめられ、孤立した生活を余儀なくされていることに恨みをもっている。

4人の子どものうち、2人は死亡し、残る2人の子どもも夫婦の期待に添うようには育っておらず、夫婦はこの陰気で陽の射さない館の中で互いの悪口を言い合いながら日々を過ごすしかない・・・。


池田成志さん演じるエドガーを観ていて、私は、ああ、こういう人いるなあ、と思って、ここまで極端ではなくても、こんな要素をもった男性っているよね、年をとるとよけいその性格が強調されたり・・・とちょっと冷静に観ていました。

なので、このエドガーに対してはあまり感情が動かなかったんですが、(これは池田さんの演じ方に少しユーモアがあったり、生の感情表現との間にすき間のある演技だったせいかも)


一方、神野三鈴さん演じるアリスの第一声には、25年間の恨みと憎悪が込められていて、「うわっ!重っっ!!」と思ってしまいました。

同性だし、その主張もわかる気がするからかもしれないけれど、アリスが夫にぶつける憎悪の数々が、ちょっと私には重かった。それだけ、神野さんの演技が真に迫る迫力があったからだと思います。


けれど、25年も経つのに、お互いに対して罵詈雑言を言い合えると言うことは、逆にすごい(笑)。喧嘩をする、ということは良くも悪くも互いに関心をもっている、ということで、本当に関係が終わるときはもはや無関心になると思うので、そういう意味ではこの夫婦はとてもエネルギッシュだし、孤独で退屈な日々をやり過ごすには、毎日喧嘩をする必要があるのかもしれないな、などとも思いました。


そんな中、アリスの従弟のクルト(音尾琢真)が、15年振りにアメリカからこの島に赴任してきます。クルトは、かつてエドガーとアリスの仲をとりもった人物で、アリスは、クルトとの再会に大喜び。ただ、クルトの人生も順風満帆ではないようで、アメリカで成功はしたものの、妻とは離婚し、子どもの親権は妻がもっていて息子に面会できないといいます。


エドガー夫婦の退屈で孤独な日々の中に突然異分子が現れたのだから、絶対に二人が見逃すはずもなく、案の定、クルトは二人の争いに巻き込まれていきます。夫婦それぞれが、クルトに相手の悪口を言い、自分の味方に引き入れようとします。そして、アリスはクルトを誘惑し、かつてアリスに惹かれていたクルトは、欲望を抑えきれなくなっていく。


エドガーは、時々意識を失うことがあるのですが、町に行って医者に診てもらったところ、あと20年は生きると言われた、また、自分には恋人ができたので、アリスとは離婚する、財産はやらない、ここから出て行け、と言い出します。

今まで、いっそ早く死んでくれないか、とまで思っていたアリスですが、それを聞いて激怒し、かねてから秘かにつかんでいたエドガーの不正をクルトに話します。

そして、それを警察に通報し、エドガーが逮捕されることで復讐を遂げ、クルトと一緒にこの家を出ようとします。


が、エドガーとクルトが二人きりになった時、エドガーは、「自分は恋人ができたとも離婚するとも言っていない。覚えていない。」と言います。

あれは、嘘だったのか・・?と、この夫婦の狂気めいた関係についていけなくなったクルトは、これ以上関わってはいられない、と出ていってしまいます。


エドガーが不正をしていると思っていたことは事実ではなかったことがわかり、アリスは警察に通報したことを後悔するのですが、エドガーは、アリスとクルトとの企みも知っていた、と言います。そして、エドガーの命は、もうあとわずかしか残されていない・・・。

ここまでの展開は、かなりスピーディで、めまぐるしく事態が変化し、攻守が逆転するところなどは、サスペンスめいてもいました。


エドガーは時々意識を消失していたし、確か幻覚に怯えるシーンがあったし、自分が言ったことを覚えていない、との台詞から、もしかして認知症的疾患があるのかしら?なんて思ってしまいましたが、でも、すべて謀略のようでもあり、妄想なのか、策略なのか、池田さん演じるエドガーは、ちょっと正体がつかめないところが面白かった。

ただ、年老いた男を演じていても、自然と身体のキレが出てしまう感じで、死を間近にした老いた男というよりは、壮年の男、という感じではありましたが、色気もあり、それが最後のシーンに活きていたと思います。


色気と言えば、アリスを演じた神野さんも、これはもう、熟女のどっしりとした色気があって、特に肉惑的、というわけではないのに、あんなにどっしりと構えて誘惑されたら、(しかも誘っておいて拒絶したりして)クルトがくらくらしてしまうのも納得。

アリスとすれば、自分はまだ女盛りだという自覚があり、このまま、この牢獄のような館で年老いた夫の介護をして人生を終わるのか、ということに対する焦燥と絶望がよくわかる演技でした。


エドガーとアリスに翻弄され、アリスへの欲望に突き動かされるクルトを演じた音尾琢真さん。二人に比べると、常識人というコントラストが出ていてよかったし、それゆえ、二人には太刀打ちできないと思わせる演技に説得力がありました。このままいったらクルトも破滅させられるだろうな、と思った私は、そこから出て行ったクルトに安堵を覚えたりしたのでした。


「死の舞踏」というのは、ペストの大流行でパニックになった中世ヨーロッパ美術でみられた、骸骨に鼓舞されて踊りながら墓場へ行進する様を描いた絵画だそうですが、

死がすぐ後ろに迫っているエドガーが、その恐怖から、無理矢理妻の手をとって踊ろうとしているようでもあり、自分はまだ若い、まだやり直せる、と思っているアリスは、その手をふりほどこうとするけれど、でも離しきることはできない、二人はそんなダンスを踊っているようにも見えました。


最後、クルトは出て行ってしまい、またここでこの夫と暮らしていくしかないアリスに、エドガーは、クルトとの企みを許す、と言い、「何もかも忘れて、次に進もう。」と言います。

私は後方の席で、照明も暗かったため、表情がよく見えなかったのですが、この時のエドガーの声色は優しかったし、なんというか、色気がにじみ出ていて、アリスが、エドガーと離れきれない訳がわかるような説得力を感じました。

結局、アリスは、エドガーの掌の上で踊らされているようにも思えますが、お互いに、

「綺麗だ。」

「あなたもハンサムよ。」

と優しい声で言い合って、幕となりました。


それにしても、このエドガーの、「次に進もう。」という台詞は切ない。

彼よりも若いアリスも含めて、二人の行く先は「死」。誰しも、それがわかっていながら、次に進もう、と思ってその時まで生きていくしかないですものね。


先に観た『令嬢ジュリー』も、この『死の舞踏』も、結局はどこへも行けない人達の話だったのかなあ、と思いますが、『令嬢ジュリー』の方は、演出の小川さんはあえてセクシャリティを封印し、脚本のねらいをはずしたような演出で、ちょっと作者に喧嘩を売っているようなところが私にはおもしろく感じられました。


『死の舞踏』の方は、濃厚で激しいやりとりのガチンコ勝負。そこが私にはちょっと重くて、もう少し、ユーモアとかで加工してあるとよかったな、と思いますがこれは好みの問題かも。

それにしても、ストリンドベリの、男女の心理的駆け引きを描く筆致の鋭さには感嘆します。


『死の舞踏』は二部まであるそうで、今回の作品は一部を翻案したものとのこと。まあ、もう、一部だけで十分、という感じではありますが(笑)、一部の最後で微笑みあった二人も、次の瞬間からは、またバトルを始めていそうな気がします。

でも、それは、二人にしかわからない、誰も入り込むことのできない、夫婦としてのあり方なのだろうなあ、とも思うのです。