coo 命の旅

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ミュージシャンcooのライフストーリー。

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カウンセラーの先生は高良先生と言った。
沖縄の姓だが沖縄出身ではないと言っていたような気がする。
その辺の記憶は曖昧だ。

月2回のカウンセリングがスタートした。
昼夜逆転していたから予約はなるべく遅く11時に取っていた。
それでも起きられずキャンセルすることもあった。

カウンセリングの中で高良先生からアドバイスのようなものはほとんどなかった。
質問され、それに答えていくだけ。
生活のこと、家族のこと、友だちのこと、好きな女の子のこと、大好きな音楽のこと。
質問されているより僕が答えているほうが長い。

月に2回カウンセリングに行くほかは相変わらずアルバイトがわりにパチンコに行ったり、本を読んだり、音楽を聴いたりしていたと思う。
もちろんギターは毎日弾いていた。

本は専ら筒井康隆氏の本を読んでいた。
狂気と空想の迷宮。
どこにたどり着くかわからないクレイジーな天才たちのジャムセッション。
そんな疾走感が僕を夢中にさせた。
まるで異次元で、読んでいる間だけは鬱を忘れさせてくれた。
当時どうしても読み進むことのできなかった難解な1、2冊を除いて出版されていた彼の書籍は全部読んだ。

鬱というのは頭の中がもつれている状態だと今は思う。
訳のわからないことも考え始める。

どうして自分だけこの肉体に閉じ込められているのだろう。
なぜ?
自分以外の人間達は本当にいるのだろうか?

それでもその根源的な問いは鬱が治ったあとも持ち続けることになった。

1年ほどカウンセリングが続いたとき、高良先生は薬を飲んでみましょうと言った。
それまで薬は一切処方されていなかった。
僕の鬱も一向に改善されていなかったから薬に対する期待も特になかった。

しかし処方された薬を飲んでみるとあっという間に鬱は消え去ってしまった!
たしか飲んだその日か翌日にはもう効果があったと思う。

なんてことだ!

気持ちが楽だ!

気分が重くない!

世界が明るい!

今までの地獄のような重くて暗い世界はどこに行ったんだ!

やった!治った!

気分も身体も軽い!

楽しい気持ちさえあるじゃないか!

5年という長い暗闇を抜けるとクラクラと目眩がするほど世界は明るかった。
世界は地獄から天国へ一転した。
















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高熱が出てうなされている時。
とても身体が動かないし何をすることもできない。

飲み過ぎたときの苦しさ。
もう酒なんてやめる。助けてくれ。

牡蠣に当たったときの死ぬような苦しみ。

怪我や身体の痛みでうめき声を抑えきれないほど苦しい時。

こんな苦しみが5年も続いたらどうだろう?
いや1か月でも続いたらどうだろう?

もう死なせてくれ、と思うのではなないか。

鬱の苦しみを身体の痛み、苦しみに置き換えてみたらこんな表現になるかもしれない。

または窓のない真っ暗な部屋に5年間閉じ込められたとしたら。
味気ない食糧と水は毎日運ばれてくるから死ぬことはない。
しかし人と会うこともないし光を見ることもない。
そんな毎日だったら。

そんな悪夢のような出口のない日々が続いた。

自分でなんとか抜け出そうとしたが糸口さえ掴めない。
もう4年あまりの時間が経過していた。
二十歳の終わりか21歳頃だったと思う。
僕は大学病院の精神神経科へ行くことにした。

引きこもりという言葉もなかったし、鬱という言葉も一般的ではなかった。
カウンセリングや神経内科という言葉もあまり聞かなかったと思う。
気軽に神経内科へ行くような時代ではなかったのだ。
精神科だ。僕は精神科へ行くんだ。

精神科という言葉には鉄格子のある病院が浮かんだ。
僕は入院するんだ。
嫌だけどもうどうしようもないんだ。
死にたいけど死ぬことさえできないじゃないか。
親にも話さず僕は一人で病院へ向かった。

診察を受けいろいろと質問をされた。
最後にこう聞かれた。

「毎日何をやってるんですか?」
「毎日パチンコをしてます。」

その頃僕はアルバイトがわりに毎日パチンコ屋へ行っていた。
アルバイトもできるような状態ではなかったのだがパチンコ台に向かうくらいはできた。

毎日通っていたが実をいうとパチンコ屋も嫌いだった。
煙草の煙で空気が悪いし柄の悪い客も多かった。

「昨日国道で幅寄せして車を田んぼに落としてやった」

嘘か本当かそんなことを言うトラックの運転手もいた。

パチンコ屋は嫌いだったが、不思議なパチンコ屋で毎日同じ台が出る。
10時の開店とともに毎日打ち止めになる何台かのひとつに座れば稼ぎになる。
他の客はパチンコが好きだから1台打ち止めにしてもまた次の台で遊んで結局負けてしまう。
アルバイトがわりに通っていた僕は1台打ち止めにして、もう1台止めていきなよという店員の声を無視して店を出るのだ。

「それではそのままパチンコをやっていてください。」

「え?」

医師の言葉に驚いた。
これだけ重いのだから入院だろうと決めつけていたのだ。

肩すかしをくらったが、次の外来からカウンセリングが始まった。
そしてこのカウンセリングが僕を救うことになった。







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母は「入学に100万もかかったのに」と大学を辞めた僕をお金のことで責めた。

僕の心配じゃなくお金のこと?
母は当然僕のことも心配していたと思うが、若い僕は母の言葉に失望し、反発した。

そして
「近所の人が息子さん大丈夫?って言ってるよ」と体裁ばかり気にした。
父は何も言わなかった。

両親は自分の気持ちを表現するのが苦手だった。
いや苦手というよりできなかった。
そして僕の気持ちに寄り添うこともなかった。
僕に何が起こっているのか、そんなことも聞かなかった。

ただ1度だけ東京のアパートに引き蘢る僕を父が突然訪ねてきたことがあった。
どうして大学に行かないのか?と訪ねた。
僕もまた自分の本当の内面を伝えることができなかった。
「面白くない」
たぶん、そんなはぐらかすような答えしかできなかったと思う。
「他に理由があるのか?」
と聞かれたが何も答えられなかった。

死にたい。死にたい。死にたい。

毎日そう思う日々。
いったい自分はなんのために生まれてきたのか。

7歳で突然左足が動かなくなってしまった。
走ることも大好きな野球もできない。
小中と3回手術を受け、辛いリハビリをした。
3回目の手術は右膝に打ち込んだステープルが外れていたのだが、すぐに手術しなかったために外側だけ発育が早くなり膝から下が曲がってしまった。
中学3年の時だ。
中学校時代はぎくしゃくした家族関係にも胸を痛めていた。
そして高校に入り鬱に落ちていく。
一度は東京に住んだが大学も辞めて宇都宮に帰った。最愛のポチも死んだ。
好きなものと言えば音楽だけだったが、とても音楽で生きていけるとは思えない。

こんな人生に何の意味があるのだろう。
自分で死を選ぶことはとてもできない。
自殺する勇気などない。
この生き地獄そのものの重苦しい時間があと何年続くのだろう。
天国や地獄は本当にあるのかって?
まさにこの世が地獄だ。
本当はここがあの世で僕は罰を受けているのではないのか。

神様がいるのなら僕が眠っている間に僕の息の根を止めてほしい。
それが僕の一番の夢だ。






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