今年3月のオーストリア旅行記の2回目です。
前回は、ウィーンに着いた日、ホテルを出て市内を散歩、ホーフブルク王宮の前に着いたところまでお話ししました。
(ホーフブルク王宮)
ちょっと前に戻りましょう。カールマルクト通りから王宮の正面を眺めたこの地点。
この通りの王宮に行く途中の右側にカフェ「デメル」があります。ウィーンといえばカフェ。王宮に行く前にデメルに入ってお茶をしました。
写真を撮らなかったので、日本のデメルのHPにあった店内風景をお見せします。↓確かにこんな感じでした。
食べたのは「ザッハトルテ」(ウィーン風チョコレートケーキ)と「アプフェルシュトゥルーデル」(ドイツオーストリア風アップルパイ)。飲んだのは私がウィンナ・コーヒーで妻がフルーツ・ティーでした。
ここで横道にそれて、ちょっとだけカフェとザッハトルテの話をしましょう。
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ウィーンにはカフェがたくさんありますが、日本で本格展開しているのは「デメル」。全国のデパートに20店舗以上あるようです(カフェではなくお菓子販売)。私も時々最寄りの池袋東武で見ることがあります。
その中で、ウィーンらしいお菓子といえばやはり「ザッハトルテ」でしょうか。
↓これは、日本のデメルのHPにあるザッハトルテ。ちょっと画面が暗いですが。
今回の旅行でも、このデメルと、ザッハトルテの元祖・ホテルザッハーのカフェに行き、ザッハトルテを食べました(ザッハトルテを巡るデメルとホテルザッハーの争いと共存についてはまた今度)。
ウィーンのカフェにいると、日本人の女性二人組が「店によって味が違うね」などと話しており、うちと同じで食べ比べしているんだなと微笑んでしまいました。
日本にもウィーン風のカフェはいくつかありますが、なんと青森に「シュトラウス」という本格的ウィーン風カフェがあることが分かり、ネット注文でザッハトルテとアプフェルシュトゥルーデルを取り寄せました。
ザッハトルテの写真です。
装いも立派なウィーン風。冷凍でしたが、お味は大満足。青森のカフェに行ってみたいね、と夫婦で話しています。
デメルに因んでカフェとザッハトルテのお話しでした。
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デメルでお茶をしたあと、目の前にはホーフブルク王宮です。薄日が差す中、雨が降っていました。
王宮前のミヒャエル広場には、馬車が待っています。お馬さんの身体を冷やさないためか、雨具を着てますね。
王宮の中には、宮廷銀器コレクション、シシィ博物館(シシィとは皇妃エリザベートの愛称)、皇帝の住居棟があり、見て回りました。残念ながら内部は撮影禁止なので、ミュージアム・ショップの写真です。
ホーフブルク王宮は、ハプスブルク皇帝の居城であり政権中枢でした。今では各種博物館やオーストリア共和国大統領官邸があります。
ハプスブルク家については、次回、ウィーンにあるゆかりの寺院等を見ながらお話ししましょう。
豪華で繊細な金の装飾。
再び外に出ると雨も上がっていました。
王宮の後側の庭に出ると左側にあるのが新王宮。オーストリア帝国末期、フランツ・ヨーゼフ1世治世の1881年から造り始め、左側だけ完成して対となる右側の新王宮は帝国崩壊(1918年)でできなかったそうです。左側だけでも十分立派!帝国末期は財政も厳しかったでしょうにね…。
1938年にはヒトラーがこの新王宮のテラスでオーストリア併合を宣言したそうです。
(追記:こう書いてしまいましたが、ヒトラーが演説したのは新王宮ではなくウィーン市庁舎のテラスだそうです。歴史の舞台として行ってみたいものです。)
(追記2:たびたびすみません。よく調べると、ヒトラーはウィーン進駐直後の1938年3月15日に新王宮で、併合に関する国民投票の前日4月9日にウィーン市庁舎で演説をしているようです。やはりここで演説していたんだ!)
ホーフブルク王宮の後側は「リンク」に面しています。「リンク」とはフランツ・ヨーゼフ1世のウィーン改造の一環として城壁都市の城壁を取り除いて作った環状道路(Ring)で、今やウィーンの幹線道路です。
リンクを渡ると、マリア・テレジア広場です。オーストリア・ハプスブルク帝国で最も偉大な君主といえばマリア・テレジアになるようで。広場の中央にはこれ以上ないほどの敬意を表した像がありました↓。フランツ・ヨーゼフ1世が自ら除幕したそうです。
次回ブログでは、マリア・テレジアの超豪華な棺をご紹介します。
マリア・テレジア像をはさんで、自然史博物館と美術史博物館の二つが立っています。下の写真はどちらだか忘れましたが…まるで立派な王宮のようですね。
リンクに戻り、新王宮の横の王宮庭園まで歩くと、モーツァルト像があります。大きなト音記号はさすが音楽の街という感じですね。
ウィーンにゆかりの音楽家はたくさんいますが、やはり筆頭はモーツァルトでしょうか。今回の旅行でも、3日目にモーツァルトの生誕地ザルツブルクに行ってきました。その様子はまた今度。
リンクをもう少し国立歌劇場方面に歩くと、文豪ゲーテの像がありました。モーツァルトより少し年上で、ベートーヴェンとも親交があったようです。
高校か大学の時、「若きウェルテルの悩み」を読んだ覚えがありますが、有名な「ファウスト」は途中で挫折しました。
ドイツ人のゲーテの像がウィーンにあるのは、リンクを整備したフランツ・ヨーゼフ1世の趣味でしょうか?
台座には「GOETHE」の文字。明治初期にはゲーテのことを「ギョエテ」と表記していたようですが、このスペルでは無理もないですね↓。
「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」
リンクに面したピアノ店「スタンウェイ・ハウス」。窓をのぞくだけで楽しくなります。
そしてさらにリンクを歩くと、ついにウィーン国立歌劇場!
名前だけは何百回も聞き、ここで録音された音楽もどれだけ聴いたか分かりませんが、ついに本物を見た!
正面には、「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 1868」とあります。これもウィーン改造、リンク整備の一環だったのでしょうか。明治維新の年ですから、案外新しいなという気もします。いろいろな発見がありますね。
リンクからオペラハウスの脇に伸びる道がケルントナー通り。その奥に遠く見えるのがシュテファン寺院の尖塔。あのあたりを出発点に、ペスト記念柱、ホーフブルク王宮、オペラハウスと、ウィーン中心部をぐるっと回ってきたわけですね。
ここで大事な寄り道。初日で早過ぎるかもしれませんが、お土産屋さんへ。日本人御用達の「ワルツ」というお店がすぐ近くのカールスプラッツにあります。
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お土産を買い終わり、夕闇迫るオペラハウス。これはケルントナー通り側から撮った写真です。
ふと見ると、ヴィヴァルディのプレートが↓。ヴィヴァルディはイタリア人ですが、1741年にウィーンで亡くなったそうです。
マリア・テレジアの父・神聖ローマ皇帝カール6世の理解を得てオペラ興行をすべくウィーンを訪れたヴィヴァルディ。しかし、カール6世が亡くなって服喪期間となり、マリア・テレジアの皇位承継に反対する各国とオーストリア承継戦争が始まって音楽はそっちのけ…失意のうちに亡くなったとのことです。芸術家はいつも政治に翻弄されますね。
オペラハウスの裏側に、ザッハトルテの名前のもととなったホテル・ザッハーがあります。今日は前を通り過ぎるだけですが、なかなかの格式です。
ケルントナー通りから少し外れた「音楽の家」に足を延ばしてみました。音楽に関する展示館かと思ったら、体験型音楽博物館でした。今回は外から眺めただけで次へ。
モーツァルトのライバルと言われる「サリエリ」の名を冠したお店も。
ケルントナー通りに戻ると、「グスタフ・クリムト」という名のお店↓。クリムトの公式お土産もの屋さんみたいです。旅行中、何度も前を通りかかりながら結局入る機会がありませんでした。
ウィーンの美術で私が好きなのはグルタフ・クリムトとエゴン・シーレ。4日目のベルヴェデーレ宮殿で堪能することになります。
このあと、オーストリア料理店で夕食。ウィーン風牛カツ「ウィーナー・シュニッツェル」を楽しみました。
そこで新発見したのが、カボチャのタネ。レストランで突き出しに出てきました。これが美味しくて、スーパーでお土産に買って帰り、日本でも美味しいカボチャのタネを探しています(案外少ないです)。
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ホテル・カイザリン・エリザベートに帰ってきました。
ラウンジに戻ってほっと一息。
リンクを整備しウィーン国立歌劇場を作った皇帝フランツ・ヨーゼフ1世。晩年のラフな格好、あるいは民族衣装でしょうか。
さて、今日はここまで。もう寝ましょう。初日から密度の濃い時間を過ごしました。
2日目はシェーンブルン宮殿と教会巡り。3日はザルツブルク行き。4日目はベルヴェデーレ宮殿と国立歌劇場ツアー。盛りだくさんですが、あせらずゆっくり語っていきます。
【今日のBGM】
・アントン・カラス 「第三の男」(ツィター名曲集)
・土産物屋「ワルツ」にはモーツァルトのCDなども売っていましたが、「クラシック・ファンがこんなところで買うか」などと鼻息荒く目もくれませんでした。しかし、どうしてもほしいCDが。民族楽器ツィターの演奏です。
・そこで買ったのがこのCD。知りませんでしたが、アントン・カラスという人は、ウィーンのホイリゲ(居酒屋)でツィターを演奏していたところをスカウトされて映画「第三の男」の音楽担当に抜擢され、この音楽によりツィターも世界的に有名になったそうです。
・ツィターは琴のような楽器で、哀愁の漂う音色は琴よりも大正琴に似ているような気がします。ヨハン・シュトラウス2世の「ウィーンの森の物語」にも登場しますが、どちらかというとホイリゲでの気楽な演奏に向いているようです。
・というか、このアルバムでも多くはワルツ風の曲であり、ウィンナ・ワルツというのは日常の中から出たクラシック音楽なのでしょう。オペレッタがミュージカルになったように、ウィーンではクラシックとポピュラーが連続的につながっているんですね。さすが音楽の都!