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ごきげんよう皆さま
コムテです🏚🌲☀
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さて、前回までは
私が37歳の時にアルコール依存症になり
専門病院へ3ヶ月入院して
自助グループに繋がって
お酒が止められ
その後
2年掛けてインテリア・コーディネーターの資格を取り
最初の夫とは離婚し
程なく自助グループで知り合った男性と一緒に住み始め
(後に入籍したのは50歳の頃)
つくづく
会社勤めは向いていないと自覚してもいたので
怖いもの知らずの私は
エイヤっと独立
従業員ゼロの正真正銘
"個人事業主"として
仕事を始めたのが40歳の頃
インテリア・コーディネーターなんて言うと
素敵なスーツとヒールでびしっとキメて
お客様と
照明器具とかカーテンとかブラインドとか
床素材・壁クロスなんかをテキパキ決めて行く…
みたいなイメージだけど
前々から
DIY大好きな私の場合は
壁をぶち抜いて部屋を広くするとか
キッチンを使いやすくリフォームするとか
リノベーションのプランを描いてお客様に提案してOKなら
提携している職人さんたちに造作してもらう
そんな仕事をしていました
アタマで描いていたものが
目の前で次々とカタチになって行く
職人さん達の仕事を見ているのがこの上なく楽しくて
「打合せ終わったので、コムテさんもう帰ってもらって良いですよ」なんて
よく大工さんに邪魔にされたもんです(笑)
元々ワーカホリック気味なワタシ
仕事にハマり
前に勤めていた会社のオーナーが後押しして下さった事もあり
数年後には経済的なゆとりも出来て
「このまま私は順風満帆?」
と思いきや…
そしてここからようやく
前回の記事の続きになります😅
✨✨✨✨✨✨
幼い頃から頭脳明晰
両親の自慢のタネだった3つ年上の兄は
大学卒業後も
一層エリートぶりに磨きがかかり
まさに飛ぶ鳥を落とす勢い
都心の一等地に
1億円越えの豪邸も建てて
兄はこのまま
華やかな人生を全うするのだろうと
私も周りも信じて疑わなかったけれど
眩しいスポットライトが作り出す陰は
ものすごく濃くて暗かった
ある日
「(兄が)うつ病になった…」と
義姉からの電話
「彼があなたに来て欲しいと言っている」
余りにも突然の知らせだったから
私は相当ショックを受けて混乱したまま
急遽兄夫婦の家に駆け付けました
事業に失敗したと思い込んで
すっかり生気を失って
無表情の兄を助手席に乗せてクルマを運転していると
「なぁ◯子、酒呑んでる頃はあんなに酷い状態だったのに、どうやってこんなに元気になったんだ?」
「俺のヒントになるかも知れないから聞かせてくれ」
と
まるでプライドの塊のような
そんな兄が初めて心を開いて
私にそう聞きました
それから3日間兄と二人で過ごして
「また来週も来るから」
と伝えたけれど
兄と会ったのは
それが最後になりました
兄は
それから数日後に自死したのでした
(兄が亡くなったハナシ、
読んで下さる皆さまのお気持ちが暗くならないように書きたいと思いましたけど、ちょっと無理だったかも😅💦)
世界中の人たちが自殺したって
兄だけは絶対にそうしないと考えていたって
後で気づきました
兄は生前
まるで父親のように私を可愛がってくれました
お酒を止めたばかりの頃
北京で仕事をしていた兄は
私を心配して遊びに来いと招いてくれたり
会えば必ずお小遣いをくれたし
コーディネーターの2次試験対策講座の費用も全部払ってくれました
私の独立を心から応援してくれたのも兄でした
そんな敬愛する兄が突然亡くなるなんて
どうしても受け容れられず
私は暫くの間
茫然自失の状態でした
夜中に突然目が覚めて
大泣きすることもありました
そんな時
別の部屋で寝ていた当時の夫は
声を聞きつけて私の所に来てくれるけど
私はどうしても
心を開いて彼に慰めてもらおうという気持ちになれなくて
どうして良いか分からない夫は
そのまま自室へ戻るのでした
そして
まだ兄の死が受け容れられずにいた数ヶ月後
ショッキングな事件は続きます
私たち夫婦が仲良くしていた女性と
夫が親密になっていると知ることになり…
「まさかそんな事あっていいの?」
「何で?なんで今なの?」
ショックが大き過ぎて
まるで
地べたに叩きつけられて
身体ごと圧し潰されたようで
生きてる気がしない
私は泣きに泣きました
(兄が亡くなって17年経ちました。幸運なことに、兄の死から数年経って、私はチカラのある霊能者と知り合いました。彼女が、兄(の魂)と繋がって伝えてくれた事が生前の兄そのもので、私はその頃から、たとえ肉体が死んでも魂はちゃんと生きていると心から信じられるようになったので、今では兄の自死も全て納得して、受け入れています✨)
その⑤に続きます






