インド旅行を振り返って・・・
やっと終わった~~~~!!インド日記。
3月に書き始め、数ヶ月お休みし、六月に再開し5ヶ月ちょっと・・。
たった1ヶ月の出来事をよくもまぁ、こんなに引っ張りながら
書いたものだ・・。
そしてよく飽きずに読んでくださったものだ・・。笑
ありがとうございました。
私がインドに行こう!!と思ったのは昨年の年末。
不意に「インドに行きたい!!」と思ってしまったのだ。
ヨガを習っていても周りの人が行こうとも
全く興味のなかったインド。
しかし何故だかわからないがフッと行きたくなってしまったのだ。
そう、インドからの招待状が届いてしまったのだ・・。
行きたくなったらもう止められない。何が何でも行きたいのだ。
いつもは「のんび~り」「ゆっく~り」行動力のない私だが
インドに関してはとっても早かった。
ヨガ教室の代行をお願いし、あらゆるブログや、HP、本をチェックし、ヨガ発祥の地リシケシに行く事に決定。
次は旅行日程を決めなくては・・。
色んな旅行会社に問いあわせても観光地を巡るツアーが多く
それにもピンと来なかった。
なのでツアーを組む事をやめ航空券と一日目の宿泊そしてリシケシまでの電車のチケットだけを予約し、後は
行き当たりバッタリで行動する事にした。
かなりのイメージトレーニングはしたけどね・・。笑
リシケシの情報が欲しくてネットで色々と検索したものの、
あまり多くの情報を得る事が出来なかった。
これだけヨガが流行っているのだからもっと情報を得れるかと
思っていたのだが・・。
数少ない、リシケシについての情報が載っているブログがとても
為になったし、力強い助っ人になってくれた。
そんなわけで私もこれから行かれる方の為に
少しでもお力になれれば・・・。と思い日記を書くことにしたのであった。
・・。しかし・・。ほとんどシモネタ‥.。バカ話・・。笑
なんのお役にも立てないであろうな~。とは想像がつきますが・・。笑
今回インドに行くのはかなりの決断力がいった。
海外に一人で行った事もあるし、英語が喋れなくても
大丈夫!!って変な自信はあった。
でもインドは未知の国。
どんな衛生状態、交通状態、通信状態・・。などなど・・。
全くもって想像できなかった。
そして、行く前に「臓器売買がまだ頻繁に行われている。」
だとか、「行方不明になってかえってこない人が沢山いる」だとかを聞くと、さすがにビビッテしまた。
母の大反対を押し切り、インドに行く事にした。
「何でインドに行かないといけないの?」
「ヨガの勉強」
「他のとこでもできるでしょ?」
「インドがいいの」
「じゃあ、せめてツアーにしなさい」
「ツアーじゃ意味ないの・・。」
「何で意味ないの?」
「色々案内されて見てまわるだけじゃ嫌なの・・。
自分で見たいものを探して見ていきたいの・・。」
「そんなの大丈夫なの?女一人で?」
「たぶん・・。きっと・・。どうだろね・・・?」
「お母さん心配やわ・・。もし、何かあったら
行かせた事を一生後悔するわ・・。お母さんも一緒に行くわ。」
「・・・・・・。すみません・・。遠慮します。(^-^;)
でも今行かなかったら私が一生後悔すると思う・・。」
と説得し、インド行きを決めたのであった。
今思えばおかしな話だが、インドに行く前は
本当に死んでしまうかも・・。と考えたりした。(^-^;)
親に向けて遺書を書いて旅立ったのである。笑
最後まで反対していたけども納得し送り出してくれたこと、
33歳にもなって結婚もせず、ほぼニートの生活でも
やりたい事があれば頑張りなさい。と応援してくれていた事.
などなど・・。いろいろな事に感謝した。
面と向かって渡すのも恥ずかしく、父の仏壇に小額だが今まで貯めたお金、通帳と手紙を置いて出てきたのである。
部屋の片付けもしていった。
これは見られたくない!というような、手紙や日記など。
綺麗さっぱり処分した。笑
何故ココまで決心をして行きたかったのか・・?
20歳の頃足に腫瘍が出来た。
別に痛みもなく、外見が変化しているでもなく。
ただマッサージの仕事をしていたので自分の体を使って
よくレッスンをしていた。
するとスネのあたりが少し腫れているような・・。
ギュ~っと押さえるとズンッとした痛みが・・。
ちょっと気になり、近くの整形外科に。
すると骨に腫瘍が出来ているという。
「腫瘍?」ってガン??
あまりピンとこず紹介されるまま大きな病院へ。
検査の結果、
「悪性腫瘍ではなさそうですね・・。」との事。
よかった~。ガンではなかったんだ・・・。(^-^)
まだ年頃だし結婚もしてないので体にメスを入れるのは・・・。
と先生がいってくれ様子を見ていくことにしましょう。ということになった。
3ヶ月に1回の定期検診。
な~んの変化もなく、ただただ月日は流れていった。
24歳の時先生が
「とりちゃんはまだ結婚の予定はないの?」
「全くありましぇ~~~~ん。トホホ」
でもどうして???
「そろそろ手術をしたほうがよさそうなんだよね・・。」
「手術??」
「そう・・。今までは変化がなかったけどココのところ
形が少し変わってきてるからね・・。少しだけど・・。
結婚を待っていてもまだなさそうだしね・・・。(^-^;)」
「形が変わったらどうなんですか?」
「悪性に変化してる可能性もなきにしもあらず・・」
「悪性ってガンの事?」
「そうだね・・。」
「ガ~~~~~~ン(TдT;)」(ダジャレ・・。笑)
てな訳で手術にはかなり抵抗したが結局他の大きな病院3件で
見てもらっても「悪腫瘍の可能性あり」だった・・。
これだけ若くてガンだったら転移が早いんじゃないの??
私って死ぬの・・?と心底落ち込んだ・・。
その時初めて「まだまだ生きたい!!」
「まだまだ色んな事をしたい!!」と思った。
その頃はまだ若かったし、ブランドのバックや時計などに興味があった。
でもそれらの物を見ながら
「でもこれって一体何になるんだろう・・。」
「これを買うために一生懸命働いて・・。」
「もしこのまま死んでしまうのなら、私には何の思い出が残るのだろう・・。」と虚しさが出てきた。
その時からあまり「物」えの執着がなくなった。
その代わりに「楽しむ事」への執着心が芽生えてきてしまったのだ。
人生は一度っきり。輪廻転生があるとしてもこの肉体、魂、周りの環境であるのはたった一度。
それならば、思い存分人生を楽しみ「あ~楽しかった」と言って
生涯に幕を下ろしたいとおもったのである。
結局手術の結果は「良性腫瘍」であった。
先生たちは「良性でよかったですね。疑いのあるものを置いておくより取ってスッキリした方がよかったでしょ」
との事だった。
確かに悪性ではなく、ホットしたがその代償はかなり大きかった・・・。
今でも残る、大きな手術跡。
骨を削って人工の骨を埋めた為にそれが固まる為に半年間の不自由な松葉杖生活。
神経も傷つけているのでちょっとした衝撃での痛みが数年間
何よりも嫌だったのが体質の変化。
今まではことわざ通り風邪をひくことが本当に少なかった。
風邪をひかないと言ったほうがいいぐらいであった。(^-^;)
しかし全身麻酔を手術をしたせいか 抵抗力、免疫力が驚くぐらい低下してしまったのだ。
ちょっとした事で熱をだし、寝込んでしまうようになった。
手術そし、10年が経とうとしているココ数年でようやく
元のカラダにもどってきたような気がする。
その頃「思う存分人生を楽しもう。やりたい事はやっておこう」
と考えるようになったのだあった・。
今まで大嫌いだった勉強もするようになった。
色々な分野で興味が沸いてくるのだ。
もともとお利口ではない私が物事を理解し、暗記するには
かなりの努力が必要であった。
試験の前は必ずと言って良いほど脳みそが鼻から出てきそうになるのであった。(>ロ<;)
どちらかというと興味旺盛な私であったが病気になり益々
いろんなことにチャレンジしたい!と思い出したのである・・。
そして30歳を目前としたある日定期検診の為に病院を訪れた。
いつものようにレントゲンをとり、血液検査をし
先生と井戸端話に花を咲かせ・・。
「じゃあ、また半年後。」 とすんなり定期検診はすんだので
あった。
数日後病院から電話があり、
「検査の結果少し気になる ところがありますのでもう一度
病院に来てください.」との事であった・・・。
病院に行くと先生が
「血液検査の結果が出てきたのですが腫瘍マーカーの値が少し高いのです・・。」といった。
「腫瘍マーカーって何?」
黒田アーサーなら知っているが腫瘍マーカーは初耳だった。(^-^;)
手短に言うと体内にガンができると特殊な物質が血液中などに異常増加することがあり、これを腫瘍マーカーと呼ぶそうだ。
「へ~!!そうなんだぁ!!」
・・・・って私またまたガンの疑い????(><)??
それから2ヶ月に渡り検査が始まった。
まずは血液検査から。
色々な試験管にタップリと血を抜かれた。涙
その結果を待って、次はMRI。そしてCT、胃カメラ・・・。
等など・・・。
難易度(苦痛じゃない検査から。)の低いものから初めて行き
それでも腫瘍の場所が特定できなかったら次の検査へと
進んでいったのであった。
検査の途中で子宮筋腫であることがわかった。
成人女性の3人に1人の割合であるともいわれているそうだ。
「へ~、筋腫ね・・・。子宮に出来たオデキのようなものだろう。」と軽く考えていた。
そして検査が終盤に入っても一向に腫瘍が見つからない。
先生は、「筋腫が怪しいかもしれませんね・・。」
といった。
「子宮に腫瘍が出来ていたらどうなるんですか?」
「最悪の場合は子宮摘出ですね・・。」
「シキュウテキシュツ・・?????」
「妊娠は出来ませんが、ホルモン剤投与などで
その後の体は大丈夫ですから・・。」
ガ~~~~~~~~~~ン(;へ;)
この私もさすがにヘコみまくった。
どうやって家に帰ってきたか覚えていない。
生まれてきた時に産声を上げた以来こんなに
大泣きをした事はなかったのではないかというぐらい
大声で泣いてしまった。
最悪の場合子宮をとるとは・・。
子宮をとるって事は妊娠が出来ないんだよね?
妊娠できないって事は赤ちゃんが産めないんだよね?
「嫌だ~~~~!!絶対に嫌だ~~!!」
なんの為に女に生まれてきたの?
なんの為に今まであんなにうっとおしい生理を我慢してきたの?
赤ちゃんが産めないなんて私「欠陥品じゃん。」
女として意味ないじゃん!!
大好きな人との子供を授かり母として生きていく事が
当たり前だと思っていた。
ガンで死んだ方がマシだ・・。と真剣に思った。
あまり周りの人に心配させるのも嫌なので平然と振舞っていた。
が夜寝る時や一人になったときは涙が次から次へと溢れ出した。
数日間泣き続けハニワのような目になっていた・・。
母は「子供が出来なくても楽しい人生はおくれるよ。
妊娠が出来ないかも知れないって言われて今凄く辛いのは
判るけど、子宮摘出した方がいいのならそうしなさい。
もし腫瘍を残して子供が出来たとしてもその後悪化したら
どうする?幼い子供を残して死んでいく方が今よりずっと
辛い思いをしないといけないよ・・。」
と言った。
それはそうだがヤッパリ嫌だ!!
軽く1週間は超マイナス思考の暗~いハニワ女であった。笑
毎日毎日泣いていると飽きてくる。何で泣いてるのだか
判らなくなってきた。
泣いて解決するのなら幾らでも泣き続けているだろう。
しかしな~んにもかわらない。
自分自身が大嫌いになってくるだけだった。
そうだ!考え方を変えよう!!
「赤ちゃんが出来ないかもしれない。」それは凄く嫌なことだけど、出来なかったら仕方がない。
子供がいなくても 楽しく過ごせるパートナーを見つけよう。
そして旅行に行ったり、自分の趣味を増やしたり・・。
そう考えていかないと辛くてやってられなくなったのだ・・。
欠陥人間、欠陥女と自分自身が思っていたら自分自身のココロが
かわいそうである・・。
私自身が自分の事をちゃんと受け止めてあげないと・・。
そう気づいた時にとても楽になった。
そしてマイナス思考がどんどん自分を追い込んでいき
周りに対しても自分に対しても辛い思いしか
させないってことも・・。
空元気でも、笑顔でいたらそのうち自然に笑えるように
なってくるのだ。
ハニワ女の期間は本当に死にたいと思った。
生きている意味が見つけられなくたっていた。
限られた人にしか告白せず、平然を装い過ごしていたが
そんな時に友人から電話がかかってきたり
食事の誘いがあったり・・。
そうして他愛もないお喋りをしたり、笑ったりしていると
気分が晴れてくるのである。
そして気づかしてくれたのである。
私、こんなにも多くの人に助けてもらってる・・。
何気にくれたメールや電話からも元気をもらえた。
一人で生きていないって本当だなぁ・・。
親、姉妹、恋人、親戚、同僚、先輩、友人etc・・。
その時から人とのつながりをより重要視するように
なった。そして人間大好き人間になった。(^-^)
傷つけらるのも「人」だが助けてくれるのも「人」だ。
助けられてばかりの人間ではなく少しでも助けて
あげられる人間になれればいいな・・。と思っている。
色んな人と出会い、一緒に笑ってられる時間を過ごせたら
凄く幸せな気持ちになれる。
足の腫瘍の時は「楽しく生きる事」の大切さを
今回の腫瘍の時は「人の温かみ」を感じる事ができた。
この二つの病気はかなりショックな出来事だったけど、
それと引換えに大切なものを気づかせてくれたんだな・・。
と今は感謝している。
この病気がなかったら今でも、「なんか最近楽しい事はない?」
って言ってるだろう。
今は毎日が楽しいのだ。
「当たり前」というものがないと気づいた時から。
全てがありがたく、素直に感謝できるようになったのだ・・。
「健康でいてあたりまえ」
「ご飯を食べれてあたりまえ」
「友達がいてあたりまえ」
「こどもが産めてあたりまえ」・・・・。
インドにいった時も当たり前が本当に通じなかった。
そんなアホな・・。って事が沢山あった。(^-^;)
だからこそ今回の日記のような重~い、暗~い出来事を
思い出させてくれた。笑
未知の世界インドに行き楽しみ、そのついでに「インドで修行しました」みたいなハクをつけようと、ヨガの勉強をしに1ヶ月弱滞在した。笑い
朝晩毎日していたら
今まで出来なかったポーズも出来るようになり、
少し、体は柔らかくなってきたけど、帰国時には
そんな事どうでも良いような事に思えた。
助け合ったり、思いやって生きていたり、
(本当はカースト制でかなりの差別があるようだが、
短期滞在者の私にはあまり見る事ができなかった。)
そんな生き方、考え方、を肌身で感じる事ができた事が
何よりの収穫であった。
本来有るべき「人間らしさ」を見れたような気がした。
デリーでは踏んだり蹴ったりだったが
やっぱりそこでも色々な人に助けてもらった。
人の温かさを実感できた。
ハワイやタイ、オーストラリア・・。みんないい所だけど
インドは特別楽しく、そしてむかつく濃厚な国である。(^0^)
皆さんも是非一度インドへ・・・。
アッ、この数ヶ月の日記読んでたら行く気うせるか・・。笑
でも、本当にとても貴重な体験をさせてくれ、素敵な友達にも
めぐり合わせてくれ、凄く、凄く楽しい旅行をする事ができました。
インド万~歳!! また必ず行くからね~(^-^)/
END
最後の最後までダラダラと書いた文章力のない
インド紀行を読んでくださってありがとうございました。
これで白目を向きながらパソコンの前に座らなくても良いかと
思うとちょっとホットします。(^3^)笑
そして忍耐強く今日の超ロングバージョンを読んでくださって
ありがとうございました・・・。笑
追伸・・あれだけ検査しまくって泣かされまくった
腫瘍マーカーは2年後通常値に戻ったのでありました。
あれは一体なんだったのでしょうか???(^-^;)
私まだまだ生きるみたい!!きゃはは~~~~(^0^)
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