昨日、あるインドのコースに参加した方の会があったので参加してみました。

そのコースを主催してくださった方々には批判的に聞こえるかもしれませんが、ジャッジするような意図はございませんので、お許しください。

 

そのコースは苦しみから解放された状態の体験をするもののようでした。

僕は、かなり高価なので悟りを与えてくれるコースだと思っていました。

やはり「ある状態に達するためには、それに伴う時間も必要なのだ」と感じたのが、正直なところでした。

 

私はその方達のお話をお聞きして、「その方々の体験からは人に洞察を与えるのは難しいだろう」と感じました。

 

 

今は世界中の人がたくさん集まるようになっていますが、

今のコースが出来る遙か前、2001年にはまだテンプルすら出来ていませんでした。

当時、私も妻と幼稚園児の娘と一緒に参加しましたが、他の参加者は現地の村人達がほとんどで数名の西洋人も含まれていました。

 

そんなとき、Bさんから直接、日本人向けに話がありました。

といっても、20人もいなかったと思います。

「皆さんは後から来る人達のためのまでの最初の道を作ります。その道は徐々に広く舗装されて行き、最後に通る人達は走って行くようになります。ですから、皆さんか最も大変で重要な仕事をする方々なのです。」

 

そして、21日間のコースが始まり、その頃から世界中の人達が国別にコースを行うようになり、参加者が様々な解放の体験をするようになりました。

帰国後、私も10数年間の間、ほぼ全ての日曜祝日を使って北海道から九州まで、セミナーをやっていました。

そのセミナーの中では、参加者の方々の一人一人の苦しみの原因にフォーカスして洞察や気づきをもたらします。

その中で、自分の苦しみだけでなく、家族や友人、同僚などの苦しみを体験して、ワンネスの感覚を得ていきます。

自分が最も見たくない部分と直面するので、一部の人達からは「虎の穴」と呼ばれていました。

 

 

話を元に戻しますが、苦しみの無い状態を体験するにしても、「体験は体験に過ぎないのだ」と、ある意味残酷に感じました。

ただ、体験することで、そういう状態になれる実感が得られることは確かです。

 

Bさんはこんなことも話していました。

「それぞれの苦しみから解放された人がそれぞれのエキスパートになります。」

例えば、親子関係で苦しんできた人が解放されると、同じような苦しみを持った人達を導けると言うことです。

プロセスの中で、一つ一つの変化を感じながら解放された人は、後から来る人のガイドが出来ますが、近道を通った人はそれは出来ないと感じました。

 

昨日の会が終わってから、T先生と二人でいろいろ話したのですが、

苦しみから解放された体験を状態にするためには、愛が必要と思いました。

個人のレベルで言えば、安心できる場所と家族かもしれません。

神様と個人的に直接繋がれば、宗教など不要です。

そして、どんなに苦しくても、辛くても、そこに戻れば安心できてくつろげる家族があれば、なお良いと思います。

 

苦しみは、個人個人で異なるものです。

ですから、解放のプロセスも80億人いれば、80億通りのプロセスがあります。

昨日の会へ参加して、語学やスポーツと同じで、苦しみからの解放も近道はないと感じました。

また、方向性が間違っていれば、目的地に到達できないことは言うまでもありません。

 

社会システムとしては社会保障が必要ですが、

良い社会システムを作るためには、国民一人一人が精神的にも満たされる政策が必要だと思います。