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1941年シエナ O.N.Dコンコルソ 入賞曲を集めて~夏の庭・英雄葬送曲・夢の眩惑

Youtubeで、本年6月19日に行いました第38回定期演奏会より第3部の模様を公開しました。

本年は下記のような取り組みを行いました。

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 第3部では、第2次世界大戦中の1941年にシエナにおいて行われた作曲コンクールの入賞作品を3曲演奏する。このコンクールはOND(Opera Nazionale Dopolavoro)の主催により1940年と1941年の2度に渡って開かれたものの第2回にあたる。
ONDは労働者の娯楽機関として設立されたもので、設立後しばらくしてファシスト援助機関としての性質をもつようになった。ファシストの組織のうちでも最大の組織人員をもつものとなり、労働者の人気を博すものとなったが、政治的なプロパガンダとしての効果はナチスの同等組織には及ばないものであったらしい。
OND主催のこの2回のコンクールでは数多くの名だたる作品が世に送り出された。特に本日お送りする第2回のコンクールの入賞曲3曲はマンドリン音楽の至宝とも言え、イタリアロマン派によるマンドリン音楽の最後の輝きと見ることができる(同時の入賞曲としG. Terranovaの組曲「シチリアの水彩画」がある)。これらの曲は長く本邦では知られていなかったが、同志社大学OBの声楽家岡村光玉氏は留学のために1974年渡伊した後にこれらの楽譜を保持するシエナのアルベルト・ボッチ氏に懇願し、そのコピーを譲り受け日本に持ちかえった。それにより我々はこの重要な作品群を知ることができたのである。
第2回コンクールの行われた1941年は戦時中であり、イタリアにとっては終戦まで2年という特殊な状況下にあった。そのような激動の時代にあって生み出されたこれらの曲は、それぞれが芸術的な価値を有しながら、やはり時代との関わりを避けえずに存在している。今回の演奏会では3曲を同時に取り上げることで、これらの曲がどのように時代に寄り添い、あるいは対決しているのかを浮き彫りにしたい。
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Primo Silvestri : Giardino Estato,crepscoro
  プリモ・シルヴェストリ : 夏の庭、黄昏



夏の庭 黄昏
Giardino d’Estate, Crepuscolo (1941)
プリモ・シルヴェストリ
Primo Silvestri (1871.5.9 Modena~1960.2.6 Modena)

作者は14才の時から音楽を学び始め、ギターをセミル教授について習い、その後ペザロの音楽学校教授ビアンキーニに和声、対位法とピアノを学んだ。モデナのウンベルト一世吹奏楽団の指揮者に任命され、その後モデナ・マンドリン合奏団を創設した。イル・コンチェルト誌の主幹としてイタリアマンドリン界を啓蒙した。マンドリン合奏曲として「静けき夜」、「夜の静寂」、「ノスタルジー」など多数の作品がある。
 本曲は前述のコンクールにおいて第3位を受賞した。
外形上の特徴として、イタリアのマンドリン合奏曲の中でも最大級である編成の大きさがある。原譜ではオッタヴィーノ(オッタヴィーノという楽器は現存が確認されていないが、古楽器においてしばしば解釈されるものとして「1オクターヴ高い楽器」、伊語においてピッコロの事、などとある事から、当時において、流通され得なかった当該撥弦楽器が存在したのかもしれない)、クワルティーノ2部、マンドリン6部、マンドラコントラルト2部、マンドラテノーレ3部、マンドロンチェロ2部、マンドローネ(バス)、ギター、トライアングル、シストロ(同名のエジプト起源の打楽器ではなく、音程のある鐘のような楽器)、ティンパニと、弦楽器のみでも18パートを数える。このうちオッタヴィーノ、クワルティーノ、マンドラコントラルト、シストロ、ティンパニにはAd libitumとの表記があり、現在この作品が取り上げられる際にはパートが省かれることも多い。今回の演奏ではオッタヴィーノとクワルティーノについてはマンドリンで代奏することで曲のもつサウンドを再現したい。なお、原譜でクワルティーノおよびマンドラコントラルトが4度移調楽器として書かれていることから、オッタヴィーノについてもオクターブ移調楽器として記譜されていると解釈した。
 オーケストレーション上の構成では、高音楽器のハーモニーに始まり、オーケストラ全体の豊かな響きを経て、再び高音楽器のハーモニーで曲を閉じるように書かれている。前述のように本曲は特に高音楽器に多くの楽器が割り当てられており、高音の分奏による響きの美しさは特筆すべきものがある。構成上ハーモニーの重心が高音から低音を経て高音へ遷ることは、青空が赤い夕焼けを経て夜の藍色に遷り変わる黄昏に喩えることができよう。
 曲は自由な形式に依るが、冒頭旋律に現れる2度下降形が曲全体に渡って用いられ、統一感を示している。ギター独奏で提示されマンドラテノーレ独奏で再現される主題は提示・再現ともに主調であるが、扱いは軽くエピソード的である。楽想の中心をなす主題は平行調、主調、主調、下属調の順に現れ、またその旋律も変化が大きい。ここから、本曲の構成は統一感をもたせながらも変化と遷り変わりに主眼を置いたものだと考えることができる。

参考文献:
中野二郎著「いる・ぷれっとろ」
 
Carlo Otello Ratta : Epicedio Eroico
  カルロ・オテッロ・ラッタ : 英雄葬送曲



英雄葬送曲
Epicedio Eroico (1941)
カルロ・オテッロ・ラッタ
Carlo Otello Ratta (1888.9.24 Ferrara~1945.10.30 Ferrara)

 作者はフェラーラに生まれ、フェラーラに没した作曲家。作者の作品としては本曲の他、1935年、コモで初演された1幕もののオペラ「Marfisa」や、2幕のオペレッタ「計器飛行」などの他、斯界においては、1940年の第1回コンクールで入賞した東洋風舞曲「イタリアのチュニジアにて」が知られている。「イタリアのチュニジアにて」作曲当時フランス統治下であったチュニジアはイタリア系移民による領土回復運動が盛んであったが、トブルクの戦死者に捧げられた本曲と併せて見ても、作曲の標題上の題材に作者の北アフリカ戦線への強い関心が表れていると言えよう。
 本曲は前述のコンクール第2位の作品である。曲頭には”Ai valorosi caduti di Tobruk(トブルクの勇敢な戦死者に)”または”Ai gloriosi caduti di Tobruk(トブルクの栄光ある戦死者に)”との記述がある(本曲はパート譜の形で本邦にもたらされたが、パートによってこれら2種類のいずれかが記されている)。トブルクは第2次世界大戦中の北アフリカ戦線の主戦場であり、戦略上の重要な地点であった。開戦時にイタリア領であったトブルクは1940年末にイギリスの攻撃を受け陥落する。本曲における戦死者とは、1940年のトブルク陥落における戦死者であると推察される。砂漠の狐と呼ばれたドイツの著名なロンメル将軍が北アフリカ戦線に派遣されたのはこの後1941年の初頭である。これによって1942年の中ごろには再びトブルクは枢軸国が占拠するに至った。本曲が発表されたのは1941年であり、最初のトブルク陥落からロンメルによる反攻が始まる頃までに作曲されたと考えられる。すなわち、本曲はかつての戦場に捧げられた葬送曲ではなく、当時なおも戦場であり続けた地への葬送曲なのである。
 本曲は即興的で激しいMaestoso、穏やかに始まり徐々に高まりを見せるAndante Cantabile、行進曲風のSolenneの3つの部分からなる。楽式上の特徴として、Andante Cantabileの各部の調性設定が挙げられる。これは(ニ長調-ニ長調)-(中間部)-(ト長調-ニ長調)となるもので、提示部にはない調性対立が再現部に現れることに特徴がある。古典のソナタ形式では提示部における調性対立が再現部で緩和されることで対立から調和への変化が表現されるが、本曲のAndante Cantabileはその正反対であると言える。すなわち、ここで表現されるのは調和から対立への変化である。
 この構造は、史実と照らし合わせればその意図することが明白となる。激しい戦いによりトブルクは陥落するが、戦争はそこでは終わらない。一旦小康状態になったとしても、再びの戦いに向けて立ち上がるということである。戦争というパラダイムの中では、死者の命を無駄にしないということは戦争への勝利と同一視されてしまう。そうして勇敢で栄光ある戦死者は英雄となるのである。
 そこにあるのは、死者への弔いすら平和への希求ではなく新たな戦いへの道具となる悲しい現実である。しかしそれは単に70年前に起こった過ぎ去った現実であろうか? 過ちを繰り返さないと誓うためには、自らの過ちを認めることが必要である。本曲の存在は、現在にあってなお我々を映す鏡となるだろう。

参考文献:中野二郎著「いる・ぷれっとろ」
Wikipedia, the free encyclopedia(英語版)Tunisian Italians
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』北アフリカ戦線

Ugo Bottacchiari : Incantessimo di un Sogno,Meditazione
  ウーゴ・ボッタッキアリ : 瞑想曲「夢の眩惑」



瞑想曲「夢の眩惑」(1941)
Incantesimo di un Sogno, Meditazione
ウーゴ・ボッタッキアリ
Ugo Bottacchiari(1879.3.1Castelraimondo~1944.3.17 Como)

 作曲者はマチェラータのカステルライモンドに生まれ、同地の工業高校で数学と測地法を学んだが馴染まず、幼少より好んでいた音楽に傾倒していった。そしてピエトロ・マスカーニ(歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」で著名)の指導下にあるペザロのロッシーニ音学院に入学し、厳格な教育を受けた。師マスカーニからは直々に和声とフーガを学んだという。1899年にはまだ学生であったが、歌劇「影」を作曲し、マチェラータのラウロ・ロッシ劇場で上演、成功を収めオペラ作曲家としてのスタートを切った。卒業後はルッカの吹奏楽団の指揮者や、バチーニ音学院で教鞭をとるなどしつつ、管弦楽曲、歌劇、室内楽曲、声楽曲、マンドリン合奏曲など数多くの傑作を表し、諸所の作曲コンクールで入賞した。
 マンドリン合奏のための作品としては、1906年のシヴォリ音楽院の作曲コンクールで第1位を受賞した4楽章の交響曲「ジェノヴァへ捧ぐ」、1910年のIl Plettroの第3回作曲コンクールで第1位を受賞したロマン的幻想曲「誓い」や「交響的前奏曲」などを残し、いずれも斯界の至宝的存在となっている。ボロニアで発行されていたマンドリン誌「Il Concerto」の主宰者になり、1925年にはA. Cappellettiのあとを継いで、コモのチルコロ・マンドリニスティカ・フローラの指揮者に就任するなど、作曲以外の面でのマンドリン音楽への貢献も大きいものがある。
 本曲は前述のコンクールで第1位を受賞した作品である。 本曲が作曲された1941年は作者が亡くなる3年前にあたり、本曲には作者の円熟した作曲技法が惜しみなく用いられている。「ジェノヴァへ捧ぐ」に片鱗が見える、楽想ではなくモードによって主題の特徴づけがなされるソナタ形式、「誓い」に用いられる低音から主題が現れ高音へ遷移する導入部、「交響的前奏曲」に見られる緻密なディナーミク設計とゼクエンツの取り扱いなど、作者のマンドリン合奏曲の魅力となる要素が本曲には多く用いられている。ボッタキアリの作風である色濃いロマン主義が根幹をなしながら、全音音階や教会旋法、および教会旋法を元にした合成音階の使用は印象主義の影響を感じさせるものである。そしてこれらの作曲技法はその全てが非常に緻密に構成され、思想の音楽的体現に至っている。これらの意味で本曲は紛れもなく作者の最高傑作であるとともに、イタリアロマン派のマンドリン音楽の頂点であり終着点である。
 本曲の最も深遠な構造上の特徴は、「意味」という軸における多層構造である。この多層構造は、次のような4つのレイヤーの集合として考えることができる。
1. 単一の動機を全体で共有した音楽
2. ソナタ形式による、調性とモードで主題が区別された音楽
3. 主題間のエネルギーのやり取りがある、主題の融合をもった音楽
4. モードのもつ調性上の多義性を基に、調性による対立が破棄される音楽
これらはいずれも本曲の内容を表したものであり、どのレイヤーで音楽を見ることも誤りではない。さりながら、どのレイヤーで音楽を見るかによって曲が有する意味は大きく変貌する。
レイヤー1においては、本曲は3度下降-3度下降-2度上昇という単一の動機が様々な形に展開される音楽であり、そこには対立の概念は生じない。
レイヤー2においては、本曲は4つの主題を有するソナタ形式である。第1の主題は全音音階を特徴として主調提示主調再現され、第2の主題は最も安定した長調での主調提示であるが展開部においてミクソリディア旋法となり属調再現され、第3の主題は主調提示で属調の属調再現、第4の主題は和声的フリギア(フリギア旋法を元にした合成音階)を特徴として属調提示属調再現される。このうち第1の主題と第2の主題は正反対の方向から同一の概念を示すものと見ることができる。第1の主題は調性的にあいまいであるにも関わらずひとつの調性への結びつきが強く、第2の主題は調性的に安定であるにも関わらず旋法を変え調性を変えて再現される。これは一見不安定なものが安定であり、他方で一見磐石であるものが非常に脆いものであるということである。このレイヤーでは、第1の主題と第2の主題は対比される。
レイヤー3においては、第1の主題と第2の主題は交歓するものである。第1の主題が力を得るにあたって第2の主題からのエネルギーの流入がある。第1の主題は第2の主題のミクソリディア旋法を吸収し、その意味では両者は融合する。このレイヤーでは第1の主題と第2の主題は親和性が高く、それらと対立するのは第4の主題である。
レイヤー4においては、第3の主題を用いて調性対立の意味が書き換えられる。ある調の長調はその属調のミクソリディア旋法と構成音が同一であるが、これを第3の主題に適用することで主調と属調の対立が本質的ではないものであることが示される。これによって、主調志向の第1の主題(および第2の主題)と属調志向の第4の主題の対立は意味上の価値を失う。
 本曲の書かれた1941年は既に述べたように激動の時代である。時代と重ね合わせて見るならば、レイヤー2における、最も確かだと思われたもの(第2の主題)が実は最も脆いものであるということは、今信じられているものが脆くも崩れ去ることへの暗示である。すなわちこのレイヤーから見られるのはファッショによる体制への批判であるが、一方でより形のあいまいなもの(第1の主題)は力を維持することから、もっと純粋な意味でのナショナリズムを否定してはおらず、両者を対比的なものとして提示している。ひとつ上のレイヤー3では第1の主題に力を与える過程に第2の主題が大きく関わっていることから、体制は単純に否定されるのではなくその延長にあるべき姿を導く存在となるように意味を変更させられるものである。ここでは対比されるのは国家内部ではなく外部の力である第4の主題である。さらに上のレイヤー4では、第4の主題との対立も解消される。すなわち、国家内部と外部の壁は再び取り払われ、それまでの全ての意味を内包した上での平和が示される。この状態は全てに区別が無いレイヤー1と類似しているが、そこにはひとつの次元の異なりが存在する。(以上のような見方はあくまでも標題的な解釈の一例であり、本曲の価値がそこに限定されるわけではないことをお断りしたい)
 「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」とは江戸川乱歩の好んだ言葉である。夢と現実の交換は真実と虚像の交換と等しく、価値観の根本的な転換を暗喩するものであろう。すなわち本曲における”Sogno(夢)”の”Incantesimo(魔法を掛けること)”とは、価値観の転換そのものを指していると考えることができる。転換された価値観の下では、意味づけによって真実を再構築することが必要となる。意味という軸で何度も上書きを行う本曲の構造は、価値観の転換を描くとともにそれに対して真実の再構築という救済を与えるものであろう。
 本曲はLargo sostenuto、Largo triste、Andantino mossoとテンポ指定された3つの部分からなり、大まかにはそれぞれが提示部、展開部、再現部に相当する。主題の提示は、マンドローネに始まる第1の主題、ギターと第1マンドリンがオーケストレーションに加わる第2の主題、さらにハープが加わる第3の主題、提示部中の最強奏である第4の主題の順に行われる。各主題はひとつの動機を共有するものであるため、展開部では動機を用いた展開は少なく、主題が各々の形をある程度保持したまま対立または融合する。再現部では第3の主題、第2の主題、第4の主題の順に再現が行われ、最後に全曲の最強奏として第1の主題が演奏される。
 本曲の鑑賞にあたっては、前述の構造自体がもつ多義性のために一度に全てを受け取ることは難しい。むしろ最初の鑑賞で最上位のレイヤー4に到達してしまうならばそれは本曲のもつ価値観の転換を一度も経験しえないことになるため、曲の魅力を真の意味では体験できないということになってしまう。本日の演奏を通じて皆様のもつレイヤーからひとつ駆け上がっていただき、価値観の転換を一度でも味わっていただければ幸いである。

参考文献:
ぶろきよ「夢の魅惑」
オザキ企画「Ugo Bottacchiari集(1)」松本譲編


各曲とも曲目解説は清田和明氏によるものです。
さらに知りたい方は
ぶろきよ へどうぞ

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