Iさんと六尺バーシャン
Iさんは私がデイサービスを始めて半年くらい過ぎた頃、ケアマネージャー様のご紹介で通所頂けるようになったご利用者様でした。
建設会社の社長をされていた方で当初は良く経営上のチェックポイントを教えていただきました。身体は小さい方でしたが明るく度量が大きく、親分肌という表現がぴったりでした。
少し麻痺がありましたがリハビリテーションの甲斐あって自宅内であれば大きな不自由なく4~5年は平穏に過ごされました。しかし、多発的な脳梗塞の影響が少しずつ認知障害という形で表れ始めました。
現実と記憶の境界があいまいになり論理的につじつまの合わない言動が目立つようになりました。突然、怒り出したりすることも珍しくありません。
当時、デイサービス利楽には身長が185cmほどもある男性スタッフが在籍していました。Iさんが小柄だったせいもあり二人が並ぶとちょっとシュールな雰囲気が出来上がります。そんな時、Iさんは僕らになぞの言葉を投げかけます。それが「六尺バーシャン」です。
認知症の色んな困ったことが起こったときでも件の男性スタッフが顔を出すとニコッと笑って「おぉ、六尺バーシャン」と機嫌がよくなります。彼には何度も助けられました。
でも、Iさんの認知症状は少しずつ厳しくなっていきます。とうとう自宅で弄便行為が出てきました。息子さんが仕事で早く出かけられるとき、Iさんはトイレに行けず失禁してどうしてよいかわからなくなっておられたのでしょう。
デイサービスのお迎えに来た私は思わずIさんを見ました。Iさんもとても悲しい目で私を見ていました。そしてその目から涙がこぼれてきました。今までのIさんから想像のできない姿です。私も堪えきれず涙が溢れます。とりあえず「大丈夫ですから!」と何度も何度も声をかけ、Iさんをお風呂場に誘導し手についた便を洗い流しました。不安のなかで押し潰れてしまいそうなIさんがおろおろとされています。
携帯電話で応援をお願いしました。程なく例の男性職員がやってきました。すると、驚くことに彼の顔を見るなり「よぉ六尺バーシャン!」とIさんの表情は一変して笑顔になりました。
なにか肩透かしを食らったようで、でも明るい表情に戻られてホッとしたりで、説明できない感情でした。そしてIさんは何事も無かったかのようにデイサービスに出かけていきました。
たぶん、六尺バーシャンとはIさんの古いお友達で、楽しかった記憶が蘇るのでしょう。
結局、本当の正体は謎のままでしたが、私はIさんの記憶の中の「六尺バーシャン」に助けられてIさんが入所するまで楽しい時間を過ごすことができました。
正直に言うと少しだけ彼に嫉妬を感じていました。
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