また追憶としての記事を少し書こうと思う
これまで追憶として
私の幼少期
母のこと
私の二度の結婚のことなど書いてきた
どれも
私自身を振り返る、いいきっかけになったと
今ではそう思う
今回は私と娘のことになります
娘は『夢の中の結婚』で書いた夫との子供
入所して不在の間、私と娘は二人で生活をしてきた
夫が戻らないと決定して、ほどなく仕事に復帰
母子扱いで保育園へ入所が決まり
娘は保育園へ通うことになる
朝起きてシャワーを浴び、髪の毛をセットして
化粧を済ませ、食事の支度をしてから娘を起こす
娘が起きてからは娘につきっきり
とにかくこの娘、一歳過ぎからイヤイヤ期がひどくて
朝ごはんのスプーンを置けば
「やーっ」
と言ってヒステリックに怒って泣く
あぁ、自分で取りたかったのかな?
そう思い事を始めからやろうとしても
泣いたままスプーン投げたりする
『なにやってくれてんの!?出かける時間になっちゃうんだから早く食べてよ!』
と、心の中で怒鳴りつつ
しばらく放置
少しして落ち着いた頃を見計らって食事にする
着替えをさせるとき
服のタグが肌に触れると嫌がって脱ごうとする
嫌がるので肌着のタグはすでに全部取ってある
たまたま肌着よりも上に出る、首元のタグを取れとさわぐ
少しでもタグが残ると、さらに嫌がるので
縫い目のところから外していく
靴下は履きたがらない
履かせるそばから脱いでしまう
仕方ないので靴下を持って玄関へ急ぐ
靴を玄関に出したところでまた大騒ぎ
『今度はなによっ!』
私が靴を出したのが気に入らないのか…
「じゃ、最初からやろう」
「ママが出さないからサヤ(仮名)が出して」
下駄箱へ戻しても大泣き
出しても大泣き
こうなると靴すら履いてくれない
私は仕方なく、片腕でサヤを抱えて
もう片方の手で荷物やサヤのものを持って家を出る
知らない人が見れば、狂ったように泣き続ける我が子を
気にすることもないような母親の姿にみえただろう
そのまま車を運転し
保育園にその状態のまま先生に預けたこともあった
慣らし保育では
私から先生へ抱っこで移動させようとすれば
私の服を掴んで離さなくて
やっとの思いで離れたら大泣き
「ママー!ママぁー!」
なかなか離れられない私を先生がたしなめる
「お母さんがいるほうがサヤちゃんにはつらくなるから行ってください」
「すぐ慣れますから」
そういうものなのか
そういうものなんだろうか
とにかく言われるがまま、その場を後にする
サヤの泣き声は下駄箱まで、下駄箱を出た外にまで聞こえてた
『ごめんね、ごめんね』
そんな言葉を繰り返し、私も泣きながら仕事へ向かった
サヤは
一週間もすれば慣れると言われていた慣らし保育で
一ヶ月近く離れるときは泣いていた
家からの流れで泣いたまま保育園へ行き
私と離れるときに泣き
いつでも泣いていたような気さえする
それでも
一年を過ぎる頃には
保育園にも慣れ、先生にも慣れ
大人しくて、一人部屋の隅で座っていただけのサヤが
お友達と活発に遊ぶようにもなった
サヤ二歳
イヤイヤ期は治まる気配は見えない…