長門裕之さんの言葉から | ほどよい敬語~「コミュニ敬語」でいこう

ほどよい敬語~「コミュニ敬語」でいこう

プロのライターでも経営者でも間違えることがある敬語。相手を思いやるコミュニケーションツールとして「ほどよい敬語」を使いこなして「デキル人」になっちゃおう。

*心を打たれた言葉。

「人脈記」(朝日新聞10月23日夕刊)より抜粋

コラムにあった長門裕之さんの言葉。
キーボードを打つ手が……止まり……震える。
真実の言葉は胸に迫ります。

----------------------------------------------
「おれの一番大事なもの。さよならの気持ちをこめて、
 一生分のキスをした」

「洋子の指のすき間からこぼれ落ちる記憶のかけらを
 かき集めて、あいつの手のひらに戻してやりたい。
 でも、落ちる速度が速くて追いつかないんだよ」

「どうしてもセリフが覚えられないの。
 目の前に台本を置いてもいい?」
「セリフを覚えるのがおれたち役者の仕事だろ!」

「洋子の病気に向き合うしかない」

「自分の中に暗闇が広がっていくようで
 心細いんだ。だから洋子は声を出して
 その恐怖と闘っているんじゃないか」

「後悔の気持ちはない。おれ自身が再生されて
 いる感じがする」

「『生きていてよかった』と洋子が思えるような
 楽しい人生にしてやりたかったんだよ」

----------------------------------------------
南田洋子さん。メリハリの効いたきれいな動作。
真っ直ぐな目線。
気品とあふれる美しいお姿が、目を閉じれば思い出されます。
TVの画面を通じてでしたが、たくさんの豊かなひとときをありがとうございました。

あなたはきっと「生きていてよかった」と思えるような
楽しい人生を過ごされただろうと思います。
長門さんの言葉から、そう感じます。
同じ、ひとりの妻として、同じひとりの人間として、そう感じます。

心からご逝去を悼みつつ。


待ってくれ、洋子/長門 裕之