私たちは関係とは何か、正しい関係というものを理解していない。かりに私が自分の満足、慰め、安心感のために君に頼っていれば、いったいどうして自由でいられよう? が、たとえそのように頼っていなくても、私はなお、君に関係しているのではないだろうか? 私はある種の感情的、身体的または知的慰めのために君に頼り、それゆえ自由ではない。 私はある種の安全を欲し、それゆえ両親にしがみつく。それは、彼らへの私の関係は依存の関係であり、恐怖に基づいていることを意味している。では、どうすれば自由な関係がもてるのだろうか? 何の恐怖もないときにのみ、関係における自由がある。そのように正しい関係を持つためには、恐怖の基になるこの心理的依存から自分を自由にさせ始めなければならない。 かりに私は収入のわずかな何かをしたいと思っているとする。かりに私が宗教的な人間になり、神とは何か、何が真理かを見いだすことに生涯をかけたいと思っているとする。このような生き方は私にお金をもたらさず、もしそれをたどれば、自分の家族を放棄しなければならないかも知れないーそれは彼らがたぶん、他の何百万もの人々のように飢えなければならないことを意味する。私はどうすべきだろう? 人々がどういうかーわたしは孝行息子ではない、不肖の息子だーを恐れているかぎり、わたしは決して創造的な人間にはなれないだろう。幸福で創造的な人間であるためには、私は大いなる自発性を持たなければならない。
ようするに、どういうことだ

重要なことは何が人生の目的であるかを問うことではなく、君自身のうちなる混乱をはらすことなのだ。
重要なことは何が人生の目的であるかを問うことではなく、君自身のうちなる混乱をはらすことなのだ。それは目の不自由な人が「光とは何ですか?」と問うのに似ている。もし私が彼に光とは何かを告げようとすれば、彼は彼の盲目に従って、彼の暗黒に従って聞くだろう。が、見ることができるようになるやいなや、彼は決して光とはないかを問わない。それはそこにある。