菊池市亘に所在する

菊池十三代武重公奥方の墓です。

文化財の指定は受けていません。

 

 菊池公園内の斜面に所在します。

 説明板によると、菊池武重の奥方は、後醍醐天皇側近の公卿万里小路宜房の娘で、武重の没後3年の興国5年、菊池勢が筑後に出陣中、合志幸隆に菊池の本城を攻め取られ、十五代武光が益城の豊田から出て菊池の本城を奪い返した6日間の激戦の中で亡くなったと言われています。墓と言われるものは、地輪が2個重ねてありますが、どちらも興国5年6月1日とあり、一つは側近の墓だろうと言われています。

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2020年1月撮影