天草市有明町須子に所在する
寛政の津波供養碑です。
文化財の指定は受けていません。
国道324号の北側、須子の入り江の右岸にある比較的新しい共同墓地内に所在します。
この津波供養碑は、寛政4年(1792年)の島原の雲仙岳噴火に起因する眉山崩壊による大津波の死者を供養するために建てられたものです。大津波は、有明海沿岸の村々に大きな被害をもたらし、沿岸部の各地に供養碑が建てられています。市町村指定になっている供養碑もありますが、この須子共同墓地内の供養碑は未指定です。
墓地内に江戸時代までさかのぼるようなお墓はあまり見当たらないので、おそらく江戸時代には砂浜だった場所に供養碑がぽつんとあったのかもしれません。海沿いに位置するため、移設されたものではないとは思います。
真ん中の小さな石碑が津波供養碑です。
四角柱型の供養碑です。
正面に文字が刻まれていますが、風化がかなり進んでいて字がほぼ読めません。
恐らく最後の三文字は「・・・溺死塔」かと思われますがよく読めません。







