現代の学校生活からはすっかり姿を消し、今や歴史の1ページ、あるいはフィクションの世界の住人となった感のある「ブルマ」。
しかし、かつての平成初期頃までは、体育の授業のスタンダードとして全国の学校に存在していました。
そして、その時代に世間を騒がせ、時には妙な生々しさをもって語られたのが「ブルマ泥棒」という存在です。
令和の今、学校帰りの女子高生たちの象徴といえば、風に靡くミニスカート。
放課後の街を軽やかに駆けていく彼女たちの制服姿は、いつの時代も変わらない青春の輝きそのものです。
しかし、その体操着がかつて「紺色のぴったりとしたブルマ」だった時代、女子生徒たちの日常には、現代とはまた違った種類の「戦い」がありました。
体育の後、更衣室に置いておいたブルマが、次の体育の際には忽然となくなっている―――。
そんな事件がひとたび起きれば、学校内はちょっとしたパニックと、好奇の目に包まれたものです。
てっきり外部からの不審者の仕業かと思いきや、実は一番恐ろしかったのは「クラスの同級生が犯人だった」という最悪のケースでした。
普段は教室で何食わぬ顔をして隣の席に座り、一緒に授業を受け、黙々と勉強をしている男子生徒。
そんな身近な存在が、放課後の誰もいない更衣室へこっそり忍び込み、ロッカーの奥やカバンの中からお目当てのブルマを盗み出していた…。
事件が発覚し、犯人がまさかの「クラスのアイツ」だと分かった瞬間、あの狭いコミュニティの中には戦慄が走ります。
それは事件発覚後に、女子たちから犯人へ向けて一斉に放たれる、文字通り「人間ではない、もはや虫ケラ以下」の冷徹な視線でした。
昨日までは、いくら冴えなくても同じ教室の空気を吸う「クラスメイト」として最低限の市民権を得ていたはずの男子。
しかし、ひとたび一線を越えて「ブルマ泥棒」のレッテルを貼られた瞬間、彼に対する女子たちの目からは、怒りや恐怖すら通り越して「一切の感情」が消え失せます。
それは世が世なら、彼女らによる金蹴りや電気アンマによって、心身共に去勢させられてしまうレベルの重罪です。
まるで廊下にへばりついた不快な害虫を、汚いものを見るかのように無機質に見下ろす、絶対的な拒絶の眼差し。
声を荒らげて責め立てられるよりも恐ろしい、言葉なき「完全な排斥」です。
彼がどれほど言い訳をしようと、這いつくばって謝ろうと、ミニスカートの裾から伸びる彼女たちの脚には近づくことすら許されず、その視線の冷たさだけで自身の社会的な死を痛感させられることになるのです。
しかし不思議なことに、時が流れた現代において、この「圧倒的なカーストの差」と「ゴミを見るような冷たい視線」というシチュエーションこそが、どこか背徳的で、歪んだ青春の「お約束」として消費されるようになっています。
夕日が差し込む部室の片隅、鍵の閉め忘れた更衣室、そして一番身近にいる男子の狂気と、それを一瞬で粉砕する女子たちの絶対的な女王の如き視線。
そんな舞台装置と共に語られる物語は、私たちが通り過ぎてきた「あの頃の学校生活」の、少しアブノーマルで刺激的な「裏の顔」だったのかもしれません。
現代の可愛い制服に身を包んだ彼女たちにとっては、もはや都市伝説のようなお話ですが、全てがデジタル化され、綺麗に整えられた現代だからこそ、かつての泥臭く、そしてすぐ隣に潜んでいた「あの頃のハプニング」に、私たちはどこか奇妙な物語性(ミステリー)を感じてしまうのかもしれませんね。
漂う柔軟剤の香りに汗とおならがたっぷりと染み込んだことで生まれる甘酸っぱい匂いは、図らずも僕たちが好きな子のブルマとその下に伸びる美脚に憧れを抱いていた甘酸っぱい青春の記憶を鮮明に呼び起こすのでした。








