「書くこととは聖なるものである。それは儀式であり、時として気が乗らぬとも、なされねばならぬ務めである。書くことは、私にとっては祈りであり、許しを求めることであり、犠牲でもあるのだ。」(「クムラン」エリオット・アベカシス)
「書く」ことの効用は紀元前の人々がすでに見出していた。
現代人の我々は、それを今さらながらに脳科学・心理学等々の
理屈をつけて理解した風を装ってはいるけれど、
古人(いにしえびと)はすでに感覚的に理解していたようです。
「私を読む者は過去を通して未来を、分析を通して総合を、釈義を通して始まりの粗削りを読み解くことになる。」
(「クムラン」エリオット・アベカシス)
歴史を、哲学を、学問を探求する者はこれを読み、過去を通して未来を、分析を通してすべてを、フィシスを通してノモスを理解することになるようです。
フィシス──自然の摂理論理、宇宙法則、自然本性理性
ノモス──人間の勝手な法と秩序、人間の勝手な論理倫理
「ソロモンの箴言 48」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12576886646.html
我々は我々が何者でどうすればどうなって、どこへ行き着くのかを知りたいと思っているのですから、「クムリン」のエリオットとはある意味利害関係の一致が見られるようです。
「私が語ろうとしていることは、あまりに途方もないことであり、人はそれを知れば、忘れようとするか否定するに違いないので、いずれにしても明記が必要なのだ。」
(「クムラン」エリオット・アベカシス)
「ところが1948年に我々の存在を動転させるような出来事が襲ったのだ。
ユダヤ人が国を持ったのだ。」
(「クムラン」エリオット・アベカシス)
1948年5月14日(ユダヤ暦:5708年イヤール5日)にダヴィド・ベン=グリオンによってテルアビブで発せられた中東のパレスチナにおけるユダヤ人国家「イスラエル」の建国宣言のことであると思われます。
この国名は、アブラハムの孫にあたるヤコブの別名イスラエルに由来するものであり、ヤコブが神と組み合った際に与えられた「神に勝つ者」を意味する名前だそうです。
ヤコブは古代イスラエルの王の祖先であり、伝統的にユダヤ人の祖先と考えられているようです。
アブラハムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信仰する「啓典の民」の始祖。
ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者で「信仰の父」とも呼ばれています。
ヤコブは、旧約聖書の創世記に登場するヘブライ人の族長。別名をイスラエルといい、イスラエルの民すなわちユダヤ人はみなヤコブの子孫を称する資格があるということなのかもしれません。
「新約がキリストなるイエスを中心としているのに対し、巻物(死海文書・聖典・旧約聖書)は一度も彼に言及していないということである。」
(「死海文書のすべて」ジェームス・C・ヴァンダーカム)
「聖なる真理 3(了)」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12545147237.html
僕は無信仰でキリストの存在そのものも信じきれないロクデナシ
ですが神は信じます。それはフィシスでありソロモンであり、ゼウス・ガイア・アフロディティであると思われるからなのです。
「我々の共同体のメンバー達にも先祖の土地に戻った者達がいる。他の者達は離散したままにとどまり、その方がメシア(真の救世主・真の王ダビデの先祖)を迎えるには相応しいと考えた。
だが話はその1948年よりほんの少し戻らねばならない。
なぜならそこから
私の物語の<最初の巻物>が始まるからだ。」
(「クムラン」エリオット・アベカシス)