美知武習録198(ニーチェ) | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

「いつかは死ぬのだから」(ニーチェ「力への意志」)
 
死ぬことは誰でも知っている。
が、その事実をどのように活かしていくのかが、
人それぞれ、そしてそれが問題でもあるのかしれません。
 
手抜きをすれば、その反動はいつか
自分自身が背負い込まなければならない。
そんなことは誰でもわかっている。
 
が、その事実をどのように活かしていくのかが、
人それぞれ、それぞれの問題でもあるようです。
 
手抜きも、気まぐれも、ズルも、
なんとかなってしまう場合もあるようです。
 
が、死はどうにもならないようにも思われます。
必ず死ぬ。勇気と自信と確信を持って、必ず死ぬ。
賭けても良い。必ず死ぬ。
 
死とは嘆き悲しむべき代物ではなく、
有効に活用すべき事物であると考えるべきなのかも知れません。
 
「誰にだって起こりうることが、誰かに起こってしまったといって、
 悲しむのは、正しいとこととはいえない。」(モンテーニュ「エセー」)
 
コラム・インテリジェンス「モンテーニュの罵詈雑言」
 
なのに我々は手抜きとか怠慢、そして醜く狡賢い情動は
気にするくせに、死という確実で最終的な情動には、
なぜか目をそむけて生きているようにも思われます。
 
これでは、メイクに気を遣い、ファッションに気を配り、
靴とバッグも最高のものを手に入れたのに、
いざとなったらスッポンポンで
外出してしまうようなものなのかも知れません。
 
「木を見て森を見ず」とか
「獣を追う者は大山を見ず」とかも申します。
 
目先の危機、目先の心配事ばかりに捉われているわりには、
死という確実な、いつでも訪れてくれる可能性の高い事象には、
目をそむけてしまう傾向があるのかも知れません。
 
「死ぬのは決まっているわけだから、
 ほがらかにやっていこう。
 いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。
 時間は限られているのだから、チャンスはいつも今だ。
 嘆きわめくことなんか、オペラの役者にでもまかせておけ。」
 (ニーチェ「力への意志」)
 
これだけ考え、これだけ苦悩すれば、
死んだ方がマシ。というくらいの状況に
自分を追い込み、情熱に突き動かされて生きることこそ、
最も大切なことのようにも思われるのです。
 
「最後の死が訪れても、それは、それだけ希薄にして、
 苦痛も少ないものと思われる。」(モンテーニュ「エセー」)
 
コラム・インテリジェンス「性と死」
 
僕は愚かで還暦で、すべてにおいてモンテーニュの足元にも、
枕元にも、爪の先程にも及びも比べもできぬ男ではありますが、
 
当時のモンテーニュと同年代の男として、
モンテーニュの持つ欲望よりは、
心身共に優っているようにも思われるのです。
 
「ハゲはスケベ」と云われるけど、僕のように白髪だらけでハゲなくても、
スケベではいられるようです。