サピエンス 10 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

 

「平均的な狩猟採集民は、

現代に生きる子孫の大半よりも、直近の環境について、

幅広く、深く、多様な知識を持っていた。」

(ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」)

 

7万年ほど以前のサピエンスたちは、

生き延びるためには縄張りの地図を頭に入れ、

食物となる個々の植物の成長パターン・動物の習性を知り、

個々の食物の栄養・疫害・効能等々をも

学ぶ必要に迫られていたようです。

 

並大抵の知識と経験だけでは、

とてもサピエンスとしては生き残れない。

 

文武両道。

 

金を稼ぎ、ゲーテを語り、星を眺め、神話を語り、

ときに暴力とも戦える男でなければ、

真のサピエンスとしての資格はないのかも知れません。」

 

文武両道とは、善の心と知識、善なる行動と策略を

身に付けるべくエクササイズに他ならないような

気もしないでもないのです。

 

「百戦百勝は善の善なる者に非(アラ)ざるなり。

 戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。」

(「孫子」(諜攻篇)」)

 

「男と女の兵法」

https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40233242.html

 

「人類全体としては、 今日のほうが古代の集団よりも

はるかに多くを知っている。

だが、個人のレベルでは、古代の狩猟採集民は、

知識と技能の点で歴史上最も優れていたのだ。」

(ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」)

 

今日、我々は、ともすれば、狭量なる知識と経験だけでも、

充分に生き延びてはいけるようにも思われます。

 

が、そこからの幸不幸を左右するものは、

真のサピエンスのDNAを正しく受け継ぎ、

文武両道、少しでも多くの知識と経験が

必要となってくるのかも知れませんネ。

 

「平均的なサピエンスの脳の大きさは、

 狩猟採集時代以降、じつは縮小したという証拠がある。」

(ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」)

 

そりゃそうだ。狭量で偏狭なる知識と経験だけで

生き延びられるような社会においては、

サピエンス本来の大きな脳は必要ないのかも知れません。

 

が、そこから幸不幸を選択していくためには、

やはり文武両道、サピエンス本来の脳が

必要となってくるような気もしないでもないのです。

 

今、我々は、サピエンス本来の脳を放棄して、

文武両道も疎かにして、

挙句の果てには、幸不幸については

多くを語るようになってきてしまっているようにも

けっして思われなくもないよにも思われます。

 

少年期・青年期を通して、善なる知識と経験を蓄えずして、

善なる行動と統率力を発揮しえなかった者たちが、

恵まれた経済環境と学歴だけにものをいわせ、

権力を身に付けられるような社会では、

我々サピエンスの行く末を危惧する人々が出てきても

ちっともおかしくも不自然でもないのかも知れませんネ。

 

「その年齢(20才)になっても、

能力のほどのあきらかな証拠をみせないような人間は、

その後も実際に能力を発揮することはまずない」

(モンテーニュ「エセー」)

 

「年齢について」

https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40149033.html

 

モンテーニュは、男性についてのみ、

語っているようにも思われます。¥

 

が、現実には、女性の場合には、

それぞれの年齢に応じた美しさや賢さが、

明らかに表象されているようにも思われます。

 

「そのうえ、狩猟採集民は家事の負担が軽かった。

 食器を洗ったり、カーペットに掃除機をかけたり、

 床を磨いたり、おむつを交換したり、勘定を支払ったり

 する必要がなかったからだ。」

(ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」)

 

そりゃそうですよネ。

私事、愛する人には、料理を作ったり、掃除をしたりの

時間は極力最小限にして頂きたい。

 

二人の時間を最優先としていただきたいのです。

 

そのためには、外食大歓迎、料理は手伝い、

洗い物は僕が担当し、掃除も一緒に行いたい。

 

が、これが、多くの破局を招いてしまった要因の一つでも

あるやも知れぬということには、つい最近、

気付かされてしまったようにも思われます。

 

「100均手料理」

https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/38322835.html

 

「そんな調子だから、噂話をしたり、物語を語ったり、

 子供たちと遊んだり、ただぶらぶらしたりする時間は

 たっぷりある。もちろん、たまにトラに捕まったり、

 ヘビに噛まれたりすることもあったが、交通事故や

 産業公害の心配はなかった。」

(ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」)

 

男も獲物を確保し、彼女をトラやヘビから守りさえすれば、

家族とともに過ごす時間が確保できた。

 

今や獲物を狩ることもできず、トラへヘビと闘うこともできぬ

男が増殖し過ぎてしまったのかも知れません。

 

そのような男に善なる心と行動、優しさと思いやりなどを

求めること自体が、もはや幻想となってしまったような、

そうでもないような気もしないでもないようにも

思われなくもないようにも考えられるのかも知れません。