コンビニ食材で作れる!彩りワンプレートモーニング
みなさん、おはようございます!りのタソです。
4月からの新生活や新学期に向けた準備で忙しくなるこの時期…。
みなさん、きちんと休養は取れていますか。
最近の私は、就活に追われ「やっと一段落ついた~!」と思って時計を見たら21時過ぎ。なんてことも少なくありません。そして、
“明日の朝ごはんどうしよう!スーパー閉まってる時間だ!”
と困ってしまいます。
朝ご飯は食べない人も多いかもしれませんが、人間の基本は健康的な食事から!
ということで、今回は、忙しいけど朝はしっかり食べたい!という人を応援するために、
宮城大で食を学ぶ私、りのタソが
『コンビニ食材で作れる!ワンプレート朝ごはん』を紹介したいと思います。
和食プレート、洋食プレートの両方を紹介しますので、好みに合わせて参考にしていただければと思います!
さっそく、コンビニに行って食材を調達してきました!今回はセブンイレブンさんで全食材を揃えました。
※写真にサラダチキンが写っていますが、使用しませんでした!ごめんなさい!
【買い物リスト】(合計1500円くらいでした!)
〇たまご
〇スライスチーズ
〇オリーブオイルサバ缶
〇きんぴらごぼう
〇トマトとバジルのロールパン
〇カットほうれん草(冷凍)
〇グリル野菜(冷凍)
〇ブロッコリー(冷凍)
※調味料は含まれていません。

では、さっそく料理していきます!
なお、レシピの一部を記事の一番最後に記載していますので、よかったら参考にしてみてください!
まずは和食プレートです!

〈メニュー〉
☆きんぴら卵焼き
☆ブロッコリーのおかか和え
☆ほうれん草の胡麻和え
☆サバのちゃんちゃん焼き風
※玄米おにぎりは自分で炊きました。
〈ポイント〉
◎鯖缶は火が通っているので時短で作れる!
◎きんぴらごぼうを卵焼きに入れることで味付け不要
◎冷凍野菜を上手に使って彩りバツグン!
〈感想〉
きんぴらごぼうは、刻んでから巻いたほうが形崩れなかったかもしれません!時間がある人は刻んでから巻いてみてください。
サバのちゃんちゃん焼き風は、サケ缶でも絶対美味しいと確信。
そして、1食分だと食材が大量に余るので、作り置きとして活用したいと思いました。ごちそうさまでした。
続きまして、洋食プレートです!

〈メニュー〉
☆ごぼうサラダロール
☆スパニッシュオムレツ
☆サバとほうれん草のチーズ焼き
☆そのまんまブロッコリー
〈ポイント〉
◎きんぴらごぼうの残りをアレンジ!
◎スパニッシュオムレツはレンチンでできちゃう
◎朝からチーズって幸せ(私だけでしょうか)
〈感想〉
きんぴらごぼうにマヨネーズを足すだけでごぼうサラダが完成しちゃうとは、私もびっくりしました。
サバ缶は和食にも洋食にも使える食材なので重宝したいな~。
そして、すべてのメニューで火を使わないので、寝ぼけながらでも安心して作れました。ごちそうさまでした!
いかがでしたか?
忙しい時期だからこそ、朝からしっかり食べて一日元気に過ごせるといいなと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
☆きんぴら卵焼き
①卵2個と水大さじ1をよく混ぜる
②フライパンを熱し、卵液を流す。
③きんぴらを1/3ほどのせ、弱火~中火で巻いていく。
☆サバのちゃんちゃん焼き風
①アルミホイルにサバとグリル野菜を盛る。
②味噌:みりん:酒:砂糖=2:1:1:1となるように混ぜる。
③ ①にかけ、オーブントースターで80~100℃約2分加熱する。
☆スパニッシュオムレツ
※10㎝×10㎝の耐熱容器で作りました。
①容器全体にオリーブオイルを塗る。
②卵2~3個を溶きほぐし、水を大さじ2加えて混ぜる。
③グリル野菜、塩・コショウを加え軽く混ぜる。
④ふんわりラップをかけ、600Wの電子レンジで『1分加熱→混ぜる』を2~3回繰り返す。
⑤お好みでケチャップや粒マスタードをつけてどうぞ。
☆サバとほうれん草のチーズ焼き
①アルミホイルにサバ、ほうれん草を盛る。
②スライスチーズをのせる。あれば黒コショウをふる。
③オーブントースターで120℃約2~3分加熱する。
Write&Photo りのタソ
悩める男子たち必見!ホワイトデーのお返しはこれで決まり♪2021
今回の記事はいのっちが担当します!
肌寒い時期の山場も超え、
春が待ち遠しくなってきたこの頃です🌸
さて、明日14日は、ホワイトデーですね!
ホワイトデーのお返しを何にしようか
悩んでいる方も多いと思います。
そんな悩めるお返しの品について、
実際にお付き合いされてる方にお返しする
私の友人、先輩に、どんなものを贈るのか、
リアルな情報を聞いてきましたので、
ぜひ参考にしていただければと思います!
1. 先輩、Y.Tさん
Y.Tさんは、
来月4月から東京の大学院に旅立ちます。
そんな新たなる地への旅立ちを控えたY.Tさんが、
ホワイトデーにお返しする品は
「キャンディー」だそうです。🍬
調べてみたところ、キャンディーには
「大好き」という意味があるとのこと!
これは意外でした!
(https://haru-journal.com/seasonal-events/14397/)
手軽なアイテムでありながら、
情熱的な思いを込められるキャンディーを
ホワイトデーの贈り物に選んでみては
いかがでしょうか!?
2. 友人S.Rくん
緑色の派手髪と、個性的ながらオシャレな
ファッションがトレードマークのS.Rくん。
彼の交際期間約1年の彼女さんへの
お返しの品は、、、
紅茶とのことでした。紅茶
実際の商品ブランドサイトがこちら。
⇒https://feuillesbleues.com/
オシャレなパッケージも魅力的ですね!
彼がオススメしてくれる紅茶はいつも
絶品なので、味も間違いないでしょう!
何種類かの香りの紅茶が
箱詰めになっているものは
お値段が少々張りますが、その中から
1つを選んで、個別で贈る形にすれば、
お値段もリーズナブル!
まさに万能の一品といえそうです
以上が、私の友人が実際に贈る
お返しの品になります!
ここからは回答私自身のSNSで
ご投票いただいた中から、
回答数の多かったものを紹介します!
1. 香水 (3票)
2. チョコ(2票)
香水、チョコといった意見が多かったです。
香水については、
選ぶセンスが特に問われますが、
癖がなくパッケージがオシャレなものを
選ぶことが大切かと思われます!
チョコに関しては、
お返しする相手との関係に寄らず、
フラットな目線でお返しすることができるので
お返しの品として不動の人気と思われます!
以上、ホワイトデーのお返しの品を
紹介してみました!
「何をあげるか」も、もちろん大切ですが、
やはり1番重要なのは、
「どんな思いを込めて贈るか」
ではないでしょうか!
皆さんが充実したホワイトデーを
過ごせることを祈ってます!
write&photo いのっち
東日本大震10年目の記録 〜小学5年生だった僕がいま思うこと〜
2021年3月11日。明日、東日本大震災の発生からちょうど10年の歳月が経ちます。この10年間で人々の心情の変化や街の復興など、当時に比べると色々なことが様変わりしてきました。しかしその一方で、未だ癒えない傷を抱えて生活を送っている人がいることも事実です。そんな10年が経った2021年3月11日。この日を節目に、当時の記憶を振り返りながら10年たった「今」について感じることを記録したいと思います。東日本大震災の記憶を風化させたくない。そんな思い出で書きました。
震災発生当時、私は岩手県の沿岸地域にある小学校の5年生でした。その時は5時間目の授業を受けており、外はどんよりとした曇りだったことを覚えています。いつも通りの日常。今日もいつと同じように、放課後まっすぐ家に帰るだけだと思っていました。
しかし、いきなり教室が大きく揺れ始めました。机や椅子がガラガラと音を立て始め、先生が「机の下に隠れて!」という前に私たちは机の下に潜っていました。経験したことのない大きな揺れに、私は静かに恐怖していました。周りではクラスの女子生徒たちの泣き声、強がってふざけ始める男子生徒の声、窓ガラスや教室の扉が揺れる音などで溢れ、どの音も恐怖心を掻き立てるものばかりでした。
先生の指示で私たちは校庭に避難しました。地面が大きく揺れていました。こんなに揺れていたら津波が来るんじゃ。誰もがそう思いながら、そうなってほしくないと思い続けていました。私たちの地域は海に面しており、生徒の中には海の近くに住んでいる同級生も少なくはありませんでした。
その日は親の迎えを体育館で待ち、家に帰っても3日ほど停電の状態で過ごしました。電気のない生活は想像以上に辛いものでしたが、それでも津波で家を流された同級生達のことを思うと私が感じた辛さなどちっぽけなものでした。その日から、被災した人との関わり方というものがとても難しく感じるようになりました。
津波はたくさんの人や建物、思い出を奪い去りました。いつも当たり前に接していた親戚の人、よく友達と集まって遊んでいた駅、色々な思い出が詰まった街並み、全てがなくなりました。中には親を失った友人もいました。
特に忘れられない光景が避難所です。家を流された人たちは一時的に地域の体育館に寝泊まりしていました。私は時折、友達に会いに避難所に行っていたのですが、いまでも当時の光景が頭から離れません。避難所内の重苦しい空気、毛布をかけて雑魚寝をしている人々、忙しなく働く役場職員の姿。皆、様々な種類の不安を抱えていました。水も食料もありません。頑張って建てた家もありません。中には大切な人を失った人もいます。かける言葉など思いつくわけがありませんでした。私は何も失っていないのだから。
数日後、津波が引いた後を見に行きました。言葉が出ませんでした。そこにあるのは倒壊した家の残骸と家の土台となるコンクリート部分だけでした。崩れた我が家から貴重品を探す人が目に入りました。海は何事もなかったかのように穏やかでした。これだけのものを奪ったのに。
海は怖いです。私はその日から恐怖心が拭えません。またいつ表情を変えて私たちを襲って来るかわかりません。人間は自然に勝てない。人間という存在があまりにも小さなものであると痛感させられました。
震災から10年。変わったものといえば「街並み」や「人々の傷」(癒えたと言っても少々だと思うが)、変わらないものといえば「喪失感」。失った悲しみは一生消えることがないのかもしれません。私は被災者ではない。だから、偉そうなことも言えないしこの先どうしたら良いのか、被災した友人になんと声をかけて良いのかわかりません。だけれどせめて、あの日の出来事を記憶し続けようと思います。一生覚えておきたいと思います。それが私たち“非被災者”にできることなのではないでしょうか。
Write:げんちゃん


