例えば
現実を偏りのない目で見た時
Aさんが
「動物って見ていて癒されるよね」
と言った。
ただそれだけ。
この時は先ほどの負のイメージは
あまり立ちあがらない
でも
シンプルに「癒し」
という言葉だけを聞いた時、目にした時に
強烈にうわ~んっと静かに立ち上がって来ていた。。。
この言葉から受け止めるイメージというか
この言葉がトリガーとなって立ち上がる
感情や感覚はどんなだろう~。。。
そして更に
「なぜそう受け止めるのか」 を
そう、この感情が立ち上がる源を見つめてみる
だってそこが根っことなる源に近いもんね
・ ・ ・
そうしてみると
そこに私は 生まれてきてからこれまでに
「思いと、思いを通して見つめた事象」にひも付けして
年輪のように重ねて作り上げてきた
セルフイメージが見えてきました
立ち上がってくる思いや感情には
その元となっていて
永い年月を生きてきた間に
重ねて、作り上げて、
確固たるアイデンティティもあったりする
「それが自分自身だと思い込んでいる無意識の私」
余談ですが
「こうゆう事をしたら即、心がシフトして気づきに至る」
なんて事は、殆どないんだなぁ~っと
つくづく思いました。
癒しがすすんでゆく様は人それぞれですが
玉ねぎの皮を剥く様だったり
振り子が揺れ動きながら
段々一定方向に向かって進んでゆく様だったり
少しづつ 少しづつ
揺れ動きながら変化してゆくのが自然
「ペースが自然」というのはマイペースにつながり
一番自分にとってストレスレスなペースになるかと思います
私自身は「本来のわたし」に気がついてゆく時
笑ってしまうくらい当たり前のことを
何故 今の今まで
超長年に渡って気がつかなかったかな~と
ちょっと狐につままれた様な気持になりました
それは 何ともいえない笑いで
その中には少々の「驚き」という感覚も混在していて
出てきた反応が「笑う」という形だったなと思います。
それと「今までの様に考える必要無い、大丈夫」
っとの解放感にも続いています。
ずーっと 当たり前の「わたし」は
「わたしじゃなかった」と気づきからの解放です
昨年から今年の春にかけて
毎月上京してOADセラピスト講座を学び、
諸々と、少しずつ
頭では分かっていた(つもり)
そして
この「気づき」は 「Notice」 じゃあなくて
「Awareness(認知)」という感覚だなと感じ
思考からのモノではない体感
正に昨年から学んできたOAD
(Open Awareness Dialogue)
「癒しについて」は他でもなく
誰にとっても自分を通して
体感して知る事なんだなと思います♪
なのでこれからも まだまだ自分を見つめて
癒してゆきたいと思います♪♪
ここまでお読み頂き
ありがとうございます
~四無量心~