癒しについて考えてみる①


癒しについて考えてみる②



例えば

現実を偏りのない目で見た時

 

 

 

Aさんが

「動物って見ていて癒されるよね」

と言った。

 

 

 

ただそれだけ。

 

 

 

この時は先ほどの負のイメージは

あまり立ちあがらない

 

 

でも

シンプルに「癒し」

という言葉だけを聞いた時、目にした時に

強烈にうわ~んっと静かに立ち上がって来ていた。。。
 

 

 

 

この言葉から受け止めるイメージというか

この言葉がトリガーとなって立ち上がる

感情や感覚はどんなだろう~。。。

 

 

 

そして更に

「なぜそう受け止めるのか」 を

そう、この感情が立ち上がる源を見つめてみる

だってそこが根っことなる源に近いもんね


 

 ・ ・ ・

 


そうしてみると

そこに私は 生まれてきてからこれまでに

「思いと、思いを通して見つめた事象」にひも付けして

年輪のように重ねて作り上げてきた

セルフイメージが見えてきました

 

 

 

立ち上がってくる思いや感情には

その元となっていて

永い年月を生きてきた間に

重ねて、作り上げて、

確固たるアイデンティティもあったりする

「それが自分自身だと思い込んでいる無意識の私」

 

 

 

 

余談ですが

「こうゆう事をしたら即、心がシフトして気づきに至る」

なんて事は、殆どないんだなぁ~っと

つくづく思いました。

 

 

 

 

癒しがすすんでゆく様は人それぞれですが

玉ねぎの皮を剥く様だったり

振り子が揺れ動きながら

段々一定方向に向かって進んでゆく様だったり

 

 

少しづつ 少しづつ

揺れ動きながら変化してゆくのが自然

「ペースが自然」というのはマイペースにつながり

一番自分にとってストレスレスなペースになるかと思います

 

 

 

私自身は「本来のわたし」に気がついてゆく時

笑ってしまうくらい当たり前のことを

何故 今の今まで

超長年に渡って気がつかなかったかな~と

ちょっと狐につままれた様な気持になりました

 

 

 

 

 

それは 何ともいえない笑いで

その中には少々の「驚き」という感覚も混在していて

出てきた反応が「笑う」という形だったなと思います。

 

 

 

それと「今までの様に考える必要無い、大丈夫」

っとの解放感にも続いています。

ずーっと 当たり前の「わたし」は

「わたしじゃなかった」と気づきからの解放です

 

 

 

 

 

昨年から今年の春にかけて

毎月上京してOADセラピスト講座を学び、

諸々と、少しずつ

頭では分かっていた(つもり)

 

 

 

そして

この「気づき」は 「Notice」 じゃあなくて

「Awareness(認知)」という感覚だなと感じ

思考からのモノではない体感

正に昨年から学んできたOAD

(Open Awareness Dialogue

「癒しについて」は他でもなく

誰にとっても自分を通して

体感して知る事なんだなと思います♪

 

 

 

なのでこれからも まだまだ自分を見つめて

癒してゆきたいと思います♪♪

 

 

 

ここまでお読み頂き

ありがとうございますクローバー

~四無量心~